『ある男』を読んだ | FLY HIGH

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登ることは生きること。後悔をしない毎日を。

『マチネの終わりに』『空白を満たしなさい』
と2冊立て続けに平野啓一郎さんの本を読んで、
今日は『ある男』を読み切った。


以前、なにかの折に、
この『ある男』という本を知り、
でも、読むに至らなかったことがあった。

けど、この夏自分におきた出来事によって、
巡り巡って
この本に再会することとなったわけだ。

あまりにその世界に引き込まれて
『空白を満たしなさい』を
一晩と翌日で読み切ったあのスピード感に比べると
今回は数日に渡り少しずつ読み進めていたのだから随分と失速感がある。

まぁ、ところどころ内容が難しかったのと、
その2冊の間の平野さんの文章の書き方の変化、
もしくはその本の内容の性質によるのかな
と思った。

3冊に通じて感じたのは、
終わり方に全ての終わりを持たせていないことによるモヤモヤ感を残していること。

良く言えば、読み手に委ねられている部分がある。
悪く言えば、読後感に爽快さがない。


でも、
物語の進め方・組み立て方、
垣間見える考え方の根底への共感、
そしてなにより、
言葉の選び方、表現が美しいと思った。


ある男を通じて問いかけられていたのは
愛に過去は必要なのか、
ということだったのだけれども、
物語を読み終えて、
愛は未来に紡いでいくもの、更新されていくものだ、と受け取った。


私自身、
人を肩書きや経歴では判断したくないと常日頃思っていて、
かつ、私がこの目で見たモノ・コトから
私から見える相手の人物像を形成していきたいと考えている。

ただそれは、圧倒的な情報量不足だし、
こと、対人関係では失敗や後悔をかなり重ねてきているので、
もはや自分が見ている世界が全て正しいとは思っていない。


けれど、相手と自分が今から未来を共に過ごすのに、
果たしてそれまでの相手のやってきたことというのは
それほどまでに重要なのだろうか、と考えてしまう。

勿論、
ルーツとかの相手の生きてきた環境を知ることで、より深く理解したように思えることはあるかもしれないけれど、
それは、語られた過去が正しいというのが前提となって思えるだけなのではないか。


本当に大切なのは
これからをどういう姿勢で生きるのか
に尽きるんじゃないだろうか。


傷を負って生きてきた人が
誰にも傷を負わせないかといったら
そうではないことを知っている。

傷を負って生きてきたからこそ
自分を愛したくて
誰かを傷つけたとしても
もがくのかもしれない。


もうこれ以上
誰かを傷つけたくないし、
自分のことも傷つけたくない。

もしかしたら、私も
『ある男』になりたい人間のうちの一人なのかもしれない。




2019.11.24