■はじめに―――――――
本記事は、貴志祐介氏原作「悪の教典」(文春文庫/上下巻の小説、講談社/全9巻刊行の漫画版、作画は烏山英司氏)の二次創作小説連載コンテンツとなります。
閲覧に至っての注意点等は下記を。
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『お好み焼き・きばた』は、土曜の正午過ぎともあって、なかなかの盛況だった。
『コテコテ関西人の名物店主が作り出す、本場の味』に笑顔で鉄板をつつく、家族連れやカップルの賑やかな歓談。そのさざめきに混ざるように、香ばしいソースの香りが利用客を取り巻いている。
店内の左奥、三人仲良く横並びに座りつつはしゃぐ、女子一人と、男子二人の姿が見える。
名前は、向かって右から、早水圭介、片桐怜花、夏越雄一郎。
「ハフッ⋯⋯! ん~! うっめ~!」
「ほんと⋯⋯! わたし、ソースの風味ってあんまり得意じゃないけど、これはすっごい美味しい!」
「俺、ごはん欲しくなってきちゃった⋯⋯」
ホカホカと湯気を上げる、豚玉やネギ焼きを前に三者三様の嬉し気な感想が聞こえてくる。
「そら、良かった。遠慮せんと食べや~」
三人に向かい合って腰掛けている男が、穏やかな関西訛りで言った。
「おっ! じゃ、喜んで。すみませ~ん! こっち豚玉追加で、モダン焼きも! ん、怜花も雄一郎もドリンクもう無ぇじゃん。何か頼めば? 後、ハイボ⋯⋯って!」
『ール』を言い終わる前に、圭介の額に丸めた紙ナプキンが飛んできた。
「調子乗りぃな、早水。あー、バタやん。ハイボールは無しな。こいつには、水で。⋯⋯いや、水もええわ」
「ちょおおい! 『凛さん』! ひっでぇ~!!」
店主の木幡勇二――男の学生時代の友人らしい――に対し軽妙に語りかけるその男に、圭介は思わず悪態をつく。
「もー、圭介ったら。ちょっとは遠慮しなって!」
怜花が二人の掛け合いを見ながらツッコミを入れた。
「んだよ~。せっかく遠慮しなくていい、って言ってくれてんだからさ。つーか、凛さんが飲めばいいじゃん!」
「俺は今日バイクや。着任早々クビにさせたいんか? それに、遠慮せんでいい、って言われて、ほんまにフルスロットルで遠慮せえへん奴がおるかい。『いつもここから』のネタやないんやから」
『バタやん』から受け取ったウーロン茶を啜りながら男がそう呟くと、「ブフォッ!」という音がした。怜花が飲み終え掛けたオレンジジュースを吹き出して笑っている。
「おいおい、怜花! どうした?」
中盛のライスを頬張っていた雄一郎が、フォローを入れた。
「⋯⋯プハハッ! だって、『先生』が急におかしなこと言うから!」
「なんや片桐、おかしなことって? まあええわ。何か頼みや。同じのんでええか?」
「あっ、はい! いただきます」
笑いながら怜花は、目の前の、呆けた口調で和やかに話す『凛さん』兼『先生』に返事をした。
――志野凛太朗。
ほんの数日前、風の如く怜花たちの前に現れ、彼女たちの担任教師となった男である。
晨光学院町田高校随一のカリスマ教師、蓮実聖司突然の解任劇にあって、同じく町田市内にある都立※※高校から転任してきた、新任教諭だった。
それにしても、学園の誰しもから尊敬され、信を置かれてきた蓮実に一体何が⋯⋯。
店内天井付近に備え付けられた液晶テレビから、ニュースが流れ始める。
〈次です。⋯⋯先日、同僚教員の犯行に見せかけ、女性を轢き逃げした上、勤め先である高校の教頭所有の乗用車を破損、危険運転致傷罪他に問われていた蓮実聖司『容疑者』についてですが、警察の調べによりますと、自ら受け持っていたクラスの、ある男子生徒に対し、ネット掲示板を利用し、複数生徒の書き込みを装った誹謗中傷行為を行っていたことが発覚しており⋯⋯〉
一同の食事の手が、しばし止まる。
「⋯⋯やっぱり、蓼沼の件も蓮実の仕業だったのか⋯⋯」
アナウンサーの声を耳に、雄一郎が小さく言う。
「⋯⋯うん」
怜花は、ここ数日学園内に起こった波乱の様子を思い返しながら頷いた。
〈行き過ぎた正義感⋯⋯カリスマ人気教師、謀略の全容〉
二週間ほど前に、ワイドショーから扇動的なテロップが流れお茶の間を賑わせると、晨光町田の教師、生徒たちはあっという間に阿鼻叫喚、混沌の中に叩き込まれてしまった。
怜花らの元にもクラスメートのメッセージが引っ切り無しに届くため、スマートフォンから目を放すのが難しかったくらいである。
