ごきげんいかがですか?君塚由佳です。
私は いちごが大好きで 地元の千葉ではいちご狩りを制覇しました(/・ω・)/
あらゆる品種を食べまくって ここ数年は ホテルのイチゴフェアで いろいろお料理されたイチゴを堪能しています。
以前 友人中島佐紀子さんと ヒルトン東京のイチゴバイキングに行きました。
中島さんは娘ちゃんと 私は長男を同伴して4人で新宿で待ち合わせ、繰り出しました。
おいしかったー!!
口直しのしょっぱいパスタや塩ポップコーンも用意されているのでいくらでも食べれました!
親子2組がスイーツに囲まれると 自然とお互いの親子関係の話題に。
私も中島さんも お互いに20歳で結婚した同志なのもあって、盛り上がりました。
感情表現が素直ですぐ顔に出る中島さんは、 ほんとーに子どもたちと共に育った親子。
結婚するまで「ただなんとなく」流されて生きてきた彼女は 子どもに「おかあさん」と呼ばれるたびに 自分を組み直していったようです。
娘ちゃんは若い母親を手助けしながら、自分の思うように生きる母の背中を追いかけ続けています。
本当にいい親子。
帰りにもう社会人となって 都内でシステムエンジニアとして働いている息子ちゃんと合流して中島親子3人で仲良く帰っていきました。
うちは・・・どうなんだろう・・・
正直、私はほとんど育ててないからなあ・・・・
なにせ夫の両親と祖父母、その上のおばあちゃんまでも一緒に暮らす大家族。
近所も親戚が住んでいるので いろんな人が手をかけてくれました。
「君塚の本家の子」として近隣みんなが 声をかけてくれたり、叱ってくれたり、ご褒美のおやつくれたり どこかに遊びに連れて行ってくれたり。
まあ、おかげで 私の子どもなのに 子育ての方針も全く立てられず、幼い息子たちと親子でいっしょにお風呂はいったのも2~3回くらい。
私も育児休暇を取らず、2回の出産のいずれも生後2か月そこそこで仕事に復帰しちゃったし・・。
ただ二人とも母乳で 小学校はいるまで私の胸にぶら下がっていたのと、
当時仕事をしていた会社が社内に託児所を設けていたので 毎日一緒に出勤していたこと。
職場環境は恵まれていて、個室もいただいていたので
よく私のオフィスに連れ込んで 膝の上で2人がケンカしているのを横目に仕事をしていました。
そして 息子の2人ともが 生まれつきの異常を持っていて 高度先進小児医療を行う専門病院 こども病院に通院や手術が必要だったこと。
(私が定年まで勤めるつもりだった会社を退社して フリーになったのも、きっかけは息子の通院のためでした)
まあ、もろもろいろんな状況が重なって 私と夫が「自分たちの子どもなのに 全責任を負う必要がない」状態だったので
かーなーり 特殊だとは思います。
確かに思うようにならないことも多かったし ほんとうにいろんな意味で「いろんな人が関わってくれた」ので
子どもに聞かせたくないようなことも防ぎようがなかったりもしましたけれど とにかく私自身にすごく余裕がありました。
妊娠中はニオイに敏感になって炊飯器も開けられないからご飯がほとんど食べられなくなったり
産後2か月で片道1時間半以上 電車に揺られて子連れ出勤とか、確かに大変なことも多かったけれど
育児ノイローゼとか 産後クライシスとはまるで無縁だったなあ・・・。
「うーん・・母さんに怒られたのは 幼稚園が最後だった」と言っていた長男に 中島親子はすごく驚いていたけど。
本当にいろいろやらかしたけど 「この子は私のことが好きだ。だから、この子なりに私のことを思ってやったことだ」と信じて疑わずにすんだのはラッキー。
だから怒る必要がなかったの。
そして、それは私自身の 親に対する気持ちのわだかまりを解消することにもなりました。
私は母とは本当に殴り合いのケンカもしょっちゅうで、このままじゃいつか殺し合ってしまうと
寮のある私立中学に途中編入して それっきり家族とは一緒に暮らせなかった人です。
もともとの家族とは14歳で終わってしまった私が まともな家族を自分で作れるなんて想像もしていなかったけれど
子どもに恵まれて 毎日「これでもか!」と 無償の純粋な好意を与えられ続けて
そうか、子どものころ私も母をこうやって愛していたんだなあと 気がついて
一度できていたんだから またできるだろうと
本来の愛情を取り戻す・・・でも大人になった自分だからこそ・・の愛情を育てていく試行錯誤が始まったのでした。
妊娠できたはいいけれど 子どもが苦手なのに愛せるだろうか
結婚相手は選べるけれど、子どもは選んで育てられるわけじゃないし 相性の悪い子だったらどうしようとか
やたらめったら不安ばかり言っていた私のために
大好きな夫に ビックリするくらいそっくりに生まれてきた長男
なぜかわからんけれど「ガケに生えている一輪の花」にこだわって よくドブに落ちながらも
私に花を摘んできて 毎日「ママ、結婚して」とプロポーズしてくれた次男
(今は見るだけで 「なに見てるのさ」とか怒る反抗期になりましたが)
どんな子どもも、親を助けるために 親子の縁を結んで生まれてくるって聞いたことがあります。
私は うまく母を助けられたかって言うと はなはだ疑わしく
あなたも アヤシイかもしれませんけれど
無償の純粋な愛情は ずっとずっと 与え続けられる人だったでしょう?
それなら、できるんじゃないですか?
どうしても嫉妬しちゃうだの 上っ面でしか人と付き合えないだの ウダウダ言ってないでさ。
きっと、できるよ。