漢字検定を受験するようになって、もう20年くらい経つだろうか。

 

 

辞書を眺めるのが好きで、漢和辞典をよく開いては適当に読み漁っていた。

検定に合格するためにと、漢字の勉強をいざ始めると、その膨大な範囲に驚いた。

準一級を受験するようになったのは、高校生の時で、7割程度の得点率だったと思うが、合格には至らなかった。

私はそこまでの級を比較的順調に合格していたので、準一級の不合格にあたって、合格に至るまでの長い道程を強く感じた。

今の私では踏破できない、そう確信して、漢字の勉強はやめてしまった。

 

そうして、大学は薬学部に入学し、次第に難解な専門科目の単位も取得しつつ、自分は覚えようと思えば、努力すれば覚えることができるのではないかと感じ始めた。

それでも、薬剤師国家試験の高い壁を越えるには、何かきっかけが必要だ、どうしても自信が持てないと思った。

かねてから、自分には精神的に虚弱な部分があると思ってはいたので、自信をつけるための何かを必要としていた。

なお、後年、その予想は鬱病という形で見事に的中することになるが、それはまた別の話だ。

 

大学5年の頃、薬剤師国家試験を目前に、勉強習慣と何かの自信を身につけようと考え、漢字検定準一級の勉強を再開した。
ちょうど、福祉の学部出身の友人が、国試浪人で勉強をしたがっていた時期だったので、一緒に勉強もした。

片方は目前に迫った国家試験の勉強を、もう一方は国家試験を一年後に控えながら、直近の漢字検定の勉強をする、なんとも味わい深い空間であった。

 

 

結論、私は準一級に合格した。

ここで勉強習慣を身につけて、その後薬剤師国家試験も無事合格、大学院に進学…と、ここまでだけなら、漢字嗜好の薬学生の美談として容易に納得できる物語だ。

だが、合格の要因の一つは、今日の主題にもあるように、物語の外側にあった。

 

準一級の勉強において、私は旧字体に苦い思いをしてきた。

一度勉強したものを、しかも日常生活にあまり役立たないと思われるものを勉強し直すことが、なかなか思うように捗らなかったのだ。

大学生になってから、どうやら出題範囲というか、問題に関して制度が変化したようで、旧字体に関してはほとんど問われなくなっていた。

 

当時は喜んだものだったが、それでも旧字体の勉強は疎かにしたままであるという気持ちが残っていた。

 

 

今、今一度、勉強をし直す意義はどこにあるか。

趣味の延長でしかない漢字に対して、やはり趣味でしかない旧字体の勉強をして、何になるのか。

好きだからやるのか、やるから好きなのか。

 

今日も、そういったどうでもいいことを考えながら、机に向かうのだった。