ここのところ喉が痛かったのですが、今朝はすっかり回復。
青色申告作業の前にブログを書いているゴンチです
学校芝居
専門学校芝居
エキストラ芝居
それらを経験してきたワタシは、昨今の俳優の演技に苦言を呈してきた。
「大仰すぎる」んだと。
物語をみせていく中で、必要ならば大仰でもいいだろう。
だが、物語中全部が大仰でやりすぎだろうと思っている。
だから、不謹慎にもほどがあるを卒業した。
阿部サダヲ、宮藤官九郎が在籍する「大人計画」は、大仰な芝居じゃないと売れない劇団だと自負していたから、ずっとそういう芝居をしてきた。
ワタシは嫌いなんです。
ま、華がない劇団は、過激に行くか大仰にいくかしかないですから。
ま、そういう極端な事象が散見された時代でもありました。
大仰な芝居ってなんですか?
これはねぇ、しょぼい劇団に多いんですよ(笑)
しょぼい劇団の撮影をずっとやってましたし分かるんです。
小さい芝居をしても、舞台だと伝わらないから大きくやるしかない。
声も張る、仕草もデカく、表情も目を見開いたりする。
そんなヤツ、現実にはいないだろ!
と、拒否反応を感じた18歳のワタシは、芝居の魅力を感じなくなってしまったんです。
本当は、東京キッドブラザーズに入りたかったんですけどね。
そのためにバレエも習っていたし。
でも、大仰な芝居の恥ずかしさの壁を越えられなくて演技の道へ進むのを辞めたんです。
さっきこんな動画を観ました。
内藤剛のコメントは、今のワタシの感性にビンビンきました。
芝居は「虚構の中のリアル」なんだと。
大仰にしないと、客に想いが届かないんだと。
確かに、観客には感性の鈍い方もおられます。
そういった方には、大仰な芝居で大声の台詞じゃないとメッセージが届かないのでしょう。
ワタシ、この度反省しました。
芝居は、自分のためにするのではなくて、脚本を伝えるためじゃなくて、演出を届けるためでもなく、鈍い人にも届くように配慮して演技をするべきだと。
これに気づいた40年目の春。
内藤剛さん。
気づかせてくれてありがとうございました。
これで、演技の道を辞めた理由の不旋律が自分なりに整った気がします。
ゴンチが未熟だったんです。
ありがとうございました。
あ、不謹慎にもほどがあるじゃなくて不適切にもほどがあるだった(笑)
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全然興味が無くなったんでこの程度の扱いです(笑)