日航ジャンボ123墜落から38年・・・機長はどうして羽田へ向かったのだろうか? | ミッチーブログ

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不定期で、スピリチュアルなお話等、書いていきたいです。

昭和60年8月12日の墜落事故です。

 

 

 

 

私はまだ小さかったので、うろ覚えですが・・・

 

当時、日本が騒いだこと、なんとなく覚えています。

 

どうして、このことを記事に書いたのか・・・

 

ふっと、近くの銭湯へいく途中にですね、この出来事を思い出したんです。

 

山に落ちたことは覚えていました。

 

海に不時着できなかったのだろうか??

 

と、私は思ったのです。

 

それはですね、”ハドソン川の奇跡”という映画を一度見たことがあるからです。

 

 

こちらはアメリカですが、

 

2009年に起こり、奇跡的な生還劇として知られるUSエアウェイズ1549便不時着水事故、

 

通称”ハドソン川の奇跡”ですね。

 

これは、ご覧になったことない方は見て頂きたいです。

 

私は、Fukushima 50という映画が大好きですが、

※脱線してごめんなさい。3・11のあと福島原発が4機ともメルトダウンすると東北地方は死の街になり、

下手すると東日本を放棄する可能性がありました。それに立ち向かった吉田所長以下スタッフの皆さんの命がけの実話です。

 

”ハドソン川の奇跡”もとてもよくできた映画で、

※私はノンフィクションがとても好きです。人生勉強になります。

 

このFukushima50の次くらいに気に入っている映画です。

 

ネタバレしないように、あまりこの2作品については、もう書きませんが・・・

 

日航ジャンボも、あの作品のように海面へ不時着すれば、

 

生存者4名だった事故がもう少し、生き残れたのではないか??

 

検証好きな私は、さっそく色々ネットで見てました。

 

なんということでしょう、みんな同じことを考えるのですね。

 

ものすごいたくさんの、検証系の記事があります。

 

墜落の謎についても、ものすごい検証されてますね。

 

飛行ルートからふりかえりますと・・・

 

静岡県相模湾上空で異音がして、それからクルーの皆さんの命がけの操縦が始まります。

 

管制塔は名古屋空港への緊急着陸を進めたそうですが、機長は羽田へ向かう!と宣言。

 

???と思いましたが、

 

市街地への不時着は犠牲者が出るので、名古屋のような市街地にある空港は避けたかったのだろう

 

とのこと。

 

なるほどなと思いました。

 

では、なんで海を選ばなかったのか・・・

 

わたしのように、”山じゃなくて海なら生存者が増えたのでは!?”と、

 

機長の決定に抗議がたくさんあったみたいですね。

 

シミュレーターでベテラン級のパイロットの皆さんで何時間もかけて、検証されたそうです。

 

ベテランの腕をもってしても、墜落の結果しか出なかった。

 

そりゃあそうですね、時速数百キロで海に突っ込むと、コンクリの上に落ちるような衝撃らしいですからね。

 

ということで、衝撃音から油圧操作系統をすべて失った状態で、

 

右旋回して山に進んだだけでも、とても奇跡的な操縦で、

 

JAL123便の高濱機長は、

素晴らしい腕前のパイロットだった・・・

 

というのが、私の感想です。

 

亡くなられた高濱機長は、ポラリス賞を受賞しておられます。

 

ポラリス賞 (Polaris Award) は民間航空に関係する賞としては最高位に位置する賞で、

国際定期航空操縦士協会連合会 (IFALPA) が民間航空機パイロットに対して、

その優れた飛行技術や英雄的行為を表彰するものである。 (wikiより)

 

海に行けば生き残れたんじゃないか??

 

つくづく、素人の考えは浅はかだと私は思いました。

 

しかし、これで、当時のJAL123便のクルーへの敬意の念が沸きました。

 

一つ自分の中のジャッジが手放せたように思います。

 

なお、機長の長女さん高濱洋子さんは、

 

JALに入社されて、FAとして(すっちー)勤務しておられます。

 

それもすごいですね。

 

強い方だと思います。

 

 

 

これからの世界は大転換期ですので、どんな出来事が起こるかわかりません。

 

こういうことに向きあうと、私は、リスクマネジメントにつながると

 

個人的に思っています。

 

 

おわりに、JAL123便に乗る予定だった(乗る可能性があった)有名人をシェアして終わります。

 

明石家さんま

当時の大喜利レギュラーメンバー

ジャニー喜多川

西川のりお

石田あゆみ

逸見政孝

稲川淳二

勝谷誠彦

少年隊・・・

 

 

 

なるほど、さんまさんの”生きてるだけでまるもうけ!”

 

この墜落事故が関係していたんですね。

 

そこまで笑って委員会で有名な勝谷さんは、

 

JAL123便が満席だったので、新幹線移動して生き残っておられます。

 

 

 

改めて、亡くなられた皆さんのご冥福をお祈り申し上げます。

 

私も、いつか、墜落地点に行って、お祈りしたいと思いました。

 

 

 

それでは、なぜか、このタイミングでの日航123便の話、

 

終わります。

 

 

 

 

ここまで読んで下さり、ありがとうございました。

 

→こちらのブログ

 

も、よろしく読んで下さると、うれしいです。

 

 

 

 

 

 

 

皆さんの心が平和でありますように。

 

世界中の生きとし生けるものがしあわせでありますように・・・

 

 

 

Peace of I

 

みつい もとゆき