自分というギフトを生きる  君塚由佳

自分というギフトを生きる  君塚由佳

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豊かに幸せに 最高の人生を創りましょ

最近、「感性で生きる」「心で選ぼう」という言葉がやたらと目につく。
それが悪いわけじゃない。
ただ、そこに逃げ込むようにして“感じる”だけで生き延びようとすると、
人は必ずどこかで止まる。

 

 

本当はもう気づいているはずなんだけど
感じるだけでは越えられない場所が、人生にはいくつもあるんだよね。

むしろ、感性の鋭い人ほど、
考えることから逃げた瞬間に感情が暴れ出すでしょ?
その暴れた感情を本音だと誤解して、
ますます迷いが深くなることも よくあることだよねえ。


 

本音は、本来もっと静かなものです。
おそろしく残酷なほど静かで、
注意深く耳を澄ませないと聞こえないくらい微細な動きで
私たちに何かを告げてくる。
 

考えるとは、その微細な揺れを捕まえる行為だ。
言葉になる前の“生の信号”を理解する行為だ。



それを放置すると、人間はどれほどでも簡単に壊れていく。
笑いながら、
普通の顔をしながら、
誰にも気づかれないまま、静かに壊れていく。


 

心の声を大事にすることと、
考えることを放棄するのは、まったく違うことなんだけど。

「感じるままに生きたい」と願う人ほど、
実は“考える力”を持っている。
ただ、それを使う場面を避けているだけ。

 

年末の節目になると、たくさんの人が同じ儀式を始める。
反省。前向き。努力。
どれも”未処理の感情”には薄すぎる薬だね。
効かないことは本人も薄々わかっているのに、
毎年同じ手順で自分を押し流していく。
 

だから同じところで転ぶ。
同じ人に疲れる。
同じ間違いを、表情を変えながら繰り返す。

感じて終わり。
気づいて終わり。
反省して終わり。
前向きになった“つもり”で終わり。
 

その繰り返しで心は軽くなるどころか、
知らぬ間に静かに重さを積み増していく。

 

だからね、

感じるな。少しは、考えようよ!

 

この言葉を嫌う人ほど、
本当は考えたくて仕方がないと思うんだよ。
ただ、思考という光の力強さにドキドキしているだけだ。

 

光は残酷だよお。
恐ろしい場所まで照らしてしまうから。
でも、照らされた場所からしか 人は前に進めない。
 

だけど、”考える”とは、
自分自身を拷問にかけることではなく 裁くことでもなく、
あなたを救う行為なのです。

混乱を区別し、
不要な罪悪感を外し、
未来を創造するのに本当に扱うべき感情だけを
そっと手元に残す。

考えるという行為は、優しさそのものなのです。

 


特に今年「なんとなくしんどかった人」ほど、
自分の内側で起きていたことを
一度“考える”必要がある。
 

違和感の正体。
同じパターンが繰り返される理由。
本音に届かなかった背景。
判断基準が曖昧になっていた構造。
 

これらは感性だけでは見抜けない。
人が変わる瞬間は、感情の爆発ではなく、
構造の理解 の中で静かに始まる。

 

正しく考えると、感情は自然に整う。
無理に前向きになる必要も、
自分を責める理由もなくなる。

うまくいったことも うまくいかなかったことも
あなたは 何ひとつ間違えなかった
ただ、理解されていなかっただけだ。

 

だから 考えるパワフルさを、いっしょに味わってみない?

感じるだけでは越えられなかった場所に、
思考という光を差し込んだ瞬間、人は本当に変わり始める。
 

でもその“理解のプロセス”を
ひとりでやろうとすると、ほとんどの人が途中で止まってしまう。

人は自分の内側を扱うときだけ、なぜか
驚くほど主観に巻き込まれてしまうものだから。
 

だから 
今年抱え続けた 理解という工程を与えられなかった“内側の動き”を
構造として可視化するためのレポート をつくりました。

 

《2025:潜在意識の“未処理データ”クリアリング! 
サブリミナル・レポート》

表面的な慰めでも、ポジティブな上書きでもない。

あなたが今年扱いきれなかった反応や違和感を、
来年に持ち越さないための視点 として7000字の言語で丁寧に翻訳する。
 

これは、あなたの内部で一年間稼働し続けた
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理解されなかった感情は腐る。
理解された感情は、静かに終わる。

終わらせるべきものを終わらせて、
来年を“あなたの判断基準”で生きるために。

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柴犬と「感じるな、少しは考えろ」

 

 

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そりゃあもう ものすごいウルトラハイパー大賢者でない限り 
誰だって 何かしら「どうしたらいいのかわかんね」っていうことはあると思うの。
っていうか 私はそういうのが多くて いつも途方にくれてる。

