Sayang = もったいない = Mottainai -71ページ目

平和ボケ?不公平?

一昨日、昨日とブログが書けないのです。時間が無いわけでもなく、考えすぎて書けないのです。選んだテーマが難しくて文章がまとまらない。

先日、子供の頃から髪を切ってもらっている美容師さんに辺見庸さんの「自分自身への審問」を借りて読んだ。その、美容師さんが次は「もの食う人びと」をぜひ読んでみたいと言うことだったので、amazonで早速取り寄せた。
一作日、本の少しだけ読み始めたのだが、息苦しくなった。一口で本の内容を言ってしまうと、辺見さんが世界各地を旅をし、現地の人と同じものを食した記録が綴られている。現地の人と同じ物と言っても、徹底している。例えばバングラディッシュのスラム街での食事。日本だったら残飯以下の物だったりする。衛生面では最低ぶるい。でも、食料があればまだ恵まれているほうだ。

2006年5月27日の自分のブログにも一度書いたが、このところテレビのグルメ番組をめっきり見なくなった。日本はつくづく平和だと思う。デブの女タレントが1万円近くもするサンドイッチをほおばる姿。醜いと思ってしまう。でも、彼女のそれは仕事。で、自分のことを考える。自分はどうなんだろう。昨日も80キロカロリーのアイスクリームが新発売になったと聞きコンビニを数件探し歩いた自分がいる。平和だから出来ることだ。デブの女タレントとなんら変わりない平和だから出来る行動だ。日本に生まれて運がよかったと言ってしまうのは、あまりにも恵まれない国の人びとには不公平だ。でも、平和な日本の中にも不公平はあるし。

考えていても一向にブログは書けないのでとりあえず、頭の中を整理できていないまま、今日のブログを書いた。「もの食う人びと」を読み終える頃には何かまた新たに思うことがあるのかも。

しばらくぶりの快晴

やっと、台風の遠い影響も終わって、今日の東京は久しぶりに快晴だ。ほとんどの人にとっては暑すぎる天気かもしれないが、自分にとってはうきうきする様な夏の青空が広がった。今日も、もちろんエアコンなしで快適に過ごした。この暑さでエアコン無しは「変態」なんて友人に言われたこともあったが、夏は暑くて当たり前。健康にもなったし。

ところで昨日までの様な、変わった天気を楽しむためのサイトを幾つか紹介。海外からも十分楽しめますよ。:


http://tokyo-ame.jwa.or.jp/

http://www0.thunder.ne.jp/cgi-bin/main.cgi?area=2&zoom=4

http://www.jma.go.jp/jma/index.html

雷をともなう雨の時は上二つが特にお薦めです。実際に窓から空を見上げて、画面と比べるのが最近の楽しみだ。


せみ

本当は小泉ネタを書きたいとは思っていたのだが、あまりにも昨日の靖国参拝のあとの記者会見があほらしくて、今日は虫ねたの続きにすることにした。

年々、東京ではせみの鳴き声が少なくなっているような気がしていたが、今年は特に少なく感じるい。せみは種類にも寄るが土の中の幼虫が成虫になるまで4~5年かかるそうだ。この5年間、自分は何をしていたのやら。

社内で転部、新しい仕事を覚えて、プロジェクトやって、サラリーマンを辞めて、今、自営業。今年鳴いている、クマゼミの幼虫が生まれてから成虫になる期間に自分がやったことだ。もちろん、仕事だけじゃない。旅行もしたし、親が手術したり、その手術を担当してくれた優しかった医者が亡くなったり。坐禅を始めたり、気功を始めたり。新しい友人もできた。

誕生日に友人から未来ノートをもらった。とりあえず書き込みはしたものの実現するための一歩を踏み出していない。今、鳴いているせみの子供が鳴き始める5年後には、どう変わっているのかねぇ。5年なんてあっと言う間だ。時間を大事に使わなくてはね。

