秋の山には危険がいっぱい
9/20、昼前に、My峠といってもおかしくない程、通いなれた南阿蘇グリーンロードへ、SV1000S(1000ccスポーツバイク)で走りに出かけました。
平地は相変わらず暑かったのですが、峠は寒いかもしれないと、レザージャケットを着ていったのですが、予想通り気温が低くて、とても気持ちよかったです。
ただ、この時期になると困るのが車。紅葉に染まる山景色の観賞やハイキングのために、カーブの出口に路駐したり、外を眺めながら低速前進したり、果てはドアをいきなり開けたり、飛び出したり、バックで逆走するなど、大変、危険極まりないことをやってくれます。
まあ、こちらも尋常でないスピードで、バイクをかっ飛ばしているので、一概に文句は言えないんですけどね・・・。
平地は相変わらず暑かったのですが、峠は寒いかもしれないと、レザージャケットを着ていったのですが、予想通り気温が低くて、とても気持ちよかったです。
ただ、この時期になると困るのが車。紅葉に染まる山景色の観賞やハイキングのために、カーブの出口に路駐したり、外を眺めながら低速前進したり、果てはドアをいきなり開けたり、飛び出したり、バックで逆走するなど、大変、危険極まりないことをやってくれます。
まあ、こちらも尋常でないスピードで、バイクをかっ飛ばしているので、一概に文句は言えないんですけどね・・・。
注目のソロシンガー
熊本人限定、そのうち世界が注目することになるかもよニュース!
今回は、ソロシンガーの山川由貴子さんを紹介します。
山川さんは、熊本で美容師をする傍ら、ソロシンガー活動を行っており、ラジオに出演したり、コンサートに招かれたりするなど、知る人ぞ知る方です。最近は、ソロギターの本田臣考さんと組んで、本格的に音楽活動を開始されました。
私は、お二人の製作した、現曲のカバーCDを聞きましたが、透き通っていながら迫力ある山川さんの声と、本田さんの穏やかなギター音が重なって、何度でも聞きたくなる一枚になっていました。
ただ、まだお二人のオリジナル曲は無いとのこと。是非、聞いてみたいですね! 今後のご活躍に期待です。「MotorLife」では引き続き、二人の活動を紹介していきます。
今回は、ソロシンガーの山川由貴子さんを紹介します。
山川さんは、熊本で美容師をする傍ら、ソロシンガー活動を行っており、ラジオに出演したり、コンサートに招かれたりするなど、知る人ぞ知る方です。最近は、ソロギターの本田臣考さんと組んで、本格的に音楽活動を開始されました。
私は、お二人の製作した、現曲のカバーCDを聞きましたが、透き通っていながら迫力ある山川さんの声と、本田さんの穏やかなギター音が重なって、何度でも聞きたくなる一枚になっていました。
ただ、まだお二人のオリジナル曲は無いとのこと。是非、聞いてみたいですね! 今後のご活躍に期待です。「MotorLife」では引き続き、二人の活動を紹介していきます。
Katayama Tomoko 作品展
熊本人限定、そのうち世界が注目することになるかもよニュース!
熊本在住の絵画アーティスト、片山知子さんが、10/18~10/27、熊本市河原町2 ギャラリーアドゥで、作品展を開きます。
片山さんはご自身のアトリエを持ち、絵画の他、アクセサリーやネイルアートを製作したり、ご自身をモデルにした写真集を発表するなど、幅広く活動していらっしゃいます。
片山さんの幻想的で温かみのある作品は、年齢や性別に関係なく、多くの人を惹きつけることでしょう。興味ある方は、是非、展示即売会に足を運んで下さい。
また一足先に、作風を知りたいという方は、こちらの片山さんご自身のサイトをご覧下さい。
『森のアトリエ』
http://tomokok.looklook.to/index.htm
熊本在住の絵画アーティスト、片山知子さんが、10/18~10/27、熊本市河原町2 ギャラリーアドゥで、作品展を開きます。
片山さんはご自身のアトリエを持ち、絵画の他、アクセサリーやネイルアートを製作したり、ご自身をモデルにした写真集を発表するなど、幅広く活動していらっしゃいます。
片山さんの幻想的で温かみのある作品は、年齢や性別に関係なく、多くの人を惹きつけることでしょう。興味ある方は、是非、展示即売会に足を運んで下さい。
また一足先に、作風を知りたいという方は、こちらの片山さんご自身のサイトをご覧下さい。
『森のアトリエ』
http://tomokok.looklook.to/index.htm
上質のアイスミルクティ
熊本人限定、うまかもんニュース!
