ムスカの歴史講釈「真田幸村」 名前編
お久しぶりです^^
さや☆えんどうです
弊社の営業マンブログ で
上田・佐久の漫画を公開しました^^
上田を拠点にしていた、真田幸村と
その歴史を語る漫画・・・
その漫画を描くにあたって
趣味の歴史講釈 で知られる
弊社の経理のムスカ氏 が
真田幸村についての
解説を書いてくれました。
歴史がお好きな方も
そうでないかたも
楽しめるのではないでしょうか?
ムスカ のブログ:私釈☆歴史夜話
ムスカの歴史講釈「真田幸村」 名前編
質問者:織部梓(通称:あずにゃん)
宿題で戦国武将の事を調べてこいと言われましたので、真田幸村に関するエピソードがあったら教えてください。
回答者:ムスカ@経理
私に聞くと、通説ではなく裏街道ネタになるけど、それでもいい?
まぁ、少し手加減とかしてくれれば助かりますが。
最大限善処することを考慮しないでもないことを努力するさ。
(不安すぎます)
ではまずジャブとして名前について。まず真田幸村と言う人物は歴史上存在しない。
現在通称・幸村と呼ばれる人物は幼名は 弁丸、元服して源次郎信繁と名乗っている。ちなみに信繁と言うのは武田信玄の弟にして片腕としてその覇業を助けた武田信繁(幸村誕生時にはすでに故人)から貰ったとされている。
何かしらの理由で改名したとか。
例えば関ヶ原の戦いの際、父昌幸と行動をした際に、嫡男の兄・信之とは敵味方にわかれましたので、父の偏諱を受けて改名したとか。
それも考えにくいだろうね。
一般的に次男以降が長男に代わって当主またはその後継候補になってもわざわざ改名すると言うケースは稀だ。(例:毛利元就=次男)
そもそも真田家次期当主候補とするのであれば真田家の通字である「信」(武田家から頂いたもの)をわざわざ外すのは不自然すぎる。
だいたい大坂の陣の書状でも「信繁」だし。ちなみに大坂の陣の前に出家しているから法名:好白で「真好白」「真好白信繁」とかも名のっていたそうだよ。
あれ?幸村の父は「昌幸」には「信」がありませんけど。
まぁ「信」の字は武田氏から貰ったもので、しかも幸隆の嫡男である信綱からのものではあるのだろう。
だとしたら昔の時代にかえったのでは?
それこそ次男である信繁まで「信」を使わずにはじめから幸村あたりを付けるだろうな。そもそも父・昌幸からして真田家の跡取りではないんだよ。
それはどう言うことなのですか?
幸村の父である真田昌幸は真田幸隆の三男だ。そして幼年時代に人質として武田本家に送られていたわけだが…次男ならまぁ、スペアーとしてそれなりに大切可能性もあるが三男以下は正直邪魔なので、生涯冷飯食っているか、余所の所へ厄介払いと政略込みで養子に行くかになる。
毛利元就や織田信長の次男や三男、四男は、養子に行ったとか嫡男が無事成長しスペアーの意味合いがなくなった上杉謙信や四男だった今川義元が、寺にほうりやられたのがいい例だね。
行かなかった息子もいるようですが。
その場合はほとんど家臣扱いで継承権では後継者全滅とか後継者の養子などよほど事がない限りは発生しない。
これも例を示せば、江戸時代の将軍=徳川宗家の継承権がある御三家御三卿と、完全に家臣扱いで継承権がない松平姓の他の親藩との差みたいなものだ。
もっとも明確なルールや取り決めはケース・バイ・ケースなんだけど。
で、話を戻しますが、と言うことはつまり…昌幸は
武田信玄の母方の家の分家である武藤家の養子にとして元服後は 武藤喜兵衛昌幸となる。
なお、昌幸が真田の姓に戻ったのは1575年の長篠の戦いで上二人の兄が死んだ為=跡取りがいなくなったため。
そしてよく幸隆・昌幸・幸村で真田三代とか言われているけれど、厳密に言えば幸隆と昌幸の間にはもう一人真田信綱と言う人物がいるので「真田四代」と言うのが正しいとなる。
なるほど。
ちなみに幸村の生まれは1567年(一説には1570年)だから、
生まれた時は実は“真田“ですらなかった。
まぁ……それはさておくとして、なぜ「幸村」とか言う名前になったのでしょうか?
現在で分かっているのは1672年の軍記物語『難波戦記』は初出らしい。
改名された理由はおそらく、徳川の世で徳川家をボコボコにした人物を実名で出すのは問題があると判断されたからだろう。
そしてその本がベストセラーとなって世に広く知れ渡り、本名の「信繁」よりも物語上の名前である「幸村」の方が有名となった。
そのあまりにも知名度のお陰で幕府や真田家本家の歴史書にすら「幸村」と載る有様だよ。
つまり正史よりも創作物の方が有名になってそちらの方を・・・
某ゲームのように史実の人物を桃香とか華琳とか蓮華とか言っているレベルだね。
もう少しましな例えはないのですか…
まぁ、それはさておき、何故幸村なのでしょうか?
それもよくわかっていない。一説には「幸」の字は真田家でも使用されている通字であるので持ってくること自体はおかしくはない。
ただ、「村」諸説ありは姉の村松や、信繁の子孫が仕えた伊達家当主の伊達綱村、徳川家を呪ったとされる妖刀村正に由来しているとする説がある…が、まぁ諸説あってはっきりしたことは分からない、と言うのが現状です。
フィクションに何か具体的なものを求めるのもどうか…と言うものかもしれませんね。
~*~*~*~*~*~*~*~
次回 生まれと故郷編に続く
漫画 「上田・佐久 幸村500年の夢の跡」 もどうぞ^^
田舎暮らしの別荘・住宅は日本マウント株式会社
さや☆えんどうです
弊社の営業マンブログ で
上田・佐久の漫画を公開しました^^
上田を拠点にしていた、真田幸村と
その歴史を語る漫画・・・
その漫画を描くにあたって
趣味の歴史講釈 で知られる
弊社の経理のムスカ氏 が
真田幸村についての
解説を書いてくれました。
歴史がお好きな方も
そうでないかたも
楽しめるのではないでしょうか?
