大好きな本を手にとって


それだけで 

あんしんできるというか

お守りのように感じたりします。


とくに人の多い場所や

慣れなくて落ち着かない場所なんかには

必ず本を持って出掛けるのだけど
(ほぼいつでもなきがする)






こんなにも

ぴったり しっくり スッキリと
自分の感覚に近い考え方や感じ方
心で覚えている景色を

呼び覚ます文章ってすごいなあ


とおもったので

きょうはちょっと その本から抜粋。




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子供の頃からあって、今も変わらずにあるあの気持ち。

影のように湿っていく公園の木や、どこかの家からもれてくる煮物のにおい。
お風呂のシャンプーのにおい。
雨が近いような、なま暖かい夕方の風。

そんな小さなことがきっかけで、それは足もとから立ちのぼってくる。
霧のようにふわりとたちのぼり、
ぐるりと私をくるむ、あの気持ち。

胸がぎゅっとして、泣きそうになる、あの気持ち。
去年もあった、おととしもあった、そしてもっともっと前にもあった。
もしかしたら、生まれる前からずっとずっと知っている何か。
あれは、何なのだろう。

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季節の変わり目の風が吹くだけで、
胸に切ない何かがつき上げてくる時、私の隣に、小さい時の自分や、
去年の自分、中学生の時の自分などが立っている気がする。

その透明な自分の分身たちが、どうしてやってくるのか。
どうしてそんな気持ちになるのか。
わからないことには変わりがないけれど、
今の自分もいつか、未来の自分の隣に立つ瞬間が来る。

そう思うと、今の今と、そして過去のすべての瞬間が、かけがえなく思えてくる。


     (おーなり由子著「きれいな色とことば」より)

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きょうは 中秋の名月という特別な夜で


いつもはフルムーンライブを、どこかでやっていて。



秋のはじまりの 涼やかな風を吸い込むたびに
なんとも言えない切なさが込み上げてくるのは毎年のこと。


これは毎年の夏の終わりから秋の始まりにかけて、
(寒くなってきた冬の始まりでも、春の夜にも
すこしずつ色合いは違いつつも、毎回味わう感覚。)

わたしにとっても、この切なさは、いつになっても正体がわからないけど
(わたしはこの感覚を夕轟、”ユウトドロキ”と呼んでいる)


こんな夜に、みんなも同じ風に感じていたりするのかな、
去年の私たちは、たしかにライブで同じ時間を過ごしていたんだよね、と
去年や、おととし、過去の自分たちと重なって、、、、





このことを頭の中に、そしてこの本を片手に持っていて


不思議としっくり、今の気持ちと繋がるなあ、
と思ったのでした。









中秋の名月、おめでとう。



ああ、

明日、というわけにはいかないけれど、、、


会えるのが楽しみでたまらない!!!!!