ツーリング中、お酒を飲めないバイク乗りにとって、コーヒーや紅茶は特別な飲み物ですよね。時に乾いた喉を潤し、時に寒さに震える身体を温め、その味わいは、ツーリングの思い出と共に、記憶に刻まれていきます。そんなバイク乗りの一人である私が、何年も飲み続けているのが、喫茶店「タテゾノ」の「アイスミルクティ」です。
見た目は、透き通ったティーとミルクに層が分かれていて、一口飲めば、すっきりとした上品な甘さと、紅茶の香りが、口いっぱいに広がっていきます。私はこの店以外で、アイスミルクティを飲まなくなりました。
熊本限定の情報ですが、もし近くにお立ち寄りの際には、是非、訪れて下さい。
『タテゾノ』
住所:熊本下通りアーケード沿い
ツーリング中、お酒を飲めないバイク乗りにとって、コーヒーや紅茶は特別な飲み物ですよね。時に乾いた喉を潤し、時に寒さに震える身体を温め、その味わいは、ツーリングの思い出と共に、記憶に刻まれていきます。そんなバイク乗りの一人である私が、何年も飲み続けているのが、喫茶店「タテゾノ」の「アイスミルクティ」です。
見た目は、透き通ったティーとミルクに層が分かれていて、一口飲めば、すっきりとした上品な甘さと、紅茶の香りが、口いっぱいに広がっていきます。私はこの店以外で、アイスミルクティを飲まなくなりました。
熊本限定の情報ですが、もし近くにお立ち寄りの際には、是非、訪れて下さい。
『タテゾノ』
住所:熊本下通りアーケード沿い
ギャンブル大国
最近、テレビを見たり、熊本の街中を歩いたりしていて、うんざりすることがあります。それは、私の大嫌いなパチンコ屋を、いたるところで見かけるからです。
テレビを見れば、様々なパチンコ屋のCM、街を歩けば、まるで豪華ホテルのようなパチンコ屋の群れ、見上げれば街のいたるところに、パチンコの看板や電光掲示板が設置されています。いつから日本は、こんなギャンブル大国になってしまったのでしょうか。何故、パチンコを批判する声は、こんなにも上がらないのでしょうか。これでは社会が荒んでいくのは、当たり前です。ここで一つ、パチンコが日本社会に与えるダメージについて、少し考えてみましょう。
まず、日本全国にあるパチンコ店の総数は、15,110軒(平成16年2月12日)あり、都市部に限らず、どんな小さな市町村でもパチンコ店があります。ほとんどの店は年中無休で、朝から晩まで営業していて、パチンコ店の年間売り上げは全店で実に29兆6340億円(平成16年、レジャー白書2004)にも上ります。この額は、日本の基幹産業である自動車業界を凌いでいて、日本の主要産業がギャンブルであることを示しています。
パチンコ参加人口は約1740万人(平成16年、前掲)で、1800万人近いファンがいるギャンブルとなると、一部にファンがいるマイナーな時間つぶしなどではなく、日本人の多くが熱中している主要な関心事といえます。また、ファン一人につき、年に平均約170万円をパチンコに使っている計算になり、可処分所得の多くをギャンブルに費しているといえます。更に、中学生、高校生であろうとも、事実上はパチンコ店に入店可能であり、日本人の多くは学校帰り、会社帰りにパチンコ店に立ち寄って賭博をするのが、当たり前の状態です。
そんなパチンコ・パチスロは、CR機・AT機と呼ばれるギャンブル性の高い機種が主流で、2時間ほどの間に数万円が動きます。スロットでは一日に10万単位の勝ち負けも珍しくなく、数日間負けが込むと、サラリーマンの給料程度の額を失い、更に半年ほどの間に、数百万の借金を負うケースもあります。
当然そうなると増えるのが、借金や自殺、犯罪です。消費者金融ローンの信用供与額は、平成14年に実に24兆円以上(日本クレジット産業協会統計)。パチンコ産業の規模の大きさと賭博性を考慮すれば、パチンコに関連した借金が相額に上ると予想できます。自殺は、日本で年間約3万人。経済苦によるものがその3割を占めると言われており、どれだけの人が、パチンコによる経済苦を理由としているかは分かりませんが、パチンコ店内での自殺すら珍しくないのが現状です。また、パチンコで遊ぶ金ほしさの強盗・殺人から、パチンコに熱中した親による幼児虐待・放置まで、パチンコ絡みの犯罪は増加の一途をたどっています。
