クリスマスイブの夜。
我が家ではローストチキンを食べたようだ。
私はタイミングが合わず、食べられなかった。
そして、一人動画を観たんですね。
神田伯山ティービー 畦倉重四郎「悪事の馴れ初め」第一席
いやぁ~、神田伯山の語りは芸術だねぇ。
こんなに上手に昔話を話せる人は他にいないんじゃないでしょうかね。はなさかじいさんとか舌切り雀とかも上手に話すんだろうな。
ラジオでは人の悪口ばっかり言ってるけど、そのギャップがスゴイね。
これだけ上手に講談ができるなら、悪態ついても許せますよ。
ま、ラジオの初期の頃の悪口は炎上商法でしたからね(笑)
講談を世に広めたいという思いからの悪口です。
講談って、敷居が高いなぁと最初は敬遠していましたけど、聴き始めるとすんなりと話の筋が入ってくる。これは話し方が上手なこともあるだろうが、落語とは話し方が全く違うことに原因があると思います。
そもそも、落語っていうのは「話し言葉」だけで物語を伝える話芸ですね。
状況説明をも話し言葉で表現します。例えばちょっと作ってみましょう。
「ああ、雪が降ってきやがった。こちとら財布の中身は空っぽだし女房は出て行っちまったし散々な師走だよ。こんちきしょう・・・」
てな感じ。
これを講談で伝えるとこんな風になります。
「時は正徳元年、父、畦倉重右衛門を亡くした重四郎が江戸を訪れておりました。師走の江戸は雪がちらつき大変寒い夜でございました。博打で一文無しの重四郎は女房に愛想をつかれ独り身で夜の街を歩いておりました。」
「こんちきしょう・・・」
てな感じでしょうか。
講談は、状況説明を解説のようにしてくれるんですね。
さらに、昔の話ですから分かりにくい言葉が出てきた時はわざわざ現代風に説明し直してくれたりします。
「時は正徳元年・・・ええ、正徳元年と言いますと今から300年くらい前の1711年の頃なんですね。皆さんご存じの大岡越前忠助が江戸奉行をしていた頃です。その大岡越前忠助が過去に裁いてきた罪人の中で八つ裂きにしても飽き足らないほどの極悪人が三人いると言われています。徳川天一坊、村井長庵、そして畔倉重四郎でございます。」
てな感じです。
話しの筋を外して説明をしていたかと思うと、スッと話の筋を本筋に戻していく。
自然に物語を聴いていられるんです。
この話は、神田伯山の講談ではなくて、例えとしての私の創作ですので勘違いなさらないでください(笑)
落語は話し言葉だけで語られますので、ちょっと無理というか不自然に感じる時があるんですね。
「ああ、雪が降ってきやがった。こちとら財布の中身は空っぽだし女房は出て行っちまったし散々な師走だよ。こんちきしょう・・・」
こんなに独り言を言って歩いてる(笑)
変ですよね。
落語の登場人物はおしゃべりな人ばっかり出てくるんですよね。
人物描写がいつもおしゃべりになっちゃうんです。
ところが、講談ですと説明はナレーションがやってくれますので、登場人物は必要な感情のこもったセリフだけを言えるから登場人物の人格が研ぎ澄まされるんですね。
講談は、大人に絵本を読んでもらうような感じですね。
読み聞かせそのものだと思います。
子供に分かるように聴かせる。
だから、話が入ってきやすいんですね。
畦倉重四郎という話は初めて聴きました。
大岡政談の一つなんだそうです。
大岡政談というのは、大岡忠助の活躍ぶりを後世に伝えようと講釈師たちが広めていった物語の数々を言います。
連続物ということで、元々は23話だったんですけど、神田伯山の師匠・三代目神田松鯉が現代に合うように19話構成にしたんだそうです。
19話~!
長いぞ!と思うんですけど、一話が大体20分くらい。
それを細切れで聴くのは、トイレが近い私には丁度いいんですな。
さて、今日のところは パンパンッ! ここまで。