今日も支離滅裂系のつぶやきでした。

ちなみにせみが成虫になるまで
ツクツクボウシ: 1~2年
ミンミンゼミ: 2~4年
アブラゼミ: 3~4年
ニイニイゼミ: 4~5年
クマゼミ: 2~5年
だそうだ。せみはさなぎにならずに成虫になる、いわゆる「不完全変態」だそうです。

20年ぶりの野尻湖国際村

約20年ぶりで長野県の野尻湖にある高校時代の友人の別荘に行って来た。今回は素直に往復長野新幹線を利用した。一泊で時間がないのでマニアックな旅はできなかったが、せっかくなので、往路には最速の「あさま」を利用した。高崎、軽井沢に停車せず、快適だった。大宮から長野が約1時間。楽になったものだ。新幹線ができる前までは、5時間くらいかけて野尻湖まで行っていたのが、うそのようだ。

野尻湖にある友人の別荘は、築60年以上。主に宣教師が避暑に訪れる国際村(コミュニティ)の中にある。古い建物を大切にする規則がこのコミュニティにはあり、増改築にも厳しい規則が設けてあったり、生活スタイルも必要以上の物を持ち込んだりぜず、多少、不便ではあるが、昔ながらの素朴な生活だ。もちろん、久々に「ポットン」トイレも使ってきた。東京での便利な暮らしのありがたさを再認識できる。

あと、久々に感動したのが、自然のカブトムシ。自然の中でみるカブトムシなんて何年ぶりだろう!!

小泉首相批判

今日のブログは小泉首相批判。小泉首相を支持する方は気分を悪くされるかも知れませんが、そのような方は今日はスキップでお願いします。

小泉首相は今年も「被爆者の要望を聞く会」に出席しなかった。広島、長崎の「平和式典」だけには毎年参加しているが、そのことを、彼はさも満足げに強調しているらしい。たが、式に参加するのみで、心のない口先だけの挨拶を在任期間中行い続けた冷酷、無関心さには、ほとほとあきれてしまう。被爆者の神経を逆なでしたに過ぎない。浅はかな織田信長気取りは醜いだけである。

小泉首相は靖国参拝を今年も決行するとのニュースを聞いた。中国や韓国をはじめとするアジア諸国からの参拝反対の抗議は内政干渉だとする彼らの考え方も、全く分からなくもない。しかし、ではなぜ小泉首相は、アメリカからの内政干渉に対しては弱腰で、アジアに対しては無意味に意固地な姿勢をとるのか?これは小泉首相の稚拙外交の象徴ではないか。

アメリカには飼い犬のように尾を振るが、アジアに対しては傲慢で人を馬鹿にしたような態度をとる。何が彼をそうさせるのであろうか?とにかく、彼は早く去るべきだ。そして、既に後任に決まった感のある安倍官房長官。現首相の意志を継ぐべく、こそこそと靖国参拝をするような者にもまた、外交面は期待できない。

8月9日

今日、8月9日は61年前にアメリカが長崎に原爆を落とした日。11時02分直後に1発の爆弾が14万人もの人生を狂わせた。核保有国の国民にただ知ってほしいだけだ。そんな恐ろしい物を自分の国が持っていると言う事実。特にアメリカ国民には知ってほしい。9.11の同時多発テロ犠牲者の約50倍の数の日本人を自分の国が一瞬にして殺した事。アメリカ正義の押しつけはもう沢山だ。

被爆

今週は自分なりに反戦週間にしている。いざ、ブログに原爆関連のことを書こうと調べたり、他の人のサイトを読んだりしていると自分のブログがなかなか進まない。ということで昨日、反戦仲間の、さぶたさんから来たメールを紹介。

「ところで、二重被爆していた人が居るのって知ってた?」長崎の人がたまたま広島に出張して、被爆して、やっとの思いで、長崎に戻って翌日に被爆したっていう人が居るらしいというメール。これは運命とかでは片付けられない。どうしてこんあことが起きてしまうのか。現国会議員の40%が日本の国防の為に核保有が必要と考えているそうだ。なんとも、恐ろしいことだ。