更にパチンコは、日本経済や文化、社会にもダメージを与えています。
一人につき年に平均約170万円もパチンコに使われると、可処分所得の多くはパチンコに吸収され、結果としてパチンコ業界とサラ金業界が隆盛。他の消費にまわす額は激減し、家電、自動車、住宅産業等はかなりのダメージを受けていると推測されます。
また、パチンコ人口が2千万に上るということは、日本人の余暇の過ごし方は、文化的な活動よりパチンコが当たり前で、映画・演劇・音楽・出版・スポーツなどの文化産業は、かなりのダメージを受けています。
更に、全国のパチンコ店が15,110軒ということは、一部の歓楽街にとどまらず、日本の至るところに、パチンコのケバケバしいネオンと看板があるということで、日本の街並みは美観を失い、住環境に悪影響を与えています。
また、長者番付けにはパチンコ関連会社のオーナーが名を連ねるほど、パチンコ業界は儲かっているにも関わらず、脱税の常連となっているので、税金によって賄われる日本の公共福祉は、その脱税によってかなりの損失を被っています。
人的被害も大きいです。多くの高校生、大学生がパチンコに夢中で勉学を放棄し、同時に自立心や労働意欲も失う者も多く出ています。これでは将来を担うどころか、社会の不安定要因へと転落です。それに親がパチンコ賭博に熱中した場合、子供の教育投資を減少させることになり、子供に対する心理的な悪影響は計り知れません。
パチンコに関する虚偽や不正も見逃せません。
パチンコ店は、パチンコの賭博性を隠蔽し、レジャーや遊戯であるという虚偽に満ちた経営を行います。中・高生の入店拒否やギャンブル依存予防への対策は行われず、社会的責任を一切負いません。またパチンコはコンピュータ操作が可能なため、胴元が不正を容易に行えるので、不正機器(遠隔操作)を使用した店の摘発が後を絶ちません。更に公営ギャンブルとは違い、控除率等が定められていないので、いかなる公平性も存在しません。
しかしそんなパチンコ業界に、警察利権が絡んでいます。パチンコ産業の企業・団体のポストは、警察官僚の天下り先として確保され、全国各管区警察局長ごとに天下りの縄張りが決められています。パチンコは射倖性を煽る方向にばかり変化してきましたが、監督官庁である警察がこの動きを後押ししているのです。
また、パチンコ店の7割は在日系だといわれていますが、脱税した金額の多くを不正に北朝鮮に送金しています。つまり、北朝鮮財政はパチンコマネーによって支えられているのです。その北朝鮮は、今まで日本を一貫して敵国と位置づけ、拉致および破壊活動を行ってきましたが、日本の一部の政治家・政党は北朝鮮族議員と化し、朝鮮総連関係への捜査にたいする圧力や、不正送金等の後押しを行っています。それらの政治家が、パチンコ業界から多額の献金を受けていることは、言うまでもありません。
しかし、そんな巨大利権のパチンコを、マスコミが糾弾することはありません。何故ならパチンコ業界は、テレビ・新聞・雑誌など、各種マスコミの大口スポンサーになっているからです。こうしてパチンコ業界に不利な情報は抑制され、一部のマスコミはパチンコ賭博の普及を積極的に進めています。
ここまで読まれた方は、パチンコが日本社会に、どれだけの悪影響を及ぼしているか、分かって頂けたと思います。しかし中には、そういった社会的損失は自分には関係が無く、「パチンコは楽しい上に、お金まで稼げて素晴らしい!」「自分はトータルで勝っているから構わない」と、仰る方もいるかもしれません。しかし、パチンコの本当の恐ろしさは、金銭的な問題だけではありません。
パチンコ店に行ったとき、台を激しく叩く人、少し肩が当たっただけで怒鳴る人、
床に落ちている玉を拾う人などを、見かけたことはないでしょうか。パチンコに夢中になっている人を傍から見ると、自己中心的で貪欲で卑しい人に映ることがあります。あたかもパチンコがその人の脳を占領して、まるで人間的な思慮と分別が失われてしまったかのように。これは、その人がパチンコによって、人格を幼児退行させてしまった結果です。
