日頃何か買い物をするとき、安ければ安い方がそれは当たり前に嬉しいし、特に何も考えることなく安い方を手に取る。
それを高い物を無理して買ったときのように大事にするかといえば、そうはしない。
値段なりの扱いをする。
人同様、物とも出会いであると汎神論的に考えるなら、とんでもなく冒涜的な思考、行動だ。
安く手に入れても、高価な物と同様、大事に使うべき。だとは思うがやはり心根がクソな僕は、安い物は安い物として安い扱いをしてしまっている。
少しヘタれば捨ててしまうし、使い勝手が悪いとこれもまた簡単に捨ててしまう。
経済成長を消費に頼り、大量消費を前提とした消費社会に生きていると、何かそのへんの感覚が麻痺してしまうけど、安くても素晴らしい物に囲まれて生活している。ひとつひとつの物に感謝を持って使っていかないとな。などと思うが、明日には忘れて安い扱いをしてしまうのだろう。
ならいっそ、高い物を買い揃えれば良い。
が、これも懐事情が許さない。
たとえ、懐事情が許しても、長年染み付いた安物買いの習性が安い物を探してしまうだろう。
少しの得をしようと思って、安い物を買い、安い扱いをした末、早々に捨てる。
少し高いが、大事に使うだろうと奮発し、長きにわたって愛用する。
どちらが良いか、自明の理なのだけど、この目は今日も安物を探す。何でや。どあほうが。
監督 鶴岡慧子
津軽塗の職人とその娘の話。
熟練の技とこだわり、熱意、作り手の想いを見てしまうと、それはもう大切にせざるを得ない。日頃、使う物に対して敬意が足りなかったな。と。
別に職人が作った物を使っている訳ではないけど、作られた物があるということは、作った人がいるということ。
物にも想像力を持って触れないと。
そんなことを。