父子関係に正解、不正解はないと思う。
良いと言われる他の家の親子像を真似たとてそれ即ち我が家の良い親子関係になるとも限らない。

それぞれの家の父子の関係はそれぞれに違って
どれも正解となりうるものなのだと思う。それで良いのだと思う。
実際、同じ和泉流宗家の中であっても、
父と僕、僕と子どもたちの関係は少し違う。

僕は父よりも普段の生活の中でより子どもの近くにいると思う。
それが良いとも悪いとも言えない。
実際のところ、子供が生まれて最初の頃は
父と僕のような関係も選択肢の中に多いにあった。(実際、僕は父との親子関係を父と僕だから作ることのできた唯一無二、世界一の親子だと思っている。)
父親としてよりも師匠としての姿が色濃くあった父。

稽古においては
自分がしっかりとスイッチを切り替えることで
子どもたちも同じスイッチを持ってくれた。
どれだけ厳しくしても、翌日の稽古の時にはちゃんと私の前に座った子どもたち。
普段、長時間抱っこをしようと、毎日お風呂に入れようと、起こされては夜のトイレに付き合おうと、困った時には呼ばれ何を置いてもすぐに駆けつけようと、
ちゃんと稽古の時には師弟の関係、師弟の顔になれる。
稽古の中で厳しくすることも、普段、目一杯愛情表現をすることも
互いに悪影響を及ぼさないことを
心と体の遠慮のない体当たり
日々の積み重ね、毎日のふれあいの中で確かめることができて、
築いてきた関係です。
師匠としての厳しさが父親に、父親としての優しさが師匠に悪影響を及ぼしたことがない。(当然、稽古の中での厳しさも師匠としての優しさ=愛情あってこそ。普段でも躾ということでは厳しい父親でもあります。)
そして、子どもを持った時に目標とした
「厳しくとも愛される父親」になることが今の所できています。
と言うか、この親であり、この子たちとだからこそ作ることができた関係です。


父は「師匠95%、残り5%が父親でいられたら・・・」という覚悟でいたらしいです。

そういう点では明らかに違う。
少なくとも僕は
眠れないからと父に背中を掻いてもらうことをねだったり、
父の胸に顔をうずめて眠ったりしたことはなかった・・・。
でも息子はそれをしてくる。
僕は幸せだと思う。もしかしたら父もそうしたかったかもしれない・・・。
あくまで「かも」。

でも、
「歳をとると側に近づきたくなる。
師匠として突き放し、突き放ししているのが・・・」
と晩年に話していたことを思うと・・・「かも」ではない気がしてくる。

先日、息子は
激しく私の怒りを買った。
叱られることや説教されることなどは決して珍しくない我が家…でも、今回は少し違ったのです。

一喝して、その場を離れた。
気まずい空気を残したまま…。
何てことはない、優しさに欠けた言葉を掛けたのがきっかけです。

気まずい空気、緊張、変化…
人として、顔色をうかがうようなことは学ばなくて良いが
空気を読むこと、気を使うこと、慮ることはできるようになって欲しい。
今は、自分もそういう場合が多いが、大人が先回りして子どもをフォローすることが多い。気まずくならないように、その場の空気が悪くならないように…でも、子どもにとって、気まずい空気や緊張する空間というのは必要なことだと思う。

今回、その気まずい空気を元に戻す為に動かなければならないのは、他でもない息子本人です。

その場を離れている私を探して声を掛けて来た
「とと、ごめんなさい。」
座っている私に直立で。

何に謝っているのか、それを確かめないと、何がいけなかったのかそれが分かっているかが大切。と、
尋ねると…そのあとの言葉が続かない…。

待っていると目を潤ませながら
私のそばに近寄り
申し訳なさそうに、
見つからない言葉を探しながら歯がゆそうにも見える顔をしながら
少しずつ、手を伸ばし
私の手を恐る恐る握ってきた。
そして、何度が握りしめて来る。
その内、目からポロポロと。

先ほど欠けていた優しさを補って余るほどの優しい心が息子にあることを痛いほど感じました。

親バカ⁇否!

分かります。
親子だから。
簡単に言葉で言えない
さっきの自分への悔しさや
申し訳なさが。



僕は子どもと手をつないでいることが多い。
外に出かけている時は特に。
朝の登校時なんかも。
そんな時、
子どもが心配事があったり、
緊張をしていたり、寂しがっていると分かると、
励ましの言葉をかけながら、または
何も言わずに
何度も繋いだ手を握り締める。

励ましの思いを込めて。
分かっているよ。という言葉の代わりに。

あ!嬉しい時にもそんなことをすることも。


言葉だけでは伝えられないことが
伝わると信じて。
いつでも繋がっていることが伝われと思いながら。


息子が僕の手を握ってきたのは…
同じなのだと…。


そういえば、小さい時
毎日の稽古が終わると
父と必ず、近所の酒屋さんに買い物に行った。
(ご褒美の?)おやつを買いに。
毎日、手を繋いで。


そういえばそういえば、
大曲の披きを終えた翌朝、
少し遅くまで寝かしておいてくれると、
珍しく父が隣に寝転んできたりして…
幸せな気分になったなぁ。
今でも覚えているのは、
僕の手を上に上げて
自分の手と見比べては
「似てるなぁ…」
「そりゃあ、親子ですから。」
って、話したこと。


形は違っても
父子の間に流れているものには
同じものがあるんだと思います。


尊敬と信頼。


信じることから始めないと
伝わるものも伝わらなくなってしまうような…。