人は何故、パチンコ=ギャンブルを行うのか。そのきっかけは、ストレス解消が一番多いといわれます。ギャンブルの快楽は現実を忘れさせてくれるので、現実逃避の手段としてギャンブルを行うのが一般的です。では何故、現実逃避しなければならないかといえば、その人が現実の悩みやストレスを克服できないからだと考えられます。現実の克服に失敗したとき、人は過去の行動形式に戻ることがあります。ギャンブルに依存する人は、過去の思考・行動形式に戻ることで、現実から得ることができない充足を得ようとするのです。
では、過去のどの時点に戻っているといえるのでしょうか。それは、パチンコの行動を検討すれば簡単です。どのギャンブルにも偶然に頼った報償がありますが、パチンコの大当たりはコンピューターで制御され、いつ大当たりがくるのか分かりません。
ただ、台の前でハンドルを握って座り、当たってくれるのを待ちます。これは、自らの力で環境に作用して、快楽を獲得する大人の行動形式と比べると、まったく正反対の行動だといえます。受動的な立場から、自分の現実的な努力とは無関係に当たりの快楽を得ようとするこの行動形式は、幼児そのものです。
幼児は無力な存在なので、自らの力で快楽を得ることが出来ず、母親の庇護を一方的に必要とします。つまり、周りの環境が一方的に自分に仕え、自分では何一つ努力することなく快楽を獲得することができます。幼児期の行動形式に戻り、ただ受動的な快楽を得ることで充足したい心理。これこそが、人をパチンコ店に向かわせているのでしょう。考えてみれば、すがるようにパチンコ台に座り、当たりを求めて際限なく金をつぎこみ、当たりがくると満ち足りた表情をするパチンカーというのは、母親の乳房を求める幼児に驚くほど似ています。
そのようにして、幼児的な思考・行動形式を取るようになれば、当然その人の人格も幼児的になっていきます。端的にいって、自分の思い通りにいくはずだとするナルシシズム、現実と妄想を区別できない思考力、自己の攻撃性を抑えることができない衝動性などが、表に出易くなってきます。よって、周りの大人からパチンカーを見れば、非常に奇異に映り、ときには卑しい人格だと思われるようになるし、また本人も、継続的な努力ができなくなったり、働く意欲を無くしたりします。更に、パチンカーによる各種の犯罪が後を絶ちませんが、本人が幼児的になっていることを考えれば、その人が殺人を犯そうが、盗みを行おうが、自らの子供を放置して死なせようが、それらは大して不思議なことではありません。
こうして、一度パチンコにハマってしまうと、パチンコとは正反対の行動形式である大人の世界が、本人にとっては非常に辛いものになります。まるで大人の世界に迷い込んだ幼児のように傷つきやすく、自信を失ってしまうのです。その結果、ますますパチンコの幼児的な行動形式にすがりついて、自分の中に幼児的人格を強めるようになるので、借金を重ねようが、人間関係を失おうが、社会的な信用を無くそうが、命を失うまで、パチンコを止めることが出来なくなってしまいます。それはまるで、奴隷や家畜のようにです。
以上のように考えると、日本人の1800万人がパチンカーで、毎年30兆円をパチンコに費やしているという事態は、笑いごとではありません。大人の洗練が必要とされる技でも芸術でもなく、幼児の行動を再現させるパチンコこそ、日本人の主要な関心事になっているのです。これからもパチンコによって、一部の日本人の幼児化が進行し、日本社会をますます疲弊させていくことになるでしょう。
テレビを見れば、様々なパチンコ屋のCM、街を歩けば、まるで豪華ホテルのようなパチンコ屋の群れ、見上げれば街のいたるところに、パチンコの看板や電光掲示板が設置されています。いつから日本は、こんなギャンブル大国になってしまったのでしょうか。何故、パチンコを批判する声は、こんなにも上がらないのでしょうか。これでは社会が荒んでいくのは、当たり前です。ここで一つ、パチンコが日本社会に与えるダメージについて、少し考えてみましょう。
まず、日本全国にあるパチンコ店の総数は、15,110軒(平成16年2月12日)あり、都市部に限らず、どんな小さな市町村でもパチンコ店があります。ほとんどの店は年中無休で、朝から晩まで営業していて、パチンコ店の年間売り上げは全店で実に29兆6340億円(平成16年、レジャー白書2004)にも上ります。この額は、日本の基幹産業である自動車業界を凌いでいて、日本の主要産業がギャンブルであることを示しています。