ただ、「わかんないけど、ま いいか。そのうちわかるだろう」と
思えることと
「わからないのが 苦しい。どうしたらいいんだろう」と
苦しみ抜くことが 人によって違うということでしょうよ。

「家族」「パートナー」「はたらく」 ってなんだろう

ちなみに 私は『家族って何だろう』って よくわからない。
でも、わからなくても 別に何とも思わない。
いろんな家族の形があるんだし、人数や年齢でまた形が変わっていくでしょう。

そして、『パートナーって何だろう』もよくわからない。
生まれも育ちも違う 価値観も全然合わない人と
30年以上結婚生活を続けているけれど、やっぱりわからない。
気の迷いで 人並みに愛されたくて、学生時代はモテる女になるためのレクチャーしてもらったり
結婚してからも「愛され妻講座」みたいなのに 通い詰めたこともあったけれど まあ明らかに浮いてたよな。
うまくいっていなかったところで 悩んでなかったんだもん。
愛し愛される関係を求めなくてもいいんだ!と自分を赦せたら、ほんとにどうでもよくなった。
家族以上に いろんな愛情の形がある。それが私には苦しみではなかったから。

でも、『働くって何だろう。それに付随するお金って何だろう」は苦しみ抜いた。
それこそ、いろんな働き方があるし 職業だって星の数よりもあるのだから
いろいろやってみればいいのだし、出世や昇給だけが正解じゃない。
働かない、というのもアリだ。働けなくなることだってある。
社会保障が手厚い国に生まれたのだから、好きに働けばいい。
・・・それなのに、だ。

私は ずっと苦しみ続けている。正解のないことに、
答えにたどり着いても すぐに形を変えてくずれてしまうことに。

家族やパートナーの悩みも、
結局は「仕事がうまくいかない自分」が原因だった。
私の仕事のせいで迷惑をかけたり、
逆に、仕事に口を出されて傷ついたり。
「そういうこともある」とわかっていても、いちいち傷ついてしまう。

たいして仕事ができるほうでもないのに
”うまくいくとは どういう状態のことなのか”すらわかっていないのに
どうしても うまくいかせたい。

転職を繰り返すことも、退職することも、仕事が見つからないことも
どうしても 私の中では「失敗」になってしまう。 
(失恋とか やっかいな親戚と距離を取ることは 失敗にならないのになあ)
うまく生きられない自分を 受け入れられないのも
「はたらく」「お金」の分野に集中してた。
※そんな「はたらく人」のために「6か月の寺子屋 オンライン創業塾」を作りましたよん

子供が空に灯籠を放つ画像

まだ出会っていない“私自身”の役割

受け容れられない自分
一番嫌いで会いたくない自分
こういう人間にだけはなりたくなかった自分
私の場合、それは いつも仕事で出会うことになる。

あーあ。

これが 『家族とのかかわり』の中に見出す人もいるし
『パートナーとのかかわり』でしか出会えない人もいる。
あなたは そんな自分と どこで出会っていますか?

べそかきながら「これも私なのか」と 自分の破片をかき集めていくことでしか
私たちは ありのままの自分を生きられないのだと思うのですよ。

「うまく生きられない」は
自分の個性や才能をさく裂させるために
あらかじめ用意された“導火線”のようなものだからね。

11月に入って
いろいろ早期割引が終わってしまう講座や
販売終了が近づいているものもあるのでお知らせしますね!

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ノートとコーヒーで習慣を見直す


さてさて、11月に入りました。

半年に一度、わが家は大そうじをします。

家をきれいにする「モノ」の大そうじだけでなく、「コト」つまり習慣の大そうじです。

 

たいていは、神道の神事である夏越の大祓(6月30日)と年越しの大祓(12月30日)に合わせて行うのですが、11月は私の誕生月でもあるので、いつも少し早めに始めます。

新しい習慣を11月に立ち上げておくと、新年にはもう身についている状態でスタートできるからね。
意識して身につけた習慣もあれば、気づかぬうちに「当たり前」になってしまったものもあります。
このひと月をかけて、それらをすべて洗い出しているところです。


一つずつ、「やめる」「続ける」「新しく加える」を選びながら、やっぱりやめた、という見直しも何度も。
選ぶ基準は家族それぞれですが、
来年をどんな一年にしたいか、年齢や性格によっても違ってくるんじゃないかなあ。



私はもう十年ほど、PERMA理論を軸にしています。
ポジティブ感情(P)、没頭(E)、人間関係(R)、意味(M)、達成感(A)。
この五つの要素が満たされていると、自然と心も体も整っていく
——ポジティブ心理学の研究からも確かめられている考え方です。


