とっくに愛されていた | 夢が実現するしくみがわかれば、私たちはもっと自由になる  君塚由佳

夢が実現するしくみがわかれば、私たちはもっと自由になる  君塚由佳

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君塚由佳です。

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病棟にはお年寄りが たっくさんいて、おトイレの介助とか 食事のお手伝いが必要な人もすごく多い。
刺激の少ない入院生活のせいか 認知症の症状が出てきたりもするようで

テーブルの上に置いてあるものを延々と はたき落としたり
紙をちぎってたべちゃったりし始める人とか 看護する看護師さんは走り回っていてほんっとに大変。


問題行動を繰り返す患者さんを叱り付けるわけにもいかないんだろうな。
根気よく、優しく何度も何度も 声をかけているわけだけど


それがまるで 小さな子どもに言い聞かせるような言葉使いになっているときがある



「自分でおトイレ行けたのー  しゅごいねー!」
「いっぱい食べれたねー  えらいねぇ!」


看護師さん本人もハッとして言い改めることもあるし、
まだらボケだった患者さんが たまたま頭がハッキリしている時に 幼児言葉で声かけされて
バカにしてるのか!と看護師さんを怒鳴りつけていたりもしていたり。



思うようにならなくて  手間がかかって  
どうしようもないけれど問題行動や 同じ失敗を何度も何度も繰り返す相手を
何もわかってない子ども=導き、コントロールすべき相手として接してしまう

ついついそうなりがちなのも すごく理解できることではあるけれど。




さて、私なのですけれど
本当は先月末には退院しているはずだったのだけど 肺炎を起こしていまだ無菌室にいます。
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熱も落ち着いてきてきて  せきは静まってはきていますが、
血液を見ると炎症反応はまだ高く 点滴でいくつもの抗生物質を入れています。

白血球はいまだになかなか増えなくて、週に2回は輸血を続けています。


この間は、全身になぜか突然じんましんが出ました。
(じんましんって生まれて初めてーーー)



全くたべれなかった食欲も 戻ってきて 3度の食事とおやつも食べてます。



白血球が低いせいで体がだるく、ゴロゴロ寝てばかりいますが
どこも痛いところはなくて 割と元気に暮らしております。

気分的には明日にでも退院できるスタンバイはできているのでけど
主治医の先生いわく「お正月には帰れたらいいねー」だそうで。




チッ ほんとは先月もう家に帰ってるはずだったのによ。

思い通りにいかないことばかりですねぇ。




なんとか体が言うことをきいてくれないものかと あちこちなでさすりながら
「ありがとうねー」「よくがんばってくれてるよねー」
「すごいよね、検査の結果よくなってたよ、さすが!」なんておだててみたりもしましたけど

ふと気がついたのは
お年寄りの患者さんを 子ども扱いしている看護師さんと やってることがいっしょだということ



ほめたら、いたわったら うまくいくにちがいない
やさしく 感謝したら言うことをきいてくれるにちがいない

思い通りにコントロールしたい






そりゃそうなんだけど、
そんな下心で 私の体を言うこときかせようとするのは 
それは私に対してひどいんじゃないかと。



そりゃあ、体は気持ちよく動いてくれた方が嬉しいです
どこも痛くなくて どこも調子が悪くなかったら最高です
熱が出たら苦しいし、じんましんは イライラするくらい かゆいです
寝たきりの病院生活で、情けないことに  おトイレ行くだけでゼエゼエと息が切れます。
筋肉が落ちて棒きれみたいになった手足を見ると泣けてきたりします。




でも、思い通りになってくれるより 私は私と仲良くなりたい。

どんな性格の私でも味方でありたいように
どんな体の私でも 味方でありたい。

私は 私だけは  私を 愛(め)でたいなあ





ちょっと、
自分の体のご機嫌をうかがったり こびるのをやめてみました。

体調を整えるために何かするのをやめて 栄養とかカロリーを気にして食べるのではなく
食べたいものを家族に差し入れしてもらって食べたり(ここのところはカップスープばっかり)
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病院食で毎日プロテインのゼリーとか 鉄分強化ジュースとか出るのだけど
好きじゃないから食べるのをやめました


リハビリのためのストレッチをやめて それより旦那さんに足をさすってセクハラ(笑)される方が好きなので
そちらにしました。



血液検査の結果は良くも悪くもならず、特に変わりません。
体重も増えも減りもしませんでしたが

朝起きたら 背中が痛くて 寝違えたのかと思ったら 肺の背中側が炎症を起こしていました。
またちょっとだけ肺炎が ぶり返しておりました。


正直、
チェッ  なんだよっと思いましたけども、




思い通りになっても ならないままでも 
とにかく体を愛でまくって 愛情だけをかけて あとは任せてみて感じるのは



確かに 私のなってほしいようにはなっていなくても、
ものすごく 私自身が私の体に守られているのを感じる。


何を守ってもらっているのかというと、

命を。



人には寿命というものがあるのだし、いつか死が訪れるのでしょうけれど
いつか死が訪れるまで命の火を燃やし続けるために、体は私に無理をさせてくれないのです。





イライラするくらいに ゆっくりゆっくり白血球の数値を上げて
輸血が必要なくらい  そりゃ 無理をさせずに血を作り
立ち上がれば  ひざがふるえるくらいまで筋肉を落として安静にさせ

私が早くよくなろうと気合を入れようが おかまいなしに 肺炎を起こしてみたりして






私の寿命が尽きるその日まで 私の命を守るために ありとあらゆることをしてくれているようです



それは 私の人生設計や理想の生活とってはイライラさせられたり都合が悪いことだったりですが、
「私に天寿を全うさせる」に対しては とっても理になかった完璧な仕事でした。



どんな体でも 愛したいと思って任せてみたけれど
もうとっくに 私は私の体に 深く深く愛されていました。





日曜日、世間はお休みの日で 病棟も割と静かです。
でも、休みなく心臓は動いてくれていて、今日も命をつないでくれています。


体調が落ちてきているので仕事も 復帰していますけれど
ちょっとでも無理すると あからさまに体調が崩れるので助かっています。


私からの愛情をいっぱい感じながらのセッションは、やっぱりこの病気になる前とは
少し感覚が違ってきていて、なんだかすごく不思議です。