パチンコ参加人口は約1740万人(平成16年、前掲)で、1800万人近いファンがいるギャンブルとなると、一部にファンがいるマイナーな時間つぶしなどではなく、日本人の多くが熱中している主要な関心事といえます。また、ファン一人につき、年に平均約170万円をパチンコに使っている計算になり、可処分所得の多くをギャンブルに費しているといえます。更に、中学生、高校生であろうとも、事実上はパチンコ店に入店可能であり、日本人の多くは学校帰り、会社帰りにパチンコ店に立ち寄って賭博をするのが、当たり前の状態です。
そんなパチンコ・パチスロは、CR機・AT機と呼ばれるギャンブル性の高い機種が主流で、2時間ほどの間に数万円が動きます。スロットでは一日に10万単位の勝ち負けも珍しくなく、数日間負けが込むと、サラリーマンの給料程度の額を失い、更に半年ほどの間に、数百万の借金を負うケースもあります。
当然そうなると増えるのが、借金や自殺、犯罪です。消費者金融ローンの信用供与額は、平成14年に実に24兆円以上(日本クレジット産業協会統計)。パチンコ産業の規模の大きさと賭博性を考慮すれば、パチンコに関連した借金が相額に上ると予想できます。自殺は、日本で年間約3万人。経済苦によるものがその3割を占めると言われており、どれだけの人が、パチンコによる経済苦を理由としているかは分かりませんが、パチンコ店内での自殺すら珍しくないのが現状です。また、パチンコで遊ぶ金ほしさの強盗・殺人から、パチンコに熱中した親による幼児虐待・放置まで、パチンコ絡みの犯罪は増加の一途をたどっています。
更にパチンコは、日本経済や文化、社会にもダメージを与えています。
一人につき年に平均約170万円もパチンコに使われると、可処分所得の多くはパチンコに吸収され、結果としてパチンコ業界とサラ金業界が隆盛。他の消費にまわす額は激減し、家電、自動車、住宅産業等はかなりのダメージを受けていると推測されます。
また、パチンコ人口が2千万に上るということは、日本人の余暇の過ごし方は、文化的な活動よりパチンコが当たり前で、映画・演劇・音楽・出版・スポーツなどの文化産業は、かなりのダメージを受けています。
更に、全国のパチンコ店が15,110軒ということは、一部の歓楽街にとどまらず、日本の至るところに、パチンコのケバケバしいネオンと看板があるということで、日本の街並みは美観を失い、住環境に悪影響を与えています。
また、長者番付けにはパチンコ関連会社のオーナーが名を連ねるほど、パチンコ業界は儲かっているにも関わらず、脱税の常連となっているので、税金によって賄われる日本の公共福祉は、その脱税によってかなりの損失を被っています。
人的被害も大きいです。多くの高校生、大学生がパチンコに夢中で勉学を放棄し、同時に自立心や労働意欲も失う者も多く出ています。これでは将来を担うどころか、社会の不安定要因へと転落です。それに親がパチンコ賭博に熱中した場合、子供の教育投資を減少させることになり、子供に対する心理的な悪影響は計り知れません。
パチンコに関する虚偽や不正も見逃せません。
パチンコ店は、パチンコの賭博性を隠蔽し、レジャーや遊戯であるという虚偽に満ちた経営を行います。中・高生の入店拒否やギャンブル依存予防への対策は行われず、社会的責任を一切負いません。またパチンコはコンピュータ操作が可能なため、胴元が不正を容易に行えるので、不正機器(遠隔操作)を使用した店の摘発が後を絶ちません。更に公営ギャンブルとは違い、控除率等が定められていないので、いかなる公平性も存在しません。
しかしそんなパチンコ業界に、警察利権が絡んでいます。パチンコ産業の企業・団体のポストは、警察官僚の天下り先として確保され、全国各管区警察局長ごとに天下りの縄張りが決められています。パチンコは射倖性を煽る方向にばかり変化してきましたが、監督官庁である警察がこの動きを後押ししているのです。
