なにかを手に入れることは、
なにかを失うことだ。
なにかを失うことは、
なにかを手にすることだ。
この考え方でゆくと、
生まれてこの方、
命を授かる代わりに
母の身体の中で味わって居た
絶対的な安心感を失ったあの日から
なにも増えてないし、
なにも減って居ないことになる。
わたしたちは、なにも持っていない。
持っているような気がしているだけだった。
わたしたちは、一人で生きてゆく中で孤独や寂しさを感じ、誰かと寄り添い
また1つになれる相手をずっと探して居るし、きっとそうなれると信じてやまない。
渇いて渇いてどうしようもない、
自分の中を満たすために、
外の世界から必死で様々なものを掻き集めて、集めて、集めて
結果、ガラクタの山の上で
物質的に満たされることが、
本当の答えではないと、
知ることになる。
外の世界を満たすために、
自分の内側にある世界を見つめ、
そこで生まれた想いをエネルギーに、
誰かのために生きるようになる。
エネルギーの矢印は、本来自分の中心を向かって働くものではなく、
世界へ向けて外側へひらけてゆくためのもの。
そんなことをふと思った、
夜桜の道。
桜の花びらが重力によって
舞い散るように、
多分想いのエネルギーにも、
向かうべき方向がある。
ような、きがする^_^