すべての「ほう・れん・そう」には「お・ひ・た・し」で対応 | 夢が実現するしくみがわかれば、私たちはもっと自由になる  君塚由佳

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君塚由佳です。

7年前の大病の時は 手術を薦められましたが私は拒否しました。

「死にたくなかったら女医さんを選びなさい。男なんてパートナーが髪を15センチ切っても気づかない生き物よ。
患者の異変に早い段階で気が付ける気の利いた男性ドクターなんて絶滅危惧種レベルでいないんだから」

そんなアドバイスをもらって 「そりゃそうだ。一般的な治療を選ばないなら、なおさらだな」と
女医さんを探して4年かけていっしょに治療を完了させました。



で、今回の血液・腫瘍内科の主治医の先生は男性医師です。
でもむちゃくちゃ信頼しています。


病院の中の人間関係は医師を頂点としたピラミッドなのはどこも同じで
その環境を医師が自分の実力や実績だと勘違いしてしまうのは 責められないところだとは思うのです。

ところが、私の主治医の先生は そういったところが全くなくて
驚くほど誰にでも腰が低くて 今年就職した新人看護師の話もていねいに聞いていたりするのです。

緊急入院の翌日 私はおなかをこわして腹痛があったのだけど 熱も出てきて 
まあ、下痢をしているのだから おなかが痛くなるだろうし 輸血と抗がん剤の副作用で発熱はよくあることだそうですけれど
「痛がり方がちょっとおかしい」という看護師さんの意見を採用して すぐに腹部エコーをして
大腸からの出血を見つけてくれました。まもなく大量に下血したのだけど、止血が間に合って下血も1回ですみました。


ずっとベットに寝たきりだったので 起き上がると頭がクラクラしたのだけど
それを血圧の急上昇によるものだと疑ってくれたのも看護師さんで 
(私はそもそも高血圧なんて経験がなかったので 血圧が上がるとどんな症状になるのかもよく知らない)

気晴らしに窓から外を見ていたつもりだったのに 無意識に窓の鍵のところをみつめている
そんな私のメンタルのダメージに気が付いてくれたのも看護師さんで
(無意識なんだから 自分では気が付きようもない)



で、すべて主治医の先生が 情報を吸い上げて 診断、対応してくれているっていう・・・・

ほう・れん・そうが徹底していて 「ああ、こりゃあ トラブルが起きても まず事故は起きないだろうし、私はだいじょうぶだ」と
全幅の信頼を置けると判断したので この先生のアドバイスは受け入れて治療を進めることにしました。



順調ではあるとはいえ それでも治療は楽なものではないし 強烈なストレスを長期的に抱えることになります。
「自然療法を選んでいれば こんなしんどい想いはしなかったのかもしれない」と思うことはゼロではないけれど
最終的に自分が信じたものを信じる所に戻って来られるのは 
やっぱり支援してくれる医療スタッフに恵まれているのが大きいかもしれません。 




どこの仕事でも 「ほう・れん・そう」は永遠のテーマで 私もいろんな会社で「報告・連絡・相談」の研修のご依頼をいただきました。

もちろん夫婦の間でも 共働きで育児と介護をどうするか、お互いのコンディションはどうなのかも含めて重要なことだったし 
そして 自分自身と向き合う時にも 心や体からの情報をどう受け止めて どう取り扱うかは 自己管理の土台です。


トラブルは絶えず起こり続けるもので 
それを事故にまで発展させないための ほう・れん・そうなのですけれど

いいことしか報告されないのでは意味がないし
「うちの子に限って」とか「私が間違えるはずがないし、愚かで弱い人間であるはずがないという過信」が取り返しのつかない事故を招くことは
今まで事故を起こした前例がないのだからと 人災からの大事故を引き起こしたニュースや
大企業なのだから大丈夫と、のん気に倒産していった事例も数知れないところです。




先日ツイッターで拡散された
 「気持ちよく挨拶しましょう」だって、人柄よければ自然とできるだろうに会社から強要されるからおかしくなる
「ほう・れん・そう」は 管理者が強要するものではなく 自然発生するのが本来の形という話題。