また、パチンコ店の7割は在日系だといわれていますが、脱税した金額の多くを不正に北朝鮮に送金しています。つまり、北朝鮮財政はパチンコマネーによって支えられているのです。その北朝鮮は、今まで日本を一貫して敵国と位置づけ、拉致および破壊活動を行ってきましたが、日本の一部の政治家・政党は北朝鮮族議員と化し、朝鮮総連関係への捜査にたいする圧力や、不正送金等の後押しを行っています。それらの政治家が、パチンコ業界から多額の献金を受けていることは、言うまでもありません。
しかし、そんな巨大利権のパチンコを、マスコミが糾弾することはありません。何故ならパチンコ業界は、テレビ・新聞・雑誌など、各種マスコミの大口スポンサーになっているからです。こうしてパチンコ業界に不利な情報は抑制され、一部のマスコミはパチンコ賭博の普及を積極的に進めています。
ここまで読まれた方は、パチンコが日本社会に、どれだけの悪影響を及ぼしているか、分かって頂けたと思います。しかし中には、そういった社会的損失は自分には関係が無く、「パチンコは楽しい上に、お金まで稼げて素晴らしい!」「自分はトータルで勝っているから構わない」と、仰る方もいるかもしれません。しかし、パチンコの本当の恐ろしさは、金銭的な問題だけではありません。
パチンコ店に行ったとき、台を激しく叩く人、少し肩が当たっただけで怒鳴る人、
床に落ちている玉を拾う人などを、見かけたことはないでしょうか。パチンコに夢中になっている人を傍から見ると、自己中心的で貪欲で卑しい人に映ることがあります。あたかもパチンコがその人の脳を占領して、まるで人間的な思慮と分別が失われてしまったかのように。これは、その人がパチンコによって、人格を幼児退行させてしまった結果です。
人は何故、パチンコ=ギャンブルを行うのか。そのきっかけは、ストレス解消が一番多いといわれます。ギャンブルの快楽は現実を忘れさせてくれるので、現実逃避の手段としてギャンブルを行うのが一般的です。では何故、現実逃避しなければならないかといえば、その人が現実の悩みやストレスを克服できないからだと考えられます。現実の克服に失敗したとき、人は過去の行動形式に戻ることがあります。ギャンブルに依存する人は、過去の思考・行動形式に戻ることで、現実から得ることができない充足を得ようとするのです。
では、過去のどの時点に戻っているといえるのでしょうか。それは、パチンコの行動を検討すれば簡単です。どのギャンブルにも偶然に頼った報償がありますが、パチンコの大当たりはコンピューターで制御され、いつ大当たりがくるのか分かりません。
ただ、台の前でハンドルを握って座り、当たってくれるのを待ちます。これは、自らの力で環境に作用して、快楽を獲得する大人の行動形式と比べると、まったく正反対の行動だといえます。受動的な立場から、自分の現実的な努力とは無関係に当たりの快楽を得ようとするこの行動形式は、幼児そのものです。
幼児は無力な存在なので、自らの力で快楽を得ることが出来ず、母親の庇護を一方的に必要とします。つまり、周りの環境が一方的に自分に仕え、自分では何一つ努力することなく快楽を獲得することができます。幼児期の行動形式に戻り、ただ受動的な快楽を得ることで充足したい心理。これこそが、人をパチンコ店に向かわせているのでしょう。考えてみれば、すがるようにパチンコ台に座り、当たりを求めて際限なく金をつぎこみ、当たりがくると満ち足りた表情をするパチンカーというのは、母親の乳房を求める幼児に驚くほど似ています。
そのようにして、幼児的な思考・行動形式を取るようになれば、当然その人の人格も幼児的になっていきます。端的にいって、自分の思い通りにいくはずだとするナルシシズム、現実と妄想を区別できない思考力、自己の攻撃性を抑えることができない衝動性などが、表に出易くなってきます。よって、周りの大人からパチンカーを見れば、非常に奇異に映り、ときには卑しい人格だと思われるようになるし、また本人も、継続的な努力ができなくなったり、働く意欲を無くしたりします。更に、パチンカーによる各種の犯罪が後を絶ちませんが、本人が幼児的になっていることを考えれば、その人が殺人を犯そうが、盗みを行おうが、自らの子供を放置して死なせようが、それらは大して不思議なことではありません。
