3-3 自分は、不器用ですから… 正義感はあるが、弱かった幼少期。

ここまで書いて誤解を解いておきたいと思います。
特別に「才能」あるからと感じている方

特別に「ガッツ」があって成し遂げることできたんだ…

才能もガッツも長続きしません…

 

初めから強いならば強さに憧れません

 

がたいもおおきくないからからこそ

強さに

憧れるのです。

どちらにもたよると息切れしてしまいます。
ほめられるのは、医者通いばかりしていて「注射なれ」したことくらい・・・
こんなことくらいしか褒められない。」

少し昔話絵をしたいと思います。
昔、昔あるところに身体のとっても弱い虚弱児が居ました。
彼は、未熟児で生まれしかも早生まれ(生まれる年月日が、学年で言うと年度初めのほうにあたる。〇〇年の4月から翌年3月まで)
なので、小さい頃は、体格差や成長度合いは、モロに表に出ので「いじめ」にあう。

 

しかし、いじめられて帰っても持ち前の明るさで次の日に日に落ち込んだ気分を引きずることもなかった。
しかしながら強さへの憧れは、戦隊ものや〇〇ライダーなどに投影されていた。
戦隊ものの番組をむさぼうるように見つめていた。
小学校低学年時代から、高学年になると戦隊ものから「映画のカンフースター」に移っていった。
SFじみたものから寄りリアルに
興味の本質が変化していきました。
当然また狂ったように貪りました。
当時、土日の夕食のあとの娯楽は、映画劇場の放映でした。
ブルース・リーのリアルアクションに目を奪われました。
そして、カンフーを習いたいとお願いしました。
即答で「だめです」「怪我したらどうするの?」

と僕を心配してくれてのお断りでした。
とこの時に強くなりたい「欲求」は「易経」のいう「括弧不抜」
の決意を心にくすぶってました。
「括弧不抜」 とは、[名・形動]意志が固く、動揺しないこと。また、そのさま。「確固不抜な精神」
本来の「易経」での意味は、後に「易経」を学ぶことなる。
そのお話は後ほど
確乎不抜(かっこふばつ)の決意とは
杭を打ち込んでなかなか抜けないように深く深くうちこむ事

しっかりと「志」を抱き、自分が打ちたてた目標や夢は夢ままに終わらないこと
どんなにくるしくても動かないように、軸を決めて。
初めに感じたことを貫徹すること。
すべては志から始まることを肝に銘じなくてはいけない。

つづく