3月28日(土) | 元木昌彦の「編集者の学校」

元木昌彦の「編集者の学校」

「FRIDAY」「週刊現代」「オーマイニュース」など数々の編集長を歴任
政治家から芸能人まで、その人脈の広さ深さは、元木昌彦ならでは
そんなベテラン編集者の日常を描きながら、次代のメディアのありようを問いただす

 朝10時過ぎに原宿の朝日ニュースターのスタジオへ行く。「愛川欽也のパックインジャーナル」に11時から13時まで出演。

 コメンテーターは朝日新聞シニアライターの田岡俊次さん、二木啓孝さん、樋口恵子さん、社会評論家の横尾和博さん。テーマは、北朝鮮のテポドン発射問題。小沢民主党代表続投、老人施設「たまゆら」で10人焼死した事件についてなど。

 樋口恵子さんが、群馬県渋川市の高齢者向け住宅「静養ホームたまゆら」で火災が発生し、入居者十人の命が奪われた事件について発言した後、すごいことを話し出した。東京都は、特別養護老人ホームなどを、埋め立て地の上につくっているが、その中のいくつかは、地震などで、高波が発生すると、堰き止めるために門が閉められてしまうのだが、その外側に建てられているというのだ。地価が安いというのが理由だそうだ。そうした災害のとき、いつでも切り捨てられるのは、身体的に弱い高齢者たちである。他人事ではない。

 終わって、田岡俊治さんと、「週刊現代」が朝青龍たち力士に訴えられ、4千万以上の賠償を命じられた判決について、少し話しをした。

 田岡さんは、朝青龍がいつどこで誰にカネを手渡したかを法廷で明らかにできなければ、負けるのは当然だし、そんな裏付けをとっていない記事を載せることが、そもそも間違いなのだという。

 私は、それは少し違うのではないかといった。われわれは警察官でも検事でもない。100%の裏付けをとることができないことはいくらでもある。それでは、新聞が書く記事は、すべて裏付けが十分に取れている記事しか載せていないのか?そんなことはあるまい。

 以下は、私が考えていることを少し書いておきたい。

 雑誌と新聞には役割の違いがある。新聞は、記者クラブ発表の記事が半分以上を占める。また、捜査関係者、検察関係者などというわけのわからない書き方が、どの記事にも見られるが、これは彼らからの一方的なリークを、裏付け無しに載せているのではないか。 今回も、小沢一郎民主党代表の公設秘書逮捕のとき、捜査関係者、検察関係者のコメントが、新聞には山ほど載った。

 もし、公設秘書が無罪になり、新聞を訴えたら、新聞側は、これら関係者を法廷に連れ出さなければならない。そうできなければ確実に負けるのだ。新聞は、訴えられるわけがないと思って高をくくっているだけだが、そうならないとは限らない。

 警察発表などを鵜呑みにして載せる新聞と、疑惑ありとして、事件化する前に動き出し、追及していく雑誌では、訴えられる確率が雑誌のほうが高くなることは間違いないし、それが雑誌の役割だと、私は思う。

 しかも、大相撲にしても、八百長だけではなく、大麻吸引問題、弟子に対するリンチのようなイジメ問題などを、一貫して追及してきたのは、新聞ではなく雑誌である。

 週刊誌をはじめとする雑誌の現場にいる諸君、いまだに中立公正、客観報道などというありもしないことをお題目にしている新聞など、怖るるに足りない。

 この時代を切り取り、問題提起していけるのは雑誌なのだという誇りを持って、この大変な時代と格闘してもらいたい。 

 夜、映画「ホノカアボーイ」を見に行く。吉田玲雄の小説が原作のドラマだそうだ。実際にあるハワイの町ホノカアを舞台に、今時の何とも癒し系の青年、岡田将生と、倍賞千恵子や松坂慶子との交流を描いたファンタジーのような映画。ハワイの景色をもっと見られると思っていたのに、意外に少ないのが残念。映画は一つ星といったところか。

 終わって高島屋の前の「Ottimo Seafood garden(オッティモ・シーフードガーデン)」でパスタを食らふ。コストパフォーマンスはそこそこの店だ。