ただその週は自分も周りも色々な変化があり、とくに頭が疲れていたんですね…思い切って土日はみっちり休むことにしたのです。
土曜はひたすら、ゴロゴロと。日曜日は、少し動きたくなりました。
とにかく頭を使わないことが先決です。なので着物を着て、銀座に出ることにしました。
着物を着るときはとくに、頭の思考より身体のほうの感覚が優先になります。着るときの手の動きとか、帯は体のこのへんとか、身体感覚が研ぎ澄まされて頭の思考回路がお休みするんです。
銀座では、私の好きなブランド…イッセイミヤケ、銀座コムサ、アクリスなどを見て回りました。着物を着てしまったので、当然試着をできず、ウィンドウショッピングでしたが。
そして、銀座のコシノヒロコへ。ここでは、地下一階にギャラリーが併設されています。日曜日は休廊のはずなので期待してなかったのですが、この日だけ、なぜか空いていたんですよね。
テーマはなんと、コシノヒロコと着物。
コシノヒロコさんが自分で絵付けをされた着物が展示されていて、素晴らしかったです。
ずっと気になってたんです。
1977年に東京コレクションでデビューをし、1982年にパリコレに参戦。
この約1年前にコシノ邸竣工。
おそらく、コシノ邸を計画する頃には、パリコレへの目標は見据えていたはずです。このタイミングで建てたのか…という、ある意味純粋な驚きと興味がありました。
依頼したのは、当時無名の若かりし安藤忠雄。
住吉の長屋でデビューし、光の教会でさらに注目を集める過渡期の建築として大変重要な意味を持ちます。のちに安藤は、コシノヒロコ邸の実験が光の教会に繋がったとはっきりと述べています。
その記事には、
約一億円超の竣工費、その頃の総資産からして自殺行為だと税理士さんから咎められたこと
それでも自分の可能性、パリコレ後の成功の可能性を信じて決行したこと
コンクリート打ちっ放しの家、冬は特に厳しく暖房費を抑えようとスキーウエアを着ながら暮らしたこと
それでも、日本の四季を肌で感じられ、それが創作に確実に繋がったということ
などなど、コシノ邸の背景を伺い知ることができました。
成功するかしないかわからないときに、あえてリスクを負いながらも、自分の住まい、創作の拠点を整えることの重要性を学んだ気がします。
創作をがっつりやる場合は、芦屋の山奥のような自然に囲まれた場所を住まいの場所とするのもいいかもしれません。ただ私はおそらく、こうしたデザイナー、クリエーターをプロデュースしたりサポートする側としてしばらく身を置くつもりでいます。なので、都心を拠点にとは考えています。
しかし、このコシノヒロコのマイホーム観、私にとってインパクトの大きいものでした。
なんたって、79歳バリッバリ現役のデザイナーの暮らし、そして創作の拠点ですからね!