こうして、一度パチンコにハマってしまうと、パチンコとは正反対の行動形式である大人の世界が、本人にとっては非常に辛いものになります。まるで大人の世界に迷い込んだ幼児のように傷つきやすく、自信を失ってしまうのです。その結果、ますますパチンコの幼児的な行動形式にすがりついて、自分の中に幼児的人格を強めるようになるので、借金を重ねようが、人間関係を失おうが、社会的な信用を無くそうが、命を失うまで、パチンコを止めることが出来なくなってしまいます。それはまるで、奴隷や家畜のようにです。
以上のように考えると、日本人の1800万人がパチンカーで、毎年30兆円をパチンコに費やしているという事態は、笑いごとではありません。大人の洗練が必要とされる技でも芸術でもなく、幼児の行動を再現させるパチンコこそ、日本人の主要な関心事になっているのです。これからもパチンコによって、一部の日本人の幼児化が進行し、日本社会をますます疲弊させていくことになるでしょう。
これぞ女性向けバイクウェア
ここ最近、女性向けのバイクウェアが、沢山、発表されるようになりましたね。でも、そのほとんどは、真剣にバイクを走らせることを楽しむ女性向けで、ストリートを走ることの多い女性向けとは言えません。
そんな中、バイクウェアにもオシャレを求める女の子向けに、バイク用品を考えるブランド、「ダムフラッパー」が誕生しました。
海外アーティストの和ブームから火がついた和柄アイテムを、バイクファッションと融合させた斬新なデザインを発信!バイクアイテムの中にキャミソールを揃えるなど、バイク用品メーカーとしても斬新です。
ファッションとしても楽しめるものばかりなので、女性の方は、是非、「ダムフラッパー」を覗いてみて下さい。
『DAMM FLAPPER 』
http://www.dammflapper.com/
そんな中、バイクウェアにもオシャレを求める女の子向けに、バイク用品を考えるブランド、「ダムフラッパー」が誕生しました。
海外アーティストの和ブームから火がついた和柄アイテムを、バイクファッションと融合させた斬新なデザインを発信!バイクアイテムの中にキャミソールを揃えるなど、バイク用品メーカーとしても斬新です。
ファッションとしても楽しめるものばかりなので、女性の方は、是非、「ダムフラッパー」を覗いてみて下さい。
『DAMM FLAPPER 』
http://www.dammflapper.com/
羨ましいレザージャケット
各バイク用品メーカーが、新作を出している中、イタリアのバイク用品メーカー「SPIDI」の新作レザージャケット、「MANTA LADY」が気になりました。
フィット感のあるラインに、白と黒を対比させたメリハリあるデザイン、肩、肘、脊髄にプロテクターを入れられるなど、まさしく私好みなんですが、残念ながらコレ、女性用なんですよね。
まあ男は、同じく「SPIDI」の「JACKAL」を着るとして、このイタリアの上質の革とデザインで作られた、女性専用レザージャケット。女性の皆さん、こんなの着てバイクに乗ったら、目を惹くこと間違いなしですよ。
『SPIDI』
http://www.rakuten.co.jp/spidi/index.html
フィット感のあるラインに、白と黒を対比させたメリハリあるデザイン、肩、肘、脊髄にプロテクターを入れられるなど、まさしく私好みなんですが、残念ながらコレ、女性用なんですよね。
まあ男は、同じく「SPIDI」の「JACKAL」を着るとして、このイタリアの上質の革とデザインで作られた、女性専用レザージャケット。女性の皆さん、こんなの着てバイクに乗ったら、目を惹くこと間違いなしですよ。
『SPIDI』
http://www.rakuten.co.jp/spidi/index.html
便利すぎる防寒装備
いよいよ夏も終わり、峠が寒くなる季節が近付いてきますが、この時期、バイク乗りにとって、ちょっと楽しみなことがあります。それは秋冬対応の新作バイク用品が、各メーカーから発表されるからです。その中から、私が気になる商品を紹介しましょう。
