玉井春太郎
郷土の恩人第三代余土村長 氏は元治元年余戸竹の宮、 二男として生まれ、晴太郎が戸籍上春太郎になった。幼児の頃は近所の人々から {セータン、セータン」と呼ばれていた。 明治二十年頃、佐伯家の養子となり、後離別して玉井氏に復した. 明治二十年から三十年頃まで、愛媛県警察官であった。黒田政一前松山市長も警察官で当時の知人であった。 その後伊予鉄道会社に勤務して松山駅長をしたことがある。少年時頃から森 盲天外氏と交友関係にあり、森 盲天外村長の後を継いで,三代目の村長になった。明治四十年十二月二十五日から大正四年十二月二十四日まで二期八年間務め村政に貢献された。村長退職後は,潮見吉藤に転任して大正十二、三年頃まで、伊予織物同業組合の副組合長として第一次大戦末期の短い好況期につぐ、戦後の大不況期、久留米絣との競争特許問題で非常に苦辛された。 以後は若干の柑橘園を栽培していた。 村上霽月、森 円月、千賀愛人等と書画等で往来していた。朴人、青旦(晴太郎のセータンに由来する)と号していた。 昭和二十二年三月十九日歿し行年八十四才であった。