このブログは前回のブログの続きです。
前回のブログ→★
またも随分久しぶりの更新になってしまいました
…………………………………
義父の急逝は本当に突然のことだったので、夫も義妹のMちゃんも、そして私も、直ぐには感情の整理が出来ませんでした。
そんな私達には一切お構いなく、人が亡くなると、お葬式の手配や弔問客の応対、役所での手続きなどなど、事務的かつ膨大な作業が容赦なく襲って来ます。
私達はそれらに対して、夢中で対処しました。
でももしも、そういう『やらないといけないこと』でもなければ、おそらくひたすら悲しくて、もうどうしようも無くなっていただろうと思います。
だから事務的な手続きでもなんでも、目の前のやることに忙殺されて深く自分の感情と向き合わずに済んだことに、ある意味救われる部分もありました。
………
そしてそういう手続きがひと段落した時のことです。
その時はもう弔問客や親類の方も来なくなり、夫とMちゃんと私の3人だけで家にいました。
Mちゃんが突然、
「ハクシさんが買ってきてくれた日本酒、3人で飲もうよ」
と言いました。
このお酒は、お義父さんの急逝の一報を受けた私が東京から山口に駆け付けた際に、御供えのために宇部空港の売店で買ったものでした。
『山頭火』です。
読み方は、サントウカ。
山口の地酒です。
結婚前に、初めてお義父さんにご挨拶に伺った時に、お義父さんが飲んでいた山口の地酒です。(詳細はこちらのブログをご参照ください→★★)
私もお義父さんからお勧めしていただいたけど、いかんせん私は酒癖が悪い。
酔うと無差別に人を褒めちぎってしまうのです
だから御相伴するのはお断りしたのですが、この時にお義父さんと『山頭火』についてお喋りしました。
………
私「この『山頭火』っていうのは、俳人の種田山頭火のことでしょうか?」
義父「そうです。種田山頭火から取って、『山頭火』。山口の地酒です」
私「種田山頭火って、山口の人だったんですか?知りませんでした」
義父「生まれは山口ですね。最期は松山だけど」
私「“ころり往生(おうじょう。亡くなること)”の人ですよね」
義父「そうそう、"ころり往生”を心情としていた人。ふふふ…。
一番理想的な最期ですなぁ、“ころり往生”は。僕もこの歳になると憧れます。」
………
“ころり往生”というのは、大酒飲みだった俳人・種田山頭火が憧れていた死に方です。
直前まで普通に生活していて、突然脳溢血や心筋梗塞などで殆ど苦しまず、そして誰にも迷惑を掛けずに亡くなることです。
この"ころり往生"という言葉は、俳人で言葉のエキスパートだった山頭火が作り出したものです。
人生の最期に、
他人に迷惑を掛けたくない
そして自分も苦しみたくない
という謙虚かつ素直な感情を、わずか7音のキャッチーな響きで表現した山頭火は、本当に優れた俳人であったと同時に、もしも現代に生きていたら、天才的なコピーライターとして一世を風靡していたのではないか…と、そんな下世話な想像を膨らませてしまいます。
………
私「お酒飲んで良い気持ちになって、その時にふっと死ねたら一番良いですよね」
義父「僕もそうやって死ねたら、一番良いと思っています。でもそんな最高の死に方は、運もあるしなかなか難しいだろうけどね」
そう言って、夫とそっくりの目で笑っていた義父の顔が、今でも瞼に焼き付いています。
………
だからMちゃんが『山頭火』をグラスに注いでくれた時にも、義父の笑い顔を思い出してしまって、なんだかまだ涙が溢れてしまいました。
救急隊と警察の検分によると、義父はあの日の夜、お風呂に入って少しお酒を飲みました。
そして真冬だったけど体温が上がったので暖房も切って、ほろ酔いの良い気分のまま書斎でお仕事をしました。
お仕事がひと段落して立ち上がって少し歩いた時に、突然倒れてしまったのではないか、とのことでした。
お葬式に来てくださった近所の方達も、亡くなる直前までお義父さんが普段と変わらずに生活していて、近所の方達と交流していたことを教えていただきました。
だからきっとお義父さんの最期は、お義父さんが憧れていた
“ころり往生”
だったのではないかと思います。
そう思うと、私はほんの少しだけ救われます。
お義父さんが理想としていた最期を迎えるために、もしかすると先に亡くなったお義母さんがお迎えに来てくださって、苦しまないようにそっと義父を連れて行ってくださったのかも知れません。
………
でもいくらそんな風に考えても、やっぱり私はお義父さんともう二度と会えないことが、とても寂しいのです。
人の生き死には運命だからどうしようもないことは分かっているけど、でももう二度とお義父さんとお会いできないことがとても寂しくて寂しくて、私は今も涙が溢れてきます。
“ころり往生"なんて、いなくなる人は良いけど、残された方は唐突にお別れしないといけないのだから、本当に寂しいだけです。
私はお義父さんの息子と結婚して義娘になったのだから、もっとお世話をさせて頂きたかったです。
夫と結婚した時、いずれ早くに妻を亡くして一人で暮らしていたお義父さんのお世話をするつもりでいました。
だからもっと私に甘えて、わがままを言って良かったのに。
それなのに、たったの一度も私にお世話も看病もさせてくれないまま、お義父さんは一人である日突然いなくなってしまいました。
私の大学の大先輩だったお義父さん。
研究者の私にとって一番大事な「姓」を、気前良くくれたお義父さん。
自分の親以上に、私の研究を理解して大切に考えてくださっていたお義父さん。
お酒を飲んで、陽気になっていたお義父さん。
もっと沢山お話しがしたかったです。
本当に短い間だったけど、お義父さんの娘になれて幸せでした。
つづく
種田山頭火