■はじめに―――――――
本記事は、貴志祐介氏原作「悪の教典」(文春文庫/上下巻の小説、講談社/全9巻刊行の漫画版、作画は烏山英司氏)の二次創作小説連載コンテンツとなります。
閲覧に至っての注意点等は下記を。
――――――
〈この後、『シノ』という人間から君の元に連絡があると思う。
都立※※高校の教師で、何でも、蓮実教諭の動向を追ってるらしい。
先日、君の学校の先生が起こした飲酒運転事故について、詳しく聞きたいそうだ。
俺も都立**高校の生徒連続自殺の件で何度か会って話したが、信頼は出来る。
悪いが、協力してやってくれ。――下鶴〉
「⋯⋯なんだ、こりゃ?」
六月に入ったばかりの平日――釣井教諭の自死の報があったその日――夕方終わり、自室で寝そべっていた折に送られてきたSMSに、早水圭介は面喰っていた。
『シノ』⋯⋯聞かない名だな。※※高校教師で蓮実を追ってる? ※※高校にも何人か知り合いはいるけど。
飲酒運転事故。十中八九、修学旅行前の、真田教諭がしでかした(とされている)あの事故のことだろう。⋯⋯どういうことだ?
数分ほど後、スマートフォンに見知らぬ電話番号からの着信が表示された。
逡巡はしたが、あの下鶴刑事の紹介だ。悪戯とも、ましてや何らかの奸計とも思えない。
一つ息をついてから、画面を応答方向にフリックする。
「こちら、早水圭介くんの番号で合ってるかな?」
「⋯⋯ああ。あんたが『シノ』さん、か?」
「その様子だと、下鶴刑事から一報は入っているようだね。初めまして。『シノ・リンタロウ』です。突然の連絡ですまないね。どうぞ、よろしく」
レシーバーから慇懃な、かといって怪しい雰囲気は特に感じられない、中低音の男声が聞こえてきた。
『シノ』は名ではなく姓だったか。半ば、手頃な齢の女性教諭の姿を期待していた手前、がっかりとする。
まあ、蓮実に疑念を抱いて、探りを入れているというくらいだから、女性であったとしても、お近づきになれるかどうか。相当イカツい精神性の人間に違いない。
「ああ、よろしく。⋯⋯で、※※高校のセンセーが俺に何の用? 蓮実について調べてる、って? この間の飲酒運転事故の件詳しく教えて欲しい、って下鶴のオッサンから聞いたんだけど」
不意に連絡を寄越してきた電話口の男へ、圭介が矢継ぎ早に質問を浴びせる。
「その通りだよ。付言すると、少し前に町田市の一軒家で起きた火災事件、これも君が通う学校の生徒さんの家だったらしいね? それから、今朝のニュースで取り扱っていた、これも君の学校の先生の自殺⋯⋯個人的に、これらすべて蓮実の犯行だ、と睨んでいる」
圭介はギョッ、として目を見開いた。
今、話しているこの男はどこまでを知っていて、自分に何を求めているのか。すぐには測りかねた。
「あんた一体、何の目的で蓮実のことを⋯⋯」
『シノ』は、ハハッ、と笑いながら返答する。
「不審がられるのは当然だね。けれど、今の段階ではそれは言えない。言えるのは、これ以上蓮実を野放しにはしておけない、ということ⋯⋯そのためにどうしても、君――蓮実が勤める学校の生徒――の協力が必要である、ということだ」
肝心な部分は聞けずじまいだったが、この男が蓮実に対し強い敵愾心を持ち、事件の真相を暴くことで奴の失脚、あわよくば逮捕を目論んでいることは明瞭だった。
圭介は、ベッドの隅にある盗聴発見器に目をやる。
本来なら、自分一人の手で蓮実の化けの皮を剥いでやりたいところだ。
ただ、こうして突然現れた、蓮実に一石を投じようとしているこの人物に、強く関心を惹かれているのも確かだった。加えて、真田教諭の事故について、最低限の信を置ける誰か――親友である、あの二人以外――に、自説を開陳したい思いもある。
「分かった⋯⋯。どこから聞きたい?」
