関ヶ原 笹尾山 | もうちょまのブログ

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GW最終日の6日。滋賀県の長浜へ。


現在長浜市では大河『軍師官兵衛』にちなんで市内各所で黒田官兵衛関連のイベントを開催。


そもそも黒田官兵衛本人は長浜とはさほど関連が無いのですが黒田氏の祖は近江国伊香郡黒田村(現在の長浜市木之本町黒田)の荘園領主で黒田判官と呼ばれたそうで、現在、邸宅跡には、黒田判官を祀る御廟や先祖の地を顕す碑が建っています。


また、黒田官兵衛本人は織田信長の死後、羽柴秀吉と柴田勝家の織田家後継者争いの賤ヶ岳の戦い時に秀吉に従軍して戦いました。



あまり所縁としてはぱっとはしませんがそこは長浜市のPR力。近江商人の商人魂(?)で一大イベントを展開しています。


もっとも今回、木之本町は遠いので上記の二か所には行きませんが…(笑)


お城好きな子供達が行きたいのは長浜城。


 …が、しかし私の今回はそれよりもちょっと別の目的が…石田三成公の所縁の地を…、ということで長浜城を餌にちょっと寄り道です。


先ずは家から車で1時間弱の岐阜と滋賀の境の地、関ヶ原へ。今回は長浜メインですのであまり長居は出来ません。

天下分け目の関ヶ原の戦いにおいて石田三成公が陣を置いた笹尾山のみ。


私は中学生の時に来た以来です。

駐車場の前には馬防柵。三成公の旗印『大一大万大吉』白旗白旗の幟がはためいています。

私のプロフにもある私の好きな言葉ですが意味は

『一人が万民の民に、万民が一人の為に尽くせば世の中は吉となり、太平の社会が生まれる』

という、三銃士の1人は皆の為に、皆は1人の為に』に通ずるものがありますよね。

またラグビーでも似たような言葉があります。


笹尾山 参


良い言葉なんですが如何せん三成公。人望が無い…。

実際に関ヶ原の戦いの前、親友である大谷吉継は三成に対して


「お主が檄を飛ばしても普段の横柄ぶりから、豊臣家安泰を願う者、豊臣家子飼の者すら家康の下に走らせる。ここは五大老の毛利輝元か宇喜多秀家を上に立てて、お主は影に徹せよ」

と諫言したといわれています。

笹尾山 壱


三成公の陣跡には子供でも簡単に登る事が出来ます。そして登ると関ヶ原が一望出来ます。

関ヶ原の陣形図のパネルがあり

『あそこに内府(徳川家康)葵の紋が陣取ったか!!

『松尾山の金吾(小早川秀秋)が山を駆け下りれば内府の軍に詰め寄れるゾ!!

…なんて思いを描いていたんでしょう…。


笹尾山 弐


しかし、歴史はご存知の通り、裏切り、傍観…と西軍各軍は三成公の思うような動きをせず一日にして戦いは終わり三成公は伊吹山方面、自国の近江へと落ちていくのです…。


そして私達も笹尾山をあとにして滋賀県へと向かいます車


次回は三成公について綴ろうかな…。