まず、革製品の老舗「KUSHITANI」の新作からは、「ツーリングワンピース」。冬用ジャケットとオーバーパンツを組み合わせたような形で、その防寒性能は抜群。更に「KUSHITANI」らしく、防風防水の上にプロテクター装着可能、リフレクト装備付など、機能満載。腰のベルトで脇を絞れるので、そんなにブカブカに見えることもなさそうです。
これ一着あれば、どんな冬場でも、Tシャツ一枚でも暖かそうですが、部屋の中に居ても、ずっとコレを着てそうなので、ちょっと怖いです。便利すぎるのも、考えものです(笑)。
『KUSHITANI』
http://www.kushitani.co.jp/
まず、革製品の老舗「KUSHITANI」の新作からは、「ツーリングワンピース」。冬用ジャケットとオーバーパンツを組み合わせたような形で、その防寒性能は抜群。更に「KUSHITANI」らしく、防風防水の上にプロテクター装着可能、リフレクト装備付など、機能満載。腰のベルトで脇を絞れるので、そんなにブカブカに見えることもなさそうです。
これ一着あれば、どんな冬場でも、Tシャツ一枚でも暖かそうですが、部屋の中に居ても、ずっとコレを着てそうなので、ちょっと怖いです。便利すぎるのも、考えものです(笑)。
『KUSHITANI』
http://www.kushitani.co.jp/
のほほんぴこぴこミュージック
私は、音楽は聞き専門なのですが、それはマイナーな曲ばかり聴いて、滅多にカラオケに入っていないから(笑)。そんな私が最近、好んで聞いているのが、「capsule」の「music controller」です。
「capsule」は、レトロ・プロダクトや映画、ファッションなどを、音楽を通して”今”の感覚で再構築することを目指す、日本のアーティストです。
その音楽は、服やアクセサリーのようなファッションを連想させるのですが、特に最新作の「music controller」は、恋によく効く薬の用法を、そのまま歌詞にしていて面白いです。
音楽のジャンルは、ボッサ、フレンチ、ジャズ、ハウス、テクノポップなんかの、のほほんぴこぴこミュージック。最近の邦楽に飽きたという方は、是非、聞いてみて下さい。
『capsule』
http://www.yamahamusic.co.jp/capsule/
「capsule」は、レトロ・プロダクトや映画、ファッションなどを、音楽を通して”今”の感覚で再構築することを目指す、日本のアーティストです。
その音楽は、服やアクセサリーのようなファッションを連想させるのですが、特に最新作の「music controller」は、恋によく効く薬の用法を、そのまま歌詞にしていて面白いです。
音楽のジャンルは、ボッサ、フレンチ、ジャズ、ハウス、テクノポップなんかの、のほほんぴこぴこミュージック。最近の邦楽に飽きたという方は、是非、聞いてみて下さい。
『capsule』
http://www.yamahamusic.co.jp/capsule/
疾走の喜びを!
バイクに乗ろう、走りに行こう
海がいいか? 山がいいか?
走るだけで楽しい
跨っているだけで心が躍る
バイクがあれば、何もいらない
笑ってしまう程、馬鹿で未熟な考えが、心を支配する
危ない、汚い、野蛮、暑い、寒い
何と言われようと構わない
限りなく広がる青い空
緑に染まる山々
包み込む蒼穹
切り裂く大気の音
そして、どこまでも伸びる白いアスファルト
車では知り得なかったであろう解放感が
スピードに胸を躍らせ
恐怖さえも喜びに転化させる
遠乗りを覚え、スピードに酔い、時を重ね
それが非常に危険な物だと気付いても
もう降りることは叶わない
忘れることなど出来るものか
この疾走の喜びを!
海がいいか? 山がいいか?
走るだけで楽しい
跨っているだけで心が躍る
バイクがあれば、何もいらない
笑ってしまう程、馬鹿で未熟な考えが、心を支配する
危ない、汚い、野蛮、暑い、寒い
何と言われようと構わない
限りなく広がる青い空
緑に染まる山々
包み込む蒼穹
切り裂く大気の音
そして、どこまでも伸びる白いアスファルト
車では知り得なかったであろう解放感が
スピードに胸を躍らせ
恐怖さえも喜びに転化させる
遠乗りを覚え、スピードに酔い、時を重ね
それが非常に危険な物だと気付いても
もう降りることは叶わない
忘れることなど出来るものか
この疾走の喜びを!