私の行動が引き金で、法事の席の帰り際に夫が声を荒げたり、暴力を振るわれてしまったりということがあり、法事の席なのに挨拶もせずに帰宅したということがあった。
そのことについて、表向きは、私の夫が私の両親へまずは謝罪すること、それに加え、私の行動の反省を促すために実家に滞在することになった。
結局、5日間、実家に滞在することになった。親との向き合う課題を以前実行したときは少し消化不良があったのだが、思わぬ形で親と対峙することになった。
両親の人となりを、”父”、”母”という枠から外してあらためて見れたことはとても大きい。
父に対しては…
あらためて父の人生をトレースすると、結構ぶっ飛んでいるし、割と好き勝手やってきている。興味の対象は違えど、このぶっ飛び具合。主流からかなり外れた人生経験…この親にしてこの娘ありという感じがして、ある意味、親近感がわいたのですよね。
”いい大学”は出たが、就職した会社を1年で退職。家庭教師で生計をたてる傍らインド哲学に目覚め、まだ海外旅行も物珍しい時代に、インドへ長期旅行。40に”ようやく結婚。”
滞在中には、インド宮殿へ招待され、当時のインド首相(ちなみにガンジーの娘)と握手もしたほど、日本人がインドへ来ることもレアな時代だったようだ。
正直あんたに言われたくないというか…どの口がwww!!というか…受け継いだDNAだよね。
母親については…
幼い頃の母親との関わりは常に叱られていた記憶しかない。褒められたことはほぼなかったが、親にとっても私にとっても第一志望のところに合格した大学受験は唯一喜んでくれたかな。
今でもそうなんだけど、とにかく常にガミガミ叱られていたし、そういう記憶しかない。お陰で?幼少の頃は、引っ込み思案なおとなしい性格だった。無口故に喋りなさいと叱られ、喋るとまたおそらく内容や話し方などがおかしいなど叱責。中高のときいじめのことを相談したら、社会に出たらそんなのどこでもあると叱られたことはやっぱりショックだった。
母親には何でも相談できる、というような人に会うと、驚きしかない。
ただしかし大人になり、一人の女性としてあらためて母の人生を考えると、私には考えられない色々な気苦労があったのだろうと思う。
私が生まれたのとほぼ同時に祖父が亡くなっている。父は母(私にとっての祖母)を放っておけないと、母の意向とは反して同居を開始。この祖母というのがやはり、とてもいい家の出身で、自分のことはすべて女中(いわゆる住み込みお手伝いさん)がやってくれたと豪語。こんなお姑さんがいるなかで、毎食ご飯を作り、家を整えながら子育てをしていた。常に気を張り、気を使っていたのかと思う。
祖母は私をすごく可愛がってくれたし、祖母に対しては本当にいい思い出しかない。それもそのはず、私に何か問題があるとき、直接叱ることはなく、すべて母にクレームが来たという。母は常に女中扱いだったと語っている。
お見合い結婚の父と母。
この女中扱いが辛く、母の母(私の祖母)に愚痴ったら、あんたは、〇〇(父の名前)と結婚したのではない!〇〇家の財産と嫁いだの!我慢なさい!と突き放され、ぐっと堪えるしかなかったと言っていた。
ちなみに、母はスチュワーデスになりたくて試験まで受かったのだが、両親に反対されて就職を断念している。
とにかく、いつもちゃんと、しっかりと。
それが私への最大の愛情表現としての注意、叱責という形でダイレクトに繋がっていたのかと思う。私にとっては辛かったけど。
昔の話や私が満たされなかったことを打ち明けるなかで、最後に私の表現力や受け止め方が乏しかったんだね、ぼろと言ってくれた。いつも怒りがあって、自分でもなんで怒っていたのかわからないときもあったと。