ムスカ のブログ:私釈☆歴史夜話
ムスカの歴史講釈「真田幸村」 名前編
質問者:織部梓(通称:あずにゃん)
宿題で戦国武将の事を調べてこいと言われましたので、真田幸村に関するエピソードがあったら教えてください。回答者:ムスカ@経理
私に聞くと、通説ではなく裏街道ネタになるけど、それでもいい?
まぁ、少し手加減とかしてくれれば助かりますが。
最大限善処することを考慮しないでもないことを努力するさ。
(不安すぎます)
ではまずジャブとして名前について。まず真田幸村と言う人物は歴史上存在しない。現在通称・幸村と呼ばれる人物は幼名は 弁丸、元服して源次郎信繁と名乗っている。ちなみに信繁と言うのは武田信玄の弟にして片腕としてその覇業を助けた武田信繁(幸村誕生時にはすでに故人)から貰ったとされている。
何かしらの理由で改名したとか。例えば関ヶ原の戦いの際、父昌幸と行動をした際に、嫡男の兄・信之とは敵味方にわかれましたので、父の偏諱を受けて改名したとか。
それも考えにくいだろうね。一般的に次男以降が長男に代わって当主またはその後継候補になってもわざわざ改名すると言うケースは稀だ。(例:毛利元就=次男)
そもそも真田家次期当主候補とするのであれば真田家の通字である「信」(武田家から頂いたもの)をわざわざ外すのは不自然すぎる。
だいたい大坂の陣の書状でも「信繁」だし。ちなみに大坂の陣の前に出家しているから法名:好白で「真好白」「真好白信繁」とかも名のっていたそうだよ。
あれ?幸村の父は「昌幸」には「信」がありませんけど。
まぁ「信」の字は武田氏から貰ったもので、しかも幸隆の嫡男である信綱からのものではあるのだろう。
だとしたら昔の時代にかえったのでは?
それこそ次男である信繁まで「信」を使わずにはじめから幸村あたりを付けるだろうな。そもそも父・昌幸からして真田家の跡取りではないんだよ。
それはどう言うことなのですか?
幸村の父である真田昌幸は真田幸隆の三男だ。そして幼年時代に人質として武田本家に送られていたわけだが…次男ならまぁ、スペアーとしてそれなりに大切可能性もあるが三男以下は正直邪魔なので、生涯冷飯食っているか、余所の所へ厄介払いと政略込みで養子に行くかになる。毛利元就や織田信長の次男や三男、四男は、養子に行ったとか嫡男が無事成長しスペアーの意味合いがなくなった上杉謙信や四男だった今川義元が、寺にほうりやられたのがいい例だね。
行かなかった息子もいるようですが。
その場合はほとんど家臣扱いで継承権では後継者全滅とか後継者の養子などよほど事がない限りは発生しない。これも例を示せば、江戸時代の将軍=徳川宗家の継承権がある御三家御三卿と、完全に家臣扱いで継承権がない松平姓の他の親藩との差みたいなものだ。
もっとも明確なルールや取り決めはケース・バイ・ケースなんだけど。
で、話を戻しますが、と言うことはつまり…昌幸は
武田信玄の母方の家の分家である武藤家の養子にとして元服後は 武藤喜兵衛昌幸となる。なお、昌幸が真田の姓に戻ったのは1575年の長篠の戦いで上二人の兄が死んだ為=跡取りがいなくなったため。
そしてよく幸隆・昌幸・幸村で真田三代とか言われているけれど、厳密に言えば幸隆と昌幸の間にはもう一人真田信綱と言う人物がいるので「真田四代」と言うのが正しいとなる。
なるほど。
ちなみに幸村の生まれは1567年(一説には1570年)だから、生まれた時は実は“真田“ですらなかった。
まぁ……それはさておくとして、なぜ「幸村」とか言う名前になったのでしょうか?
現在で分かっているのは1672年の軍記物語『難波戦記』は初出らしい。改名された理由はおそらく、徳川の世で徳川家をボコボコにした人物を実名で出すのは問題があると判断されたからだろう。
そしてその本がベストセラーとなって世に広く知れ渡り、本名の「信繁」よりも物語上の名前である「幸村」の方が有名となった。
そのあまりにも知名度のお陰で幕府や真田家本家の歴史書にすら「幸村」と載る有様だよ。
つまり正史よりも創作物の方が有名になってそちらの方を・・・
某ゲームのように史実の人物を桃香とか華琳とか蓮華とか言っているレベルだね。
もう少しましな例えはないのですか…まぁ、それはさておき、何故幸村なのでしょうか?
それもよくわかっていない。一説には「幸」の字は真田家でも使用されている通字であるので持ってくること自体はおかしくはない。ただ、「村」諸説ありは姉の村松や、信繁の子孫が仕えた伊達家当主の伊達綱村、徳川家を呪ったとされる妖刀村正に由来しているとする説がある…が、まぁ諸説あってはっきりしたことは分からない、と言うのが現状です。
フィクションに何か具体的なものを求めるのもどうか…と言うものかもしれませんね。~*~*~*~*~*~*~*~
次回 生まれと故郷編に続く
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