「そうだね。ひとまず最初に言った通り、飲酒運転事故の件を。現場の状況であったり、君の見解を交えながら出来るだけ詳細に教えて欲しい」
そう促され、圭介は述懐を始める。
まず、真田が事故を起こす直前まで、蓮実と二人きりで吞んでいたこと。
その後なぜか、泥酔状態であるにも関わらず学校に車を走らせ、帰宅途中の堂島教諭を轢き逃げした挙句、駐車していた酒井教頭の愛車に衝突した、とはなっているが、現場近くの花壇に刺さってあるはずの、蔓薔薇の支柱の役割をしていた竹棒が一本引き抜かれており、行方が分からなくなっていること。
以上から、蓮実が真田を昏睡させ、彼を後部席に乗せたまま運転し、学校到着後に運転席へ移動させ自身は車外へ。窓の隙間から竹棒を利用して、アクセルを操作したのではないか、ということ⋯⋯。
「うん⋯⋯うん、なるほど⋯⋯。」
『シノ』は頷きながら、圭介の推理に耳を傾けていた。相槌の合間に、ペンを走らせていることが分かる筆記音や、カタカタ、とキーボードを叩く音が混じっていることから、恐らく自室か物静かなコワーキングスペースに居るのだろう、と感知出来る。
「――OK、大体のことは分かったよ。とても興味深いね。恐らく、君の推理は当たっている。どうだろう? 明日は土曜で学校も休みだろうし、一度直接会って話が出来ないかな?」
その提案に不自然さは感じなかった。何せ、知り合いの刑事の伝手を頼って、こうして情報提供の懇願をしてくるくらいの人間である。電話越しのやり取りだけで満足できないのは当然だろう。
事故に対しての自分の指摘を評価してくれたことによる高揚、という訳でもないが、面会を了承する。
「ありがとう。時間と場所はこの後SMSで送信するよ。それと、骨を折らせることになってすまないが、俺のPCのメールアドレスも付記しておくから、そこに、今から言う資料を用意出来る限りで、今晩中に送ってくれないかな? まず⋯⋯」
圭介は傍らからペンと紙の切れ端を取り、メモに記していく。
「ああ、それくらいならすぐに用意出来るから、送っとくよ。⋯⋯今日はこんなもんでいいか?」
「うん、大丈夫。それじゃ、また明日⋯⋯おっと! いけない。後、もう一つ。よければ、君だけじゃなくて、二、三人くらい信頼できる友人を同伴してくれれば幸いなんだけど。君も、一人きりだと流石に心細いだろうし、今、俺の頭に浮かんでいる計画の実行には、もう少し同志が必要なんだ。そうだな⋯⋯。出来れば、直感力に秀でるような子がいてくれれば、とても助かるね」
思わず、笑みが零れる。そうくれば、友人の選択肢は他にないだろう。『シノ』からの追加注文に承諾の返答をして、圭介は通話終了のアイコンをタップした。
その後、即座に送られてきた面会に関する情報と『シノ』のPCアドレスを確認し、机に置かれたノートパソコンを立ち上げる。
起動を待っている間、スマートフォンのチャットアプリ――LANEという――を展開し、自身を含めた三人専用のトークルームにメッセージを素早く打ち込む。
「学校っつーのは俺一人の遊び場だと思ってたんだがな。ま、予期せぬ闖入者ってのも悪くねぇ要素だ。⋯⋯っしゃ! 腕が鳴るぜ!」
圭介は腕の代わりに指を鳴らし、ノートパソコンに向かって猛烈な勢いでタイピングを始めた。
「ねぇ、圭介。その⋯⋯『シノ』っていう人、本当に信頼できるの?」
町田駅外れ、路地奥にひっそりと佇む喫茶店『摩羅伽』のアイス・カフェオレをストローで啜りながら、片桐怜花は怪訝そうにしている。
午前十時過ぎ。利用客の大半が地元の年配者なのだろう、怜花ら三人以外に同年代の姿は見当たらない。
なるほど、ここであれば学校関係者はおろか、近しい人間の目にも留まることは無さそうだ。
「ああ。昨日も言ったけど、なんせ下鶴のオッサンの紹介だからな。心配するこたねぇよ。それに、話してる感じもまさか、『逆スパイ』って訳でもなさそうだしよ」