大騒ぎになることが不可避であったとはいえ、自分たちの行動がことの始まりになったと考えると、胸中は複雑なものだった。
もっとも、『計画』の発案者は目の前の現・担任教師である凛太朗なのだが。
〈⋯⋯このような手口で蓮実容疑者は、生徒を退学にまで追い込んでいったようですが、供述によると、『他の教え子たちを守るためやむなく、身を切られるような思いでやった。関係者ならびに生徒たちへ誠心誠意謝罪したい』などと深い反省の意を示しており⋯⋯〉
――カタン。
突然、凛太朗が箸を置き、両膝にしっかりと掌を乗せたうえで、怜花、圭介、雄一郎に頭を下げた。
その動作に三人とも思わず畏まってしまい、「うおっ、凛さん!? 急にどうしたんだよ?」と、圭介が声を上げる。
「改めて、礼を言うわ。今回蓮実を逮捕出来たのも、お前らが協力してくれたおかげやからな。⋯⋯ほんま、ありがとうね」
『あり』ではなく『とう』にアクセントを置いた関西特有のイントネーションで、凛太朗が三人に感謝の意を告げる。
「いえいえ! そんな⋯⋯。わたしたちは、ただ先生の指示通りに動いてただけで⋯⋯」
「俺は大したことしてないけど、怜花は大車輪の活躍だったよな~! まあ、内心ちょっと⋯⋯いや、かなりびびってたけど」
怜花と雄一郎が照れながら言う。
「ってもなー。世間的には、全部警察と下鶴のオッサンの手柄な訳だし。報われねぇなあ。⋯⋯あ~、くそ! 本当なら俺一人で蓮実の鼻を明かしてやるとこだったのに⋯⋯」
圭介はコーラをあおりながら文句を垂れ始めた。
「別にいいじゃねぇか、圭介? 俺たちは影の立役者、ってことで! こうして美味いメシに連れてきてもらってんだからさ。なあ、怜花?」
「そうよっ。寧ろ、わたしたちが関わってたのが知られたら、一大事だよ。それに、あんた一人で動いてたら今頃どうなってたことか⋯⋯」
怜花は圭介をそう窘めると、凛太朗の方を向き、ぺこり、と同じように頭を下げた。
「先生。わたしたちの方こそ、ありがとうございました」
凛太朗は、にかっと笑う。
「そう言うてもらえて嬉しいわ。ただ、これからが大変やな~。四組の皆の顔と名前は覚えたけど、受験もそうやし、色んなとこでケアしてやらなアカンし」
「⋯⋯フフフッ!」
「? どないした、片桐。俺また、なんかおかしなこと言うたか?」
不意に口に手を当てて笑い出した怜花に、凛太朗が尋ねる。
「ごめんなさい! だって、出会ったばかりのときは、あんなにしっかりした標準語だったのに⋯⋯。それが、教室で挨拶が終わった途端に関西弁に変わって⋯⋯もう、おかっしくって!」
「ハハハ! あ~、あれなあ。『ツカミ』はバッチリやったやろ?」
怜花の、凛太朗に対しての視線が好意に満ち満ちているのに、圭介は軽い嫉妬心を覚えた。会話を主導しようとする。
「まあ、ともあれ晨光町田人気No,1の蓮実の後釜じゃあ、凛さんもキツいだろ? 着任祝いに、『志野信者』が生まれるように細工しといてやったからさ! 頑張れよ~」
「⋯⋯『あの噂』の発信源はやっぱりお前やったんか⋯⋯。余計な気ぃ回しやがって、ほんま。ま、一応、そこも礼は言うといたるわ。おおきに、ね」
何の話か分からない怜花と雄一郎は、不思議そうな表情でやり取りを聞いていたが、その話題に嘴を突っ込もうとはしなかった。
「ふぅ! 満腹だ~!」
雄一郎が拳で顔の汗を拭いながら、幸せそうな声を上げる。
「お前、後半ずっとライスばっか食ってなかったか? もったいね~!」
店の戸口前で茶化し合っている二人を尻目に、怜花は凛太朗に問う。
「ほんとにいいんですか? 先生。電車代まで出してくれるなんて⋯⋯。なんか、申し訳ないっていうか⋯⋯」
凛太朗は、ひらひらと手を振る。
「かまへん、かまへん。そんなん、気にしぃなや。先刻も言うたけど、お前らの力添えのおかげなんやから、こんぐらいはせんとな」
気さくにそう返された怜花は、思わず笑顔になった。
「ありがとうございますっ! ごちそうさまです。これからもよろしくお願いします。⋯⋯はっ! もちろん、ごはんがどうこうじゃなくて学校で、っていう意味で⋯⋯」
「ハッハッハ。わ~っとる! ほな精算は任せて、外、出とき」
は~い! おいしかった~! 元気に返事をして凛太朗を除く三人は戸口を出た。
「いや~、皆いい子そうやん、凛太朗。それにあの女の子、えらい可愛いなぁ。お前にはもったいないんとちゃうか?」
