外は明るかった。9時なのだからあたりまえだ。話し声が聞こえる。早くも下山してきた人たちがいるらしい。


起きてすぐに支度を整える。


良い天気だ。


決めた通り、朝食は抜き。家からポットに入れて持ってきたコーヒーを少し飲む。


急いで準備したので、9時半には車から出発できた。


ツェルトと非常食、重りがわりのガスとコンロ、コッフェル、水、ファーストエイドと予備のバッテリー、靴ひも。あとは防寒具を突っ込み、ピッケルをザックにくくりつけ歩き出す。


ピッケルは、カンプのアルピナ。


小さめのピックと、細めのシャフトがやや心細いが、その分軽い。この季節に持つピッケルとしては具合がいい。長さも60cmあるので、杖にもなる。


アイゼンがないことだし、車に積んである軽登山靴を履いていこうか悩んだが、冬靴を選ぶ。図らずもシーズン前の足慣らしになってしまった。


今回の課題は、ゆっくり歩くこと。汗をかかない程度。心拍数の目安は120から140とし、心拍計を装着してスタート。


駐車場から少し歩いて登山口。


そこで、今度は車にサングラスを忘れたことに気付く。急いで出発した意味が全くなかった。自分に呆れながら、取りに戻る。


登山口からしばらくは、なんとものどかな道。木漏れ日ハイクという感じである。


やがて傾斜が少し強くなる。

油断すると心拍数はすぐに上がり、

140を簡単に変えようとする。


ペースを落とし、

深呼吸しながら登って心拍を落ち着かせる。


ゆっくり登っていると、後から来た中高年の夫婦に抜かれた。


いつもなら、後続に抜かれないよう、ペースを上げてしまうところだが、今回は、他人に惑わされないよう、ひたすら自分の心拍に集中して歩く。


その後も、何人もの人に抜かれる。

相当ゆっくりペースだ。


それでも、少し大きい段差を越えようとすると、心拍数は140を越えてしまう。その度に、さらにペースを落として、130くらいまで落ち着かせる。


そんなふうに歩いていると、なぜか、周りの景色が妙に目に飛び込んでくる。なぜだろう、ひどく新鮮な気がするのだ。


ゆっくり歩いているから、周りをよくみる余裕があるのかもしれない。


とにかく、のんびり歩く。


斜度はそれなりにあるのだろうが、それだけゆっくり歩いているので、汗は全くかかず、快適そのものではある。


ふと、山の先輩のことを思い出す。たくさんのことを教えてくれたOさん。最後は喧嘩別れのようになってしまったけれど、大恩人である。


自分も若かったな、と反省。


そのOさんだが、もともとガイドをされていたせいか、とにかく周りへの目配りがすごかった。


パーティに少しでも不安を感じさせるメンバーがいると、微妙なところでは近くで声掛けをし、手を貸したり。リーダーはどうあるべきかも、ずいぶん教えられた。


本当はまだまだ教わることがあったなあ、などと考えながら歩く。


一方、肝心の雪だが、残念ながらほとんどなく、冬靴が傷んだら嫌だなあ、なんて貧乏性なことも思う。途中からようやく雪も少し出てきたが、基本、夏道のような状態。



樹林帯を抜けたところで、ようやく雪山らしくなる。ここでピッケルをザックから外して、手に持つ。


雪の間から岩がごつごつと出ている。足元が滑らないように、ソールにしっかりと荷重をかけて歩く。


相変わらずの快晴で、南八ヶ岳の山々がよく見えている。



アイゼンを忘れなければ、今頃は、あっちだったなあ、と思った瞬間、自分がなぜOさんを思い出したかわかった。


初めて、Oさんと八ヶ岳に行ったとき、、、その時は、Nさんという、これまた大変世話になった大先輩もいらして、行者小屋のテントでしこたま飲んだ翌日、Oさんはアイゼンを忘れてたことに気付き、そのまま下山されたのだった。


あの時、アイゼン忘れるなんて面白い人だなあ、と笑っていたのだが、自分もまた同じことをするとは、これは光栄と思うべきなのか。


なんて一人で笑いつつ歩く。頂上直下でいく人かの下山する方達とすれ違う。みな、天気が良くて嬉しそう。


登頂は13時。なんと3時間半かかった。いくらなんでものんびり歩きすぎたかもしれない。


広い山頂をのんびり散策する。北アルプスがよく見えるところまで行き、ケルンの横で休憩。カップヌードルを食べたかったが、今回の目的に反するので我慢し、コーヒーのみ口にする。


しばらく休んでいると、登山者がお一人、登ってこられた。ほとんど人が降りてしまった山頂にいたせいか、妙に親近感を感じる。せっかくお一人で楽しんでいたところに申し訳ない気もしたが、声をかけて写真を撮っていただく。


さて下山、と思ったところでハプニング。


新たにお一人登ってきて、携帯が落ちていませんでしたか、と尋ねられる。


一面の雪ならともかく、岩と雪との間が隙間だらけの山頂である。なかなか見つからない。その方の携帯に電話して鳴らしてみようとしたが、私のソフトバンクは残念ながら圏外。山に強いドコモにしていなくて申し訳ないことをしてしまった。


その方もショックであったようだが、やむなく諦めて下山された。財布などは落とされていなかったのが救いであった。


かくして14時過ぎに下山開始。


下りものんびりと降る。シャリバテの前兆はない。やはりこのペースだとエネルギーはグリコーゲン主体にはなっていないようだ。


ただ、大きな段差を降りる時の踏ん張りが、心持ち弱い気がする。そこで大腿四頭筋の負担を減らすために、股関節の屈曲を強めにして降りてみる。しかし、これだと上半身の動きが大きくなって、今日のような日帰りならともかく、重い荷物を持った時にはあまりよろしくない。やはり、大きな段差では、オーソドックスに足の向きを横にして、降りる足を後ろ気味に下ろして膝の位置を調整しながら歩く。


傾斜が緩くなったところで夕暮れになる。南八ヶ岳の山々も夕陽に染まっている。



最後の緩やかな下りを、赤く染まる山々を眺めながら気持ちよく歩き、車に到着。16時40分であった。朝から何も食べずに動いたが、特別にお腹がすいた感じもしていない。ゆっくり動いていると、逆にお腹が空かないのだろうか。


今回の目的である、空腹で動くこと、脈拍を上げないこと、汗をかかないことは、おおかた達成した。ただ、この歩き方では思っていたよりもずっと時間がかかってしまった。


せっかく長時間行動が可能になっても、スピードが遅くなりすぎて、それ以上に時間がかかってしまうようでは本末転倒ではある。このあたりのバランスをどう考えるべきなのか。


とは言うものの、還暦近い体で、かつ、何十年もきちんとした有酸素トレーニングをしていなかった身では、急に心臓に負担をかけるようなトレーニングは無謀な気がする。


やはり、今回のようなゆっくりペースで、無理なく登るべきなのだろう。とはいえ、今回のような食事抜きの行動は、長丁場になると危険もあるかもしれない。


いくつかの課題は後に残しつつ、今回の山行は終了とし、車で帰宅。途中の展望台からの景色が素晴らしかった。