父の転勤で、小6~中3を台湾の台北で過ごしました
(台北日本人学校があったのは、今世界野球プレミア12で試合をしている球場
のある天母地区。私がいた頃はなかった球場だけど、天母が有名になった気がして勝手に嬉しいと思ってます。)因みに、“天母”は日本人の呼び方で“テンム”です。
小5の時、台湾に一緒に行ってくれるかと父に聞かれた時、姉と二人でうんと返事をしました。でも、行くと決まってからもその当時は出来ればずっと通っていた茨城の小学校で小6も過ごしたかったし、運動会の鼓笛パレードで憧れてた小太鼓を叩きたかったし、卒業アルバムも欲しかったけど、家族で行くことに決まったのだから行かない選択肢はなかったです![]()
台北日本人学校に限らずだと思いますが、海外の日本人学校には日本全国から先生、生徒・児童が集まっていて、滞在期間は日本から来た先生の任期は3年だけど、生徒・児童は家庭の事情で入れ替わりが多かったです。台北日本人学校の校則は厳しくなく自由で、パーマやピアスやアクセサリーも禁止されていませんでした![]()
台湾時代のことを書き出したら止まらないのだけど、結論から言うと、行ったら行ったで本当に楽しかったから行けてよかったし、貴重な体験をさせて貰ったと思うし、今でもその時の仲間とは繋がりがあるのでありがたいです
20代の頃のいつだったかの同窓会では、台湾に居た時期が被ってなくても同じクラスになったことがなくても、同窓会で初めましてだとしても、普通に話せる雰囲気になるような仲間達という感じでした。ここ何年かは、固定メンバーで定期的に会う男女含めたグループがあるのだけど、いつ会っても変わらず飲んで食べて話せて、最後は決まって同じ台湾料理のお店に行って過ごせるありがたい仲間達です![]()