管理者の心構えとして「お・ひ・た・し」で対応すれば 「ほう・れん・そう」は自然発生するという意見に心から賛同します。
お:怒らない
ひ:否定しない
た:助ける(困り事あれば)
し:指示する
「ほうれんそうには おひたし」

「怒らず否定せず 必要なら支援と指示を」っていうのは コーチングの基本でもあるのだけど

情報に対して 怒ったり 否定したら だんだん情報は出なくなってくるし
もともと「ほう・れん・そう」の教育は 新入社員向けのメニューではなく
報告連絡相談しやすい風通しの良い環境を作りなさいという管理者向けの教育だったはずなんですよね。




これは他人に対しても 自分に対しても。仕事だけでなくプライベートでも。
「自分が何をしたいのか 何が好きなのかもわからない、変わりたいのに変われない」というご相談者には 
自分にあまりに厳しく 自己否定がすさまじい方が多く(全員ではないけれど) 
否定を続けた結果 ご自分自身から対話を拒絶されてしまっているために 当たり前にできることすらできなくなっているところからスタートすることもあるし

「これさえあれば すべてが解決する」と自己過信が暴走して
すでに事故っているのにそれはほったらかしで ありもしない問題をわざわざ創り出して大騒ぎする
現実逃避に走って 本人も周囲の人も困りはてていることも・・・・




まあ、そういう時期があるのは当たり前だと思うし 
人間らしいといえば 人間らしくてほほえましいですが 
心情としては 仕事じゃなければ 遠くから見ているにとどめたいなあ。



不完全だからこそ完璧であるという矛盾を抱えている人間が それでも何かをしようと思ったら 
自分自身のいろんな部分とも 他人ともつながって助け合わなければ ただ生きていくだけでも難しいと心から思います。

「ただ知り合いが多いだけの人」と「人脈が自然発生する人」との大きな違いはこの差が大きいと思うし
とっても自然で当たり前に自分を使いこなせる人は やはり自然に当たり前に人が集まるのをよく見かけます。



たまたま長男の18年前の虫垂炎と 7年前のお姑さんの執刀をしてくれた外科の先生がまだ在籍していたのを見つけて
「私の家族がお世話になった病院に 私もお世話になれてラッキー」と 看護計画の説明の時にポロっと話したら
その外科の先生が無菌室まで訪ねてきてくれました。
息子のことも お姑さんのことも もちろん待機していた私のことなんて たぶん覚えてはいないとは思うけれども
「君塚さん、また今度ガンになって手術が必要になったら 僕が切るよー。
主治医の先生は医大の後輩で、学生時代から知ってるの。あの先生はいい先生だから安心してね」と笑って帰って行きました。 
部課を超えてチーム医療を採用しているのは知っているけど・・どこから連絡行ったんだろう・・・すげえ。


医師や看護師の知り合いはいるけれど 実際 国家資格を活かせる人は一握りで
才能や能力だけで続けられるほど 現場は甘くないのはよく聞いています。
ホームレスの支援活動をしていた時にも 医師免許を持っているホームレスだって少なくありませんでした。
慢性的な人手不足で 転職にも再就職にも苦労はない職業とはいえ 定年まで勤めあげるのは奇跡みたいなもの。


主治医の先生が 役職もキャリアもあるにもかかわらず 奇跡みたいなあの腰の低さで
私の治療に自分のすべてだけではなく 自分に関わる人の目や経験のすべてまで捧げてくれているのには
本当に頭が下がるし 本当にこの病院にお世話になれてよかったし
命を救ってもらえた人が たまたまこの先生だった幸運を誇りにさえ思えて 
病気によかったとは思わないけれど 悪いことよりいいことの方が多かったと心から思えるのはうれしいです。 


「奇跡って当たり前に起こるから奇跡っていうんだよ
たまにしか起きないのはマグレっていうの」
は 高額納税者日本一の連続記録を持つ 斎藤一人さんのお言葉ですが

ありがたいことに
ほんとに当たり前に奇跡を起こせるたくさんの人に囲まれる入院生活という奇跡に恵まれております。



まあ、ここまで恵まれているのにも関わらず
無菌室での監禁生活は ストレス半端ない恩知らずな私なんですが

私はそういう人なんだからしょうがない(笑)
こういう私でも 当たり前に奇跡を起こし続ける所存ですので 乞うご期待っ!!(笑)



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