楽しむには○○すること。 | 夢が実現するしくみがわかれば、私たちはもっと自由になる  君塚由佳

夢が実現するしくみがわかれば、私たちはもっと自由になる  君塚由佳

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豊かに幸せに 最高の人生を創りましょ

私には2人の母がいます。団塊の世代の2人です。

実家の母は転勤族の父と結婚しました。
世間的にも 同居が少なくなって 核家族です。
姑に気を使うことも少なくなりましたが 
実家も遠く自分も働きながら 誰の助けも借りずに 
ぎりぎりのところで3人の子供を育てました。

姑さまは 田舎の本家に嫁ぎ
本家とは名ばかりで 特権があるわけでも不労所得があるわけでもなく
やればやれほど赤字になる田畑を 
それでも先祖が残したものを荒らすわけにはいかなくて
子供を年寄りに預けて早朝から土をいじり 
夕方には疲れ切った体を引きずるように家事をして
壁がなく障子とふすまだけで仕切られたプライバシーのない家で
息をひそめるように暮らしました。

私も母や姑のように
「大変だったけど喜びだった」いえるようになれたらいいな。


そうは言っても 幼い私が知っている母は 怒りんぼ母さんでした。

いつも機嫌が悪くて、そのせいか父との関係は完全に壊れてしまって
どうにか修復しようと計画した家族旅行は
どうしようもなくムリがあって ひとつもいい思い出などなく。
結局、父とは長い別居生活をへて 60歳を過ぎてから離婚しました。

姑も 夫の知る限り 泣いてばかりの人だったようです。
言いたいことも言えずに 勝手に何もかも我慢して
無気力になり、抑え込んだ気持ちが爆発して 家族を驚かせました。
晩年はうつ病を発症して 長く床にふせっていました。

子育ても 真っ最中は 嵐の中を手探りで進むようなもので
楽しむ余裕なんてなかったかもしれません。

でも、振り返った時に
あれは学びだった いい経験だったと自分に言い聞かせたり
家族を喜ばせるためにがんばるのではなく
心から「大変だったけど喜びだった」と言って笑っていました。


これはね、「家族みんなで 幸せになるんだ」っていう夢を
追いかけ続けた人だからできるんだと思うのです。


うまくいかなくても、夢に裏切られ続けても
それでも 自分の望む道を選び続けた人だから言えること。


仕事も 実家の母はいろんなところを転々としました。

職場の人間関係がうまくいかなかったり
いつまでも仕事に慣れることができなかったり
引っ越して続けることができなくなったり、理由は色々。
あまり仕事ができるほうではない人なのと
愛想もいいほうではないのもあるんでしょうかね。
高齢でも雇ってくれるありがたい会社が奇跡的に見つかったのはいいけど
今やっているパートの仕事の時給は 高校生の息子よりも安いです。

でも、私が実家に行くと近所の人に
「あなたのお母さんにはお世話になったのよ」と
いろんな人に言ってもらえます。
よく実家には野菜や手作りのケーキが来ます。
夫もヒマを見てはよく届けているようです。

姑さまも 家族と親戚と、実家の福島からは兄弟も全員駆け付けて
大勢に見守られて うれしそうに最期を迎えました。

成功者っていうのは こういう人のことをいうのかもしれません。

何かを成し遂げた人ではなく 
希望をもって自分の夢を追い続けた人。