松下幸之助氏の野心と信念を自分と比較する | 経営コンサルタント 毛利京申 事業再生企業再建 事業承継

松下幸之助氏の野心と信念を自分と比較する

 

名古屋を拠点に全国で活動する

経営コンサルタントのモーちゃん

こと毛利京申です牛

 

おはようございます晴れ

昨晩は、雨が激しく降り雷が

鳴っていましたが、

今日は日本晴れです照れ

 

早速ですが、『月間プレジデント誌』

に松下幸之助氏のことが紹介されて

いて、ふと

息子が、大学4年の時に、

「俺はお父さんとは違う。

卒業したらすぐに結婚して家を建てて、

お金持ちになる・・・」と言われました。

 

今日は、そんなことで、松下幸之助氏

のことと自分のことを少し被ったので

当時の想いをお話したいと思います。

 

息子がどのような経緯でこのような

ことを言ったのかは忘れましたが、

息子が7歳の時に、モーちゃんは

狂牛病の風評で、よく連れて行った

自分の焼肉店が閉店を余儀なくされて

から、どんどんお店を整理したり、

クルマを処分したりして没落する姿を

見ているので、息子なりに悔しかった

のだと思いますショボーン

 

それまで、そこそこ悠々自適に

好きなものを食べさせてもらったり、

遊びに連れて行ってもらっていた

自分の人生が、がらりと変わったと

感じていたのですねショボーン

 

そんなことを言われたので、

子供にもそんな想いをさせていたのか

と少し哀しくなりました笑い泣き

 

これは、娘も妻も同じことだと思います。

今まで支えてくれた家族には

感謝しかありませんラブ

 

 

モーちゃんは家は、決して裕福ではない

家庭で育ったにも拘らず、

大学まで苦労して行かせてもらい、

両親には感謝しかなかったので、

卒業後はなるべく親に負担にならない

ように考えておりました。

 

北海道の実家に帰省するときでも

薄給から飛行機代や自動車学校

の授業料を捻出し、

両親を外食に連れていくときも

「俺が出す」といい、無理をしてでも

安いお店でしたが両親にご馳走

していました。

 

これは、自分なりの感謝の意です。

 

父は、その姿を目を細めて見ていました。

きっと嬉しかったのでしょうドキドキ

 

これは、大学を卒業後、初めて帰省した

ときの話ですが、名古屋に残ると

決めた時に「親の死に目に遭えない」

と覚悟を決めていたからです。

 

 

アルバイトで学生の時に弁護士事務所

に入り、日給が3500円、保険はなし。

(今考えるとマックよりも安かったあせる

 

親元を離れ、これからアパート代、税金、

保険代も支払い、ただ起業するための

修行と思い努力してきました。

 

ちなみに同級生の初任給は、約145,000円

の時代でしたが、ボーナスを入れると、

モーちゃんの4倍ほどの開きがありました叫び

 

よって、盆・正月に帰省する資金を出すことも

かなり苦痛でした。

しかし、「お金がないから帰れない」なんて

言いませんでしたパンチ!

 

男が金がないと言葉を発することは、

「自分は能力がない」と言っている

ように聞こえるので、当時から絶対人前で

言いませんでした。

 

プレジデント誌には、松下幸之助氏

の貧乏時代のことが紹介されていました。

 

『通算21年の海外勤務経験をもち、

国内外から日本を見てきた幸之助氏が、

現在の日本にいちばん欠けていると

思うのは「志」である。

 

国も企業も個人も「志」がないことが、

失われた20年をもたらし、

いまだに改善の方向も見えない原

因ではないかとつくづく思う。

 

「志」は国でいえば国家戦略である。

しかし、民主党政権時代に国家戦略

担当相が3年間で6人も代わる事実に

象徴されるように、

日本には明確な国家戦略がない。

 

そのため、韓国の後塵を拝している。』

という言葉が紹介されていたのです。

 

幸之助氏は、

わずか4歳で貧困のどん底に突き落とされ、

9歳で働き始め、30歳になるまでに

家族全員を失った。

 

やがて生まれたばかりの息子と死別し、

そして大恐慌、第2次大戦がたたみかけるように

幸之助の身に降りかかってきた。

 

これら悲劇的事件は途方もない辛苦を強いたが、

同時に両親や兄妹たち、雇い主、妻、愛人、

その他の人々に支えられながら、

これらの事件を通じて、

自己検証と探求心の意識が高まり、

それが彼の目標と戦略と哲学に影響を与えた。

艱難辛苦は自分を見つめ直し、

学ぶ姿勢を促した。

 

逆境は不安を高め、常に危機感を抱かせ、

自己満足を遠ざけた。

 

悲劇続きの人生は、自分は失敗を越えて生き残れる、

だからリスクに挑むことができると彼に教えた。

 

この一連の経験が途方もなく大きく複雑な感情―苦痛、

怒り、恥、屈辱などーを呼び起こし、

それが強力なエネルギーの源となった。

 

とある学者は、幸之助氏のことを

論じていましたパンチ!

 

青春とは人生のある期間ではなく、

心の持ち方を言う。薔薇の面差し、

紅の 唇、しなやかな肢体ではなく、

たくましい意志、ゆたかな想像力、

炎える情熱をさす。

 

青春とは人生の深い泉の清新さをいう。

青春とは 怯懦(きょうだ)を退ける勇気、

安易をふり捨てる冒険心を意味する。

 

ときには20歳の青年よりも60歳の人に

青春がある。

 

年を重ねただけで人は老いない。

理想を失うとき初めて老いる。

 

歳月は皮膚にしわを増すが、

熱情を失えば心はしぼむ。

 

苦悩・恐怖・失望により気力は地に這い、

精神は芥になる。

 

60歳であろうと16歳であろうと

人の胸には、驚異に魅かれる心、

おさな児のような未知への探究心、

人生への興味の歓喜がある。

 

君にも吾にも見えざる駅遥が心にある。

人から神から美・希望・喜悦・勇気・

力の霊感を受ける限り君は若い。

 

霊感が絶え、精神が 皮肉の雪におおわれ、

悲嘆の氷に閉ざされる時、

20歳であろうと人は青春にして己む。

 

霊感が絶え、精神が 皮肉の雪におおわれ、

悲嘆の氷に閉ざされる時、

20歳であろうと人は老いる。

 

頭(こうべ)を高く上げ希望の波を

とらえる限り、80歳であろうと

人は青春にして已む。

 

松下幸之助氏は、ご存じパナソニックの

創始者であります。

 

モーちゃんも33歳頃から貧乏を脱却し、

そこそこ成功を収めてきましたが、

40歳の時に狂牛病の風評で、2憶もの

負債を抱えたあとに、奈落の底に陥ち

るも、今でも志を捨てずに

その返済を続けていますパンチ!

 

モーちゃんは、前述のとおり、

裕福ではなかったところから

スタートしているので、更に貧乏に

なっても、また1からやればいい

 

男は、死ぬまでチャレンジする

そんなことを思っているんです。

 

そんなことを思って、中小企業を

救うことが自分の使命だと思い

志という松明の火を燃やし続けて

行きたいと思います。

 

ちなみに、幸之助氏は、生前

よく神社にお参りに行っていました。

 

この写メの浅草も大きなことを

する時によく参拝に行っていたようですドキドキ

 

 

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