何があっても、日本の核保有はあってはならない。世界で唯一、戦争による被爆者がいる国がどうして、戦いのための核爆弾を持つなんておろかなことができるのか。国防=核兵器保有。それは違う。二重に被爆した人のこと考えてほしい。どんな思いで広島から長崎にのがれて、そこでまた被爆して。

昨年、広島へ行くまでは全くの無知でしかも勉強不足。広島がウラン弾で長崎がプルトニウム弾だったこと、はずかしながら知らなかった。何万人の犠牲者を出して2つの異なる核爆弾のテストをしたアメリカの罪はどんなに年月が流れても絶対に消える事はない。アメリカは正義を語る前に弱者の気持ちを理解することが先。それを理解できない程、愚かな人種だとは思いたくない。

8月6日

今日は原爆が投下されて61年目の8月6日。去年の今日は広島で平和式典に参加していたが、今年はテレビ。やはり、実際に参加したことは今でも強烈に記憶に残っている。自分達の世代が引き続き、戦争の恐ろしさ、被爆の怖さを伝えなければ、どんどん人々の記憶から薄れてしまうと思って実際に広島へ行って被爆者の方々にもお会いできたた。被爆した人の苦しみは自分には想像もつかない。だが、少しでも自分の世代がその次の世代に原爆の悲惨さを伝える仕組みを作らなければ、記憶から薄れてしまう。記録には残っても、記憶からは薄れる。記録からでは、あの原爆の恐ろしさは今後の人々には伝えきれないと思う。

あまり、書きたくもないのだが、相変わらずの自分の小泉批判:
今回は小泉最後の首相としての広島、長崎での式典参加だったようだが、相変わらず心に響かない最低な挨拶だ。よく、あのような心無い挨拶ができるものだ。戦後最悪の血の通っていない首相の形だけの参加が今年最後になったことがせめてもの救いだ。

温かい体験

今日の「嫁姑CANADA日記」の嫁はんのブログを読んで思わずポロリです。久々に心温まる話が書いてあった。

http://oyome-canada.cocolog-nifty.com/blog/

最近涙もろくてやばいです。

Canadaの嫁はんの話の温かさには及びませんが、おいらの似たような体験をしたのを思い出した。

確か、数年まえオーストラリアのシドニーだったか、パースからの帰りのフライトでの出来事。
東京にそろそろ到着でベルト着用のアナウンスの時だった。

「皆様、本日はxxx便のxxxxx機長はこのフライトを最後に引退いたします。xx年にわたり安全航行を終え引退する機長に温かい拍手をお願いします」って。カンタス航空でアナウンスは英語だから、もっと心温まるニュアンスだったと思う。勿論、お客はみんな拍手。その拍手がコックピットに聞こえたかどうかはわからないが、あの時の温かい拍手は今でもよく覚えている。機長は最後のフライトをどんな気持ちで終えたのだろうか?人の命を預かる責任の重い仕事だったから、ほっとしたのでないかな。そんなことを考えていたら、休暇を終える憂鬱な気分は吹っ飛んでしまった。

試練

世の中よくできていると、つくづく思うことが最近、多々ありますね。自分も含めて、試練ってのが必ず誰にでもあるような。昨晩の亀田興毅さんにしても、今回ばかりは最大の試練やナ。あれは。彼が悪いわけじゃなし、まぁ、ノックアウト勝利をできなかったのが、彼にとっては試練の始まりかな。お父様にとっても試練やな。ボクシングは教えることはできても、やはり、チャンピオンとしての風格までは教えるのは無理なのかもね。自分で試練を乗り越えて覚えないとね。

亀田興毅さんに負けた選手の方がチャンピオンの風格があるように見えてしまう。今回は負けるが勝だったりして。

今日は世間に流され、亀田ネタのブログにしてしまった。