名古屋のお墓参りも

無事終えました。


名古屋には

お墓とともに

「狂言太夫山脇和泉流・・・・・・・・」の石碑が

並んでいます。
元彌のアスナロぶろぐ-20090104160227.jpg
名古屋で過ごした時代が

和泉流の歴史の中で

一番の安泰期です。


京都では

近衛家に庇護を受け

江戸時代には

尾張藩徳川家に庇護を受けました。


きっとその頃、

徳川の世が終わるなどという事は

考えもしなかったと思います。


実際

明治維新以後が苦難の時代でした。


けれども

狂言は残っています。

歴史はつながっています。



時代背景社会背景が変わる中

大きな影響を受けながらも

変わらないものがあった。

だからこそ伝統は続いたのです。


狂言に流れる変わらないもの

それは何事も・何人も

壊せないものだったからだと、

人の壊せない所にあったからだと、

僕は思います。


そう、

狂言が伝えてきたものは

芸(型と心)であり

それは

自身の心にあったからだと。



これからの時代

世の中はどこまで悪くなるのか分からない!


と言われています。


僕たちもその影響を受けるでしょう。

文化・芸術は一番に後回しにされる世の中です。

(特に日本では)


でも、そんな時代だからこそ

心の栄養は大切だと思っています。




どんな時代も生き抜き

狂言を守り抜いた先人の前に立つと

なんでしょう・・・・強くなれます。

強くならなければと・・・・改めて思います。


そして、初舞台の報告をしながら


「ここには何人のおじいちゃんがいるの?」

なんて話をしていると


歴史は数字ではなく

人の生きた時間だという事を感じてくれるようで

嬉しくなります。







「人が死ぬ時」=「忘れられた時」



名古屋の都市計画で

街中にあったお寺はお墓を境内に持てなくなり

平和公園に墓地を移されました。


何百?何千?何万?のお墓が並ぶ中でも

小さい時から墓参に行くことで

知らずと道は覚えるものです。


一代疎かにすれば・・・・

悲しいことが…起こってしまうかもしれない。

お墓が分からない・・なんてことに。


僕が親にそうしてもらったように

(といっても、今も一緒の墓参ですから過去形にしてはいけないのかな?・・・)

しっかりと子供たちにバトンタッチしていかなければ。


そして、

故人・先人・先祖は

今に心の中に・芸の上に

生き続けるのです。



家を継承するという事は

昔から

舞台の上の事(家業)だけではなく

お墓の事をはじめ家中を守ることが大きな役割なのです。



おっ。

そういえば今朝

息子が大きな声…というか

とってもはっきりと


寝言を言いましてね。


その寝言って言うのが




「初舞台です!

よろしくお願いいたします。」




なるもの。




本当に微笑ましく

嬉しくなる半面

小さい時でもいっちょ前に

緊張していた自分を思い出して

元聖も緊張しているんだな~。と

・・・・・・・・・。


夢の中でも

ご先祖様に報告していたのか


それとも、

初舞台の夢を見ていたのか


あまりにもはっきりした声に

妻と二人で

笑いながら目を合せました。



そんな縁のある名古屋での初舞台披露は

2009年2月21日

午後4時半開演です。


(って、最後は宣伝かい!!)



いや~、


京都・名古屋

今年も恒例のお墓参りツアーを無事に終えたのでした。


ご先祖様

今年一年は

楽しみに見てて下さいよ~。