だから私は、「成長」や「向上」よりも、「幸せ」や「喜び」を軸に選びます。
結果として成長することはあっても、いちばん大事なのは「私の幸せが最大になっていること」


どんなに素晴らしい習慣でも、世間的にはよろしくないと言われる習慣でも、
私の幸せや安らぎに直結しているなら、それを採用します。

 

仕事も同じです。
利益にならなくても引き受けることもあれば、儲かる案件でもお断りすることがあります。
お金は報酬の一部であって、PERMAの要素を含めた「全体の幸せ」で決めるのです。
 

人間関係もそう。
「いい人か」「気が合うか」なんて、案外、幸せとは関係がないものです。
夫なんて、まさにその代表例ですからね。気は合わないけれど、確かに人生の一部です。



そうやって私は、家族旅行や家族会議をやめ、毎年恒例だったBBQコンロを手放し、来客用の布団や食器も処分しました。
IT業界や企業研修の仕事からも離れました。

得意だったし、好きでもありましたが、もう「喜び」とはつながっていなかったのです。



あなたの「当たり前」も、そっと見つめ直してみると、思いがけない喜びが見つかるかもしれません。

この11月が、そんな小さな再発見の月になりますように。

君塚由佳です。
 

人生の目的と才能には、密接な関係があります。
才能には、光と影という両方の側面があります。

自分の人生の目的を果たしている人は、才能の光の部分をより感じるでしょう。

逆に、自分の人生の目的から 逃げている人は、「なんとなく退屈」「毎日が苦しい」といった心の問題を持つことになります。

それが、才能の影の部分です。

別の言葉で言ってみれば、それは、才能の呪いとも言えるのではないでしょうか。
才能を開発しないと、そのぶん苦しくなるのは、才能を活かす責任を果たしていないからです。

あなたがもし、本当にワクワクして生きていなければ、心からの充足も感じにくいかもしれません。

それは、人が自分の可能性を100%生きない罰として、なんとなくイヤな感じ、罪悪感、無価値感を感じるのでしょう。


本田 健
(ベストセラー作家 代表作「ユダヤ人大富豪の教え」)より





「やればできるんだから」
「今はタイミングじゃないから」
「子どもが大きくなったら」
「体調が回復したら」
「引き寄せが起きるまで、待ってる」

そうやって目の前に 自分の可能性のMAXを生きることを先送りにしているという
これまで避けてきた課題が来る。

見たくない。そうだ、他のことを頑張ろう!といって
本気で取り組む。自分をフルに使って。

本気ごっこ。

お母さんごっこ
仕事で結果出すごっこ
女を楽しんでいますごっこ
かけがえのない家庭をこんなに大切にしているごっこ
自分の気持ちに あるがままに素直にごっこ
毎日が自由で充実していますごっこ

本気で(ごっこ)をやっていると
それを「あこがれます」「ステキです」「美しいですね!」「私も本気になります!!」という人が
どんどんまわりにできてくるものです。

仲間ができた。もうひとりじゃない。本気になったかいがあった。
私たちは群れない。志を同じくする同志だ。一緒に高みを目指そう。

そして 誰も自分の深い中身や軸は見てくれない。
自分すらも見ていないんだから あたり前だけど。
でもだいじょうぶ、仲間なんだから。
そんな みんながいいしれない孤独を感じていて。
その孤独感が「私たち、群れない人間よね」って錯覚しているのに。


私には師匠が何人かいますが 
どの人からも「本気になれ」「覚悟を決めろ」と言われたことがありません。

「楽しみなさい」とは 口を酸っぱくして言われていますが。




好きなことをやるのに どうしてそんなに力まなくてはいけないんでしょうね?

おかしいと思いませんか?

なんでもタダですませようとする ずうずうしい人のことを


「クレクレ星人」と呼ぶそうな。

それにコーチングやカウンセリング、ヒーリングの提供をまだ始めたばかりの方から
「最初は無料で提供すべきでしょうか。それともプロたるもの、無料で提供せざるべからず、なのでしょうか」というご相談もよくいただきますし

友人から 『友達なんだからタダにしてよね(もしくは安くやってくれるんでしょ?)』」
お世話になっている先輩に 『あなたにとっても勉強になるんだから、ボランティアで手伝ってね。』
そんなことを言われて モヤモヤしている というご相談もいただきます。



この話を進める前に、今一度冷静に見つめていただきたいのは

1)そもそも「奪われる」という感覚は 被害妄想ではないのか?
2)ほんとうに「奪われた」として、それで何が減る、何を損すると感じているのか
3)やりたくない、この人嫌いという 自分の好みや気分の問題を 「奪うのではなく、与えましょう」「正当な金額を支払いましょう」という正論にすり替えていないか
4)「この人はクレクレ星人ではあるまいな?」「もしかして奪いに来てるんじゃないだろうな?」と出会う人を疑ったり、戦闘モードになったりすることで 守れているものはあるだろうけれど、失っているものもわかってる?

