とらつばが最終回だなんて朝をどう生きていけばいいのかわからない① | ぐるめ・ごちゃごちゃ考えるの好きの生活

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断捨離/物捨てなきゃ引越不可/物だらけ/プチ遠距離/顔合わせっていつ?/職場の一部以外に知らせたくない/しばらく別居婚/引越/手続き/お金

NOOOOOO!

渾身の記事消したーーーー泣

続けて②書くつもりで…!

調べながら書いたのにー。

 

思い起こして復活させてみよう。PCで。

(いつもはスマホで書いている。)

合っているか怪しいな。

流れぐらいは合わせよう。

 

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※長いですよ。重いですよ。

 

今日は虎に翼が最終回。

 

大体毎朝通勤時に聞いている。

 

聞けなかった日はNHKプラスで見逃し配信見ている。

 

虎に翼を聞けなかった日に見逃し配信見たいと思ってNHKプラスに入った。

 

 

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このドラマを思い返してぐっとくるところ、熱くなるところは随所にある。

 

今週で言えば、尊属殺重罰規定の違憲判決と山田轟だ。

 

尊属殺の重罰規定とは。「親族殺したから、他人殺すより罪を重くするね!死刑か無期懲役ね!」というやつだ。どうやらこれにより、情状酌量を考慮したとしても無期懲役か実刑になるということで、執行猶予などは存在しない。

 

親殺したから罪重くするね!なんていう時代があったのかと不思議なことこの上ないが、この判決の裏には(ドラマの役名)美位子による父親殺しがある。

 

美位子は長女として生まれ、沢山の兄弟の面倒を見てきた。父親は酒にくるっており、母親に暴力をふるう。美位子が14歳の頃、父親が母親の目を盗んで美位子に性暴力をふるった。それからというもの、父親から何度も暴力も、母親のいないところで性暴力も振るわれるようになる。母親は父親を口で止めようとするも止めきれず、何人かの子を連れて家を出る。そこから美位子は父親から実質妻のような扱いを受けることになる。家事も、暴力も、性処理も。美位子は(たしか劇中では3人と言っていたと思うが)父親の子を産んだ。時折家から逃げ出そうとするもわめきたてられ追いかけられて連れ戻された。それにより、もう自分は父親から逃げられないと思い込むようになった。

 

父親は相変わらずだったが、美位子は工場に働きに出るようになった。その中で自分は他の家庭とは違うということを感じるようになる。工場で出会った青年と惹かれ合うようになり、結婚を申し込まれた。父親に結婚する旨を話すと、子を殺して家に火をつけて自分も死ぬと脅され、監禁された。絶望した美位子は、あるとき酔っぱらって寝ていた父親を紐で手にかけたという話だ。胸糞なんていう言葉では表しきれない、胸糞オブ胸糞な事件だ。

 

よねさん(山田)も法廷で「くそだ」と言っていた(笑)※

 

こんな話が事実なんていうことが?と思う人もいるだろうが、実際の事件で、美位子は父親の子どもを5人産んでいる。これでもし「隣の家の人が相手だったら懲役刑(執行猶予もあるかも)だけど、父親だから死刑か無期懲役ね!」なんてことがあって良いのだろうか。

 

結果、法の下の平等に照らし合わせて、尊属殺による重罰規定は違憲という判決となった。その結果、美位子は執行猶予付きの懲役刑となった。

 

1950年、穂積先生が「尊属殺の重罰規定は違憲」と表明したときには2:13で通らなかったが、そこから23年、1973年には14:1で違憲という判決となった。そのとき通らなかったとしても、意見は残る。石を穿つ雨だれの1滴の重要性、そしてそれが後世をより良い社会に変えていくという穂積先生ラインの伏線を回収しているのかと、胸が熱くなった。

 

 

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山田轟は「推し」の1つで、山田も轟もそれぞれに好きな弁護士だ。彼らは主人公寅子と同じ明律大学の同級生。この事件だけでなく、「原爆裁判(原爆投下は国際法上違法であるのに、サンフランシスコ平和条約を結んで米国への賠償請求を放棄した日本に対して損害賠償請求を求める訴え)」についても関わっている。(これは山田轟が実際に手伝っているのかどうかまで、私は史実を追えていない。ドラマの中では引き受けた弁護士事務所とつながりがあり、手伝った形になっていたように思う。史実では、引き受けた弁護士の息子が弁論したとあったかと。)

 

日本政府は「原爆投下によって終戦が早まり、余計な犠牲者が減った」というような、原爆投下を正当化する主張をしたそうで。東京も空襲に遭っただろうに、原爆投下というイメージが沸かなかったのだろうか。聞いた被爆者はどう思うかという想像力もない。心無いとしか言いようがない。

 

原告団に法廷での証言を求めるもなかなか応じてくれる人がおらず。国に賠償を求めるのはやはり難しいという状況下で証言をすると申し出た1人の女性が、山田轟の元に上京してきた。「証言がないと裁判厳しいのかなと思って。誰かが証言しないといけないでしょ?」ぐらいの感覚でやってきた。轟ははなから止めた方が良いのではと言っていたが、よねさんも女性のその言葉を聞いて、「発言する女性に世間は厳しい。自分でぜひとも証言したいという覚悟でないのなら辞めた方が良い」と説得した。結果手紙をしたためて法廷で代読することになった。

 

その女性は20代前半で被爆。首から下を火傷した。夫との子どもを授かったが、生育状況が良くなく、何度か流産した。次こそはという思いで出産までこぎつけたが、乳腺が放射線でやられてしまい、乳が出なかった(とだけあったが、実際には子どもは亡くなっているのかもしれない。わからない)。とうとう夫も愛想をつかして離縁して出て行った。普通の暮らしをしたいという自分の願いが叶わない。この気持ちをどこに持っていけばいいのかという話だった。

 

私が子どものころに学んだ平和学習ではそんなことまで想像できなかった。もしかしたらそんな話もあったのかもしれないが、現実味がなさ過ぎて感じてなかったのかも。家や街、家族や知人が亡くなるとか、痛むとかのイメージだった。この原告女性も、もし自分が物理的に損傷しているだけなら耐えられたかもしれない。それが数年たって、やっと授かったわが子に乳を上げることができず、飢えに苦しみ弱る姿に何もできないのは耐え難く、溢れる気持ちのやりどころがなかったのだろうと思う。

 

 

準備手続きにも時間がかかり、合わせて8年の歳月がかかったとされている。結局訴えは棄却されたが、「原爆投下は国際法上違憲である」「(参戦しておきながら犠牲を多く払い、戦後の混乱期に国民に何も対応していなかったことなどを憂いて)政治の貧困を嘆かざるを得ない」という判決(1963年)となった。

 

これはその後の被爆者救済に影響を与えている。しかし日本はNPT(核兵器不拡散条約)には批准しているものの(※すみません、前回投稿時間違えてました)、核兵器禁止条約には批准していない。また、今月の長崎の被爆者認定裁判においては44名中15名を認定したものの、残りの29名は認定せず。さらには24日に長崎県・長崎市が「公平に認定することができない」という国の方針を受けてやむを得ず控訴したという話も。知らんがな、その辺は行政が何とかしーや。何十年経っとると思ってるんや。はよ。

 

 

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みたいに、ドラマに心を動かされて、まあよく調べた。

調べたから関心も深まった。

 

ドラマを見る前も、自分の今の環境は先人の奮闘の上に成り立っているというのを感じてはいたが、殊更それを実感するようになった。

 

自分はどういう雨だれの1滴になれるだろうか。

頭使って、声に出すことは声に出して生きていこうと思った。