昨年の6月、
海谷というエリアを教えてくれた人と駒ヶ岳から眺めた阿彌陀山。
双耳峰でかっこよかった。
「登れますよ、雪稜です」
その言葉が始まり。
自分では得られない経験をいつもさせてくれる人。
そのタフネスさと情熱が、
同じ山を愛するものとしてとても羨ましくて、
少し嫉妬を覚える。
私にはないものを持っている人。
頚城は、天気的には2日間ほほ笑んでくれた。
ただ、2月とは思えない高温ではあった。
秋に登った鉾ヶ岳、権現岳が向かいに見えていた。美しい山容。
新潟らしからぬ青空垣間見える中、
深く重たい湿雪のラッセルで幕場であるコルへあがると、
広大な頚城の山々広がっていた。
明日はどうだろうか。
無風の稜線テント泊はとても快適で楽しかった。
翌日は灰色の空の下、雪稜をたどっていく。
途中で重さに耐えきれなくなったのか、
崩落した頂稜の雪庇の姿を見た。
あれをくらったら死んじゃうね、と顔を見合わせた。
徐々に青空に変わり始めた。
山肌にパカパカあいた雪のクラックを眺めて
私には登れないかもしれないと思った。
トンガリピークにむけてリッジが細くなる頃、
ちょっと不安。。と私が伝え、
支点がとれない箇所でのロープをどうするか話し合った末、
繋いでもらうことにした。
ラッセルはパートナーがほぼしてくれていたのだけど、
行けそうだよってことでとんがりピーク手前で代わってくれた。
けれど、あとちょい、ピークの5mくらい手前だろうか、
あがれなくなった。
最初はよくわからなかった。
頭より上の雪を横にしたピッケルで崩して踏み固めていたのだけど、
少し硬い層が出始めたのとともに、傾斜がきつくなって必要な雪の量を崩すことができなくなったのだ。
交代してもらうと、
彼はスコップで掘ってラッセルして抜けていった。
こんなシーンに立ち会うことがあると思っていなかった。
「ここまでにしましょう。」
地図にしたらあとほんのちょいのところにある烏帽子岳のピークは、
ものすごく遠いものに思えた。
そして、敗退を決めてくれたことにホッとした。
ただただ広大な頚城という静かで美しいエリアに
自分達しかいない時間を楽しむことはできた。
帰ろう。
背を向けると、待っていたかのように烏帽子岳はガスを纏い始めた。
ドラマチックすぎる。
自分にとってはここが限界だ。
リベンジをしよう、なんて到底言えない。
そういう手の届かない山があるってことを知る、
そんな山行に連れてきてくれたパートナーに感謝しかない。
見上げた山頂はあまりに怖くて美しかった。
それでも、降りながら、山にまた登りたいと思った。
☆2023年2月23~24日
砂場~コル~トンガリピークにて往路を戻る