先日、観劇してきた舞台…
10・Quatreテンカトル
「長雨と伽藍」
縁深い人、共演した人などたくさん出ていたのもさることながら、拙いながらも感想を残しておきたくて…
書きますね。


一人の男は、近藤勇の命を受け

隊士ながら長州藩士として


また一人の男は、坂本龍馬の命を受け

藩士ながら隊士として


敵味方関わらず、

間者としての自分の立場を誰に話すこともできず

ただ、任務の先にある夢を見ながら

志を持って実直に自らの任務を果たし、

活動を続ける。


大きな組織の、混迷の世の中の

歯車の一つとして


そのうち自らが何者なのか、敵は?味方は?

心が綻び始める。


二人の男それぞれの唯一の理解者であった

近藤勇と坂本龍馬

これが一言で言うと「憎ったらしい❗️

今までに見たことのない、

近藤像、龍馬像が描かれてる。

それが嘘っぽくないのは、

僕が、社会を知ってしまったおじさんだからか

いいや、なんといっても役者の説得力

「清濁飲み合わせてこそ、世を渡っていける」

というならば、近藤にも、龍馬にも

こんな一面があったかもしれないと思わされる。

ただ、本当に腹が立つ。



自分を、自分の思いを、繋ぎ止める存在が揺らいだ時人は人の心は、どうなってしまうのか

社会を作る、世の中を作る、自分の世界を作る

大きな存在に裏切られたら


一言では言えない、今に重なる何かを感じるのも

生きた舞台ならではの効果、役目かと。


そんな頃、

自分を見失いかけた男と心を通わせる者が一人

生まれも育ちも、素性も立場も

更には、性別も違う者が唯一の「同志」となる。


題名の意味が分かるころ、

物語は佳境を迎え、面白さも時代のうねりも

それぞれの思いも加速。

そしてフラストレーションもピークに


嘘のような本当の話

本当のような嘘の話

あったであろう知らない話は


僕でも知っている事実に着地する


近藤勇の最期まさかココで

カタルシスを感じるとは


題名からキャラクター造形、

フィクション、ノンフィクション交えて

巧みに作られたパズルが

綺麗にハマる。


この感覚、この感情へ導くための

150分。だったのか⁈と、

あくまで個人の感想です。


素敵な台本が役者を生かし

生きた役者が役を生かし

役の発する生きた言葉が

生の空間で心を動かす。


セリフも殺陣も、演者の息遣いまでもが尊い

やはり生の舞台は良い!


終盤の大殺陣の中で、

藤堂平助の問いに対する

碕くんの台詞にその時代の厳しさと

今にも通じる、自分の存在の確認の難しさの

一つの答えを聞いた気がして、

耳に残ります。


エンディングに向けて、

漢のみならず、女性の存在も大きく

その時代を生きた人々の

一つ一つの心の叫びが

大きな塊になって胸に届きました。

初めてみた勇像

題名の意味も全てがわかった後、

最後のカタルシスに繋がっていて

素敵でした。

当然、主役から順に番手はあるでしょうし

その責任は変わってきます。が、

一人一人の役目がしっかりと見える

群像劇でもありました。

生で見て、感じる舞台

やはり素敵です。


というわけで、

纏まらない文章は、良い舞台の証拠!


是非!時間の合う方は

唯一のチャンス土曜日の夜公演へ❗️