ニャムがいなくなってから、私たちは2人と1ワンの生活になりました。

生前にニャムが私たち宛にたくさんの手紙を残してくれていたし、私と娘だけになってからの生活の事や仕事の事を一緒に考えてくれていました。

たくさん話し合って、どうするのが1番いいかを常に考えた7年半でした。


中学受験をすると決めたのは小学4年生のとき。
田舎暮らしなので、受験するのは学年に1人か2人です。
それでも頑張りたいというハムさんの気持ちを尊重し、一生懸命支えました。

てんかんの後遺症と視野の欠損があったので、片道約2時間かけての塾の送迎は私が頑張りました。
ニャムが亡くなってからも変わらず送迎生活をしました。
自分に何かあってもハムさんには変わらぬ生活を。
これは、ニャムと私の約束だったから。

辛くて何もかも投げ出したい日もあったし、1人で頑張れないと思った事もありました。

それでも、ハムさんが大学を卒業するまでは頑張らないといけないので、自分を奮い立たせている日々です。