新生児にも、夜泣きという言葉は当てはまるのだろうか、と考えていた。
調べてみると、夜泣きとは生後半年以降、特段の理由もなく泣く現象を指すらしい。
そうであるならば、今この子の泣きは、まだ夜泣きではない。
理由はある。
空腹か、あるいは不快か。
いずれにせよ、生理的な要求であって、不可解なものではない。
それでもなお、夜は分断される。
二、三時間おきに泣き声に呼び起こされ、そのたびに一時間ほど対応する。
これは、やはり堪える。
私はもともと睡眠に難がある。
長らく、心療内科で処方された薬に頼って、ようやく眠りに就くという状態を続けてきた。
眠るということそれ自体が、努力の対象であった。
そうして整えてきた生活が、いま大きく揺らいでいる。
無論、子に罪はない。
むしろ、その泣き声はあまりに正しく、あまりに健やかである。
それでもなお、どこかで生活を乱されていると感じてしまう自分がいる。
そう感じること自体、どこか陋劣なのではないかと、内心でためらいもする。
しかし、それもまた事実である。
子はただ生きている。
昼も夜もなく、必要に応じて泣き、満たされれば眠る。
その一方で、私は夜を失っている。
そう考えると、「夜泣き」という言葉は、やはり子の側ではなく、親の側の言葉なのだろう。
夜に起こされる者が、それを夜泣きと呼ぶ。
名付けることで、ようやく耐え得るものにしているのかもしれない。