親はいいんですよ「理解」できるから。


でも他人は初見ではわからない


息子は昔、「ブランコに物を乗せて揺らす」

又は「自分が乗らずに揺らす」のが好きでした。


でもこの「遊び方」だと普通の子供にしてみれば「遊んでない」って認識されたんですよね。


子「乗らないなら代わってよ」


と、言われた事があります。

一般的にブランコ=乗って遊ぶもの

と言う風に考えている方が多いんですよね。


なので、私は息子に

「ブランコは乗って遊ぶもの」

と言う事を強要していました。

(今は待ってる子が居なければ息子の好きな遊び方をしてもらってます)


これって「普通」の押し付けなんですよね。



ムスコ(о´∀`о)「ブランコを押して遊んでるからあと30秒遊ばせてね。」


って他の子に言える知能は無かった。


おそらく今なら↑ぐらいの会話を「覚えて話す」事は出来ると思う。


他の子から返された言葉に(どこが楽しいの?等)対して返答は難しいと思う。


自分のやってる遊びが他とは違い、

理由を言葉で説明しないと他の子達は

理解(納得)してくれない。


息子は説明しないといけない理由もわからないだろうし。


自分を客観視出来るようになる事も恐らくないだろう。


一方

健常~軽度の方は年齢と共に客観視が出来るようになり羞恥心が産まれ成長を何段階も早めるのだと思います。(ブロ友さんも書かれていました。)

だから地域の小学校に割り振られる事が多いのかと思う。


一方「客観視」を習得できない子の場合は

「人間らしさ」をルーティンとして落とし込むしか方法がないのかな…と思う。