店主・木幡が冗談めかしてからかってくる。
「アホぬかせ、そんなんあらへんやろ。はぁ、教師っつーんも大変やわ」
「お前が決めたことやろがい、しっかりせんかい! ま、また食いに来いや。え~今日は〇万×千円やね!」
あいよ、と会計額を告げられ、凛太朗は財布を開く。
中身を見て、固まった。
⋯⋯いや、違う。『きばた』のメニュー価格と、オーダーのペース配分は知悉していたはずだ。だとすると、問題は⋯⋯。
凛太朗は戸口の摺りガラス越しに映った、無邪気に談笑しながら揺れている三人分のシルエットを見やる。
今更、「お願い! 交通費だけは持ってね♡」など、口が裂けても言えない。
「⋯⋯バタやん⋯⋯その⋯⋯カードの導入って⋯⋯まだやんね⋯⋯?」
先ほどからの様子と、その一言で全てを悟った木幡は、ポンッ、と彼の肩に手を乗せながら言う。
「凛太朗、俺とお前の仲や。固いことは言わん。⋯⋯いつもの方式、やな?」
「ハハハ⋯⋯ほんま⋯⋯すまん⋯⋯」
所在なさそうな表情を見て、木幡は呟く。
「相変わらず、肝心なところが抜けとるのぉ⋯⋯お前は」
〈生活安全課:下鶴幸平殿 7月1日より同課から、刑事部捜査第一課への転属を命じる。警視庁長官⋯⋯〉
下鶴刑事は所轄署内で、自身に最近届いた異動命令書の一文を眺めていた。
「左遷も一瞬なら、昇進も一瞬、ってか。ハッ、警察組織も現金なモンだな⋯⋯」
苦笑しながら、身辺整理のために積まれた段ボール箱の中に、いそいそと事務用品やら資料やらを詰めていく。
「あっ、ヅルさん! 〇〇事件の捜査関連、ファイリングしてあるんで! 良かったら持ってってください!」
朗らかな口調で、捜査一課配属四年目になる、矢内潔が話しかけてくる。
下鶴刑事左遷の原因ともなった、都立**高校の不可解な校内生徒連続自殺事件で、彼とともに捜査に当たった若手刑事である。大の刑事ドラマフリークで、熱心な松田優作ファンでもある、典型的な『憧れ型』で刑事になったという性質だが、そうした気質もあってか、上からの方針を撥ねつけてでも、独自に事件の調査を進めていた下鶴の姿勢に尊敬の念を抱き、『ヅルさん』との愛称で彼を慕うようになっていた。
「いやー、それにしても俺、ほんと嬉しいっすよ! また一課でヅルさんと一緒に仕事出来るなんて⋯⋯くぅ~っ!!」
矢内は大袈裟にそう言って、拳で涙を拭う真似をしてみせる。
「お前はそう言ってくれるけどな。一度飛ばされた身からすりゃ、ひとヤマ当てたぐれぇでこんな掌返しみたいな異動食らうんじゃ、逆に信用もへったくれも無ぇ、っつうもんだよ」
下鶴は自嘲気味に答えながら、テキパキと荷造りを進めていく。
「ハハ⋯⋯それは確かに⋯⋯。でも、やっぱりヅルさんの刑事としての才覚は本物ですね! あんなに限られた手掛かりから事故ではなく事件だ、なんてことを見抜くなんて⋯⋯。それに都立**高校の件だって、もしかしたらヅルさんの推理が正しい、ってことも考えられるじゃないですか? あの、『蓮実』って奴はどうも臭いますよ!」
喋っているうちに自身の口上に酔ってきたのか、矢内は語気を荒げて憤慨していた。
適当に相槌を打ってやりながら、下鶴は今回の経緯に思考を巡らせる。
まさか、都立**高校の件捜査の中で知己を得た一介の教師が、ここまでの策士とは。
彼が編み出した怪物狩りの筋書きがなければ、未だ自分は生活安全課に属する冴えない一刑事として、俸禄を細々と食んでいる身に違いなかったからだ。そう考えたとき、ますますその素性が気になった。
――志野凛太朗。
改めて、彼の細面な、大きくて黒い瞳を持った顔を思い浮かべた。
きっと彼は、蓮実に対し途方もない敵意、それも殺意に近い感情を抱いている。
『ここからが、本番』⋯⋯そうした気概の元、一旦自由を封じられている蓮実に憎悪を向けているに違いない。
都立**高校の件は、曲がりなりにも捜査完了、となっているため、再びメスが入るかどうかは微妙なところだが、それでも以前と比べればその可能性は増した、と言えるだろう。
荷造りを終え、会釈をして去っていく矢内に手伝いの礼を述べた後、下鶴は携帯電話を開く。
何通かのSMS――いずれも簡素な業務連絡だ――に目を通していくうち、丁度今から一ヶ月ほど前に、ある人物から送られてきた文面に辿りついた。
「ふっ⋯⋯。捜査一課に来て欲しいぐれぇだよ。ったく」
下鶴はそう呟くと、回想の世界に自らを誘っていった。