「いや、わたしも、さすがにそこまでは疑ってないけど⋯⋯」
ここ数日の学園を取り巻く不穏な気配の中、いきなり降って湧いた登場人物に、怜花はいかにも緊張した面持ちで考え込んでいる。
隣に座った夏越雄一郎は、表情は固いものの、シュガーを多めに入れたコーヒーをずずーっ、とやりつつ、モーニングセットのサンドイッチをつまんでいる。時間帯的に朝食が未だだったのだろう。
「でもよー。何でまた、※※高校の先生が蓮実に首を突っ込んでくるんだろうな?」
怜花よりも数段呑気な口調で、雄一郎が圭介に尋ねた。
「さあ、な。そこまでは分かんねぇよ。ただ、**高校の連続自殺の件も調べてる、っつってたし、清田ん家の火事と釣井の自殺の件でも蓮実を疑ってた。俺もそうなんだけど。それに真田の運転事故についても、俺の考えでほぼ合ってるだろう、ってよ」
「蔓薔薇の竹棒で車の外からアクセルを押した、っていうアレ? ⋯⋯まさか、有り得ないと思うんだけど。普通、そんな荒唐無稽な話、真に受けたりしないでしょ? ましてやそんな、電話で初めて話す人の言う事なんか⋯⋯」
怜花は蓮実に対する疑念と同様、圭介の推理に太鼓判を押したという、『シノ』という人物に対しても猜疑を抱いている体で言い返す。
「だから、だよ」
圭介は、自身のマグカップに注がれたブラックコーヒーを一口含む。
「フツー、あんな、一人の教師がしでかした運転事故としか片付けられない一件に、第三者の関与を疑ったりなんかしねぇだろ? 相当蓮実に対して恨みを持ってる証拠だよ。それに、なんか認めたくはねぇけど、話してみた感じから察するに、相当な『切れ者』だ。とりあえず直接会ってみる価値はある。⋯⋯もしかしたら、本当に蓮実の正体を暴けるかもしれねぇ」
そう、興奮気味に語りかけてくる。
「蓮実の正体、ねぇ⋯⋯」
雄一郎は半信半疑のようだ。
怜花も似たような心持ちだった。ただ、事態の進行を追うごとに、蓮実教諭に対する疑いは着実に増していた。
かといって、今のところは何の確証もない憶測だけであり、もしかしたら、まったくの無実である人間を陥れることになるやもしれない策略に自分が加担してもよいものだろうか。
よしんば、一連の悪事への蓮実関与が濃厚になったとして、一体どうやってあの『怪物』を⋯⋯。
怜花が暗中模索な思考に耽り始めたそのとき、摩羅伽の入口に設えられているベルがカラン、と鳴り、三人の視線がそこに集まった。
ノーネクタイで、ワイシャツの上からスーツを羽織っている。身長は170cm台後半くらいだろうか。
所謂『フラッパーヘア』のような髪型で、年齢は三十代前半ほどに見える男が来店してきた。
男は、入口をくぐった即座に怜花たち三人と目が合ったため、店内を見渡す手間が省けた、とばかり、薄笑いを浮かべながら近づいてくる。
「今日は急にお呼び立てしてすまないね。えぇっと、早水くんは⋯⋯君の方かな? そちらの二人が、お友だち?」
男は、二人掛けのカウチの間にテーブルを置いた、四人制のボックス席に並んで座っている怜花と雄一郎、向かい合って隣に空席を取って座っている圭介を交互に眺め、そう声を掛けてきた。
「あ、そうっす。俺が早水圭介。昨日はどうも。んで、こいつらが⋯⋯」
圭介が紹介を始める前に、二人自ら口を開く。
「⋯⋯片桐怜花です。初めまして」
「どうも、夏越雄一郎っていいます。こんちは」
男はいかにも人懐っこそうな笑顔で、「こちらこそ初めまして」と挨拶を済ませると、圭介の隣に腰を降ろし、持参したダレスバッグを足下に置いた。
「今日は、集まってくれてどうもありがとう。早水くんには、昨日電話越しに名乗ったけど、改めまして。※※高校で教員をやってます、志野です。――志野凛太朗。よろしくね」
こうして、晨光学院町田高校が誇る人気教師『蓮実聖司』という、稀代の怪物討伐への一幕が、開いた。