の4点。


ぶっちゃけ、ケースバイ・ケースで
最終的にどうすればよかったのかの判断がつくのは ずっとずっと後な気がします。

ご自身のポリシーやら、相手との人間関係もあるでしょうから 一概には言えないかもしれません。



私がどうしているかというと・・・

どんなに難しい状況でも 有償・無償に限らず
できるかぎり提供をさせていただいています。


「セッションは まだ考えていないんです。ちょっと問い合わせたいだけなんで・・」と、延々質問のメールを下さる方にも

参加費無料のお茶会に ぶ厚い「聞きたいことリスト」を持参してきてくださって ほかの参加者の人はさておき、ずっとご自分の疑問だけを解消にされる方にも

「あなたは十分に自活できるだけの収入があるから一人で生きていけるじゃないですか。だから旦那さんを私に下さいよ」と 2年間も自宅に通い詰めてくださった方にも(笑)



なぜなら、悪気がないのがわかるから。


私も かつては助かりたい一心で 

ぐうぜん出くわした有名編集者さんに「どうすれば有名になれるのか」と道端で1時間も足止めさせたり

これまたぐうぜん駅のホームで見かけたテレビでもよく見かける社長さんと 記念写真を撮ってもらったり。(ご家族で楽しい家族旅行中だったみたいで、奥さまは困惑した顔をしてたなあ・・)



これは神様が与えてくれたチャンスだと思っていたし
現実を変えられるのは自らの行動のみなのだから 行動あるのみ!で
チャンスの女神は前髪しかないのだから、くらいついていかないといけないと信じていたんですよねえ。
(どの考えもある意味正解で ある意味間違っているのだけど)


私は 自分の追いつめられた状況を切々と訴えて「どうしたらいいのでしょう?」という手紙を著名な方 数百人に送りつけたこともありますよ(笑)


人は閉塞感を覚えるとラディカル(過激、極端)に走りやすくなりますよねえ・・



狭い視野と
シンプルなものをわざわざ複雑にしている思考回路で

そうやって 自分で自分を追い込んでいるだけなんだけどね…


誓って、言いたい。
悪気はないのよ、ほんっとに 助かりたいだけで。


痛いほど気持ちはわかるから、「ずうずうしいよなコイツ」と感じることはあっても、できるだけ提供させていただいているんです。

提供できるのはいつも同じ。
リラックスしてもらえるように、まずは深呼吸できるような時間。
(それだけで悪夢から覚めることができる人は多いから)



かつて私が 誰かにしていたことが 回りまわって私に帰ってきただけのことだし

結果的に 助けを求めたどの人とも ご縁を破壊する最悪のかかわり方をしてしまったけれど、ほんとうに悪気はないのは 誰よりも私自身がわかるから。






つい先日、半年の入院と自宅療養から初めて「このくらいは外出しても大丈夫かな」と一大決心して ほんの近距離に住んで切る友人に会いに出かけたんだけど、

お互い久しぶりに会えてうれしくて、「どう?ランチ行けそう?話したいこといっぱいあってさ・・・」と話しているところに 
たまたまいた初対面の人に私がつかまって ずっと質問攻めにあってたのです。

ほとんど1年ぶりにようやく会えた友人は 私の信条を理解してくれて
対応している私を そっとしてくれたんだねえ。
日が落ちて寒くなる前に私は帰らなきゃいけなかったから 友人とは、けっきょくあんまり話せないまま別れることになったけど 話したいことあっただろうになあ

ありがたくて ありがたくて ますます好きになったのでした。
昨日、ようやくリベンジで ゆっくり話してきましたよ(笑



私に質問攻めをしてくれた方には、とりあえず質問には全部答えたけど 
たぶん聞きたいことはひとつも聞けていないと思う。

そもそもの問題はそこじゃない気がするし、それに気が付くのは自分でしかできないんだもの。
(それは かつての私もそうだったしね)

でも、助けてあげるのは違うと思うのです。
まるでかつての私を見捨てるようだけど、なにせこのポンコツな私でもできたことだし 
きっと誰でも根本的なところに気づくことができると思うから。


どんな人でも、どんな状況でも 幸せまでの距離は等しく同じなのだしね。



こうやって書くと まるで私は聖人君子か天使みたいだわあ 笑)

どんなに難しくても できる限りのことは提供させていただいてる。
でも、私にも体調やら 気分やら 好みのタイプがあるのですよ。



だから 誤解を恐れずにあえて言うと

なにをどのくらい提供できるかは 相手の態度次第と 私の気分次第ですなあ。