8月2日(土) | 元木昌彦の「編集者の学校」

元木昌彦の「編集者の学校」

「FRIDAY」「週刊現代」「オーマイニュース」など数々の編集長を歴任
政治家から芸能人まで、その人脈の広さ深さは、元木昌彦ならでは
そんなベテラン編集者の日常を描きながら、次代のメディアのありようを問いただす

 1時から早稲田のオフィスで、秋に立ち上げる中高年向けの新書の一冊、「競馬必勝放浪記」の打ち合わせで、ライターの白石義行君来る。

「週刊現代」で、作家山口瞳さんの「競馬真剣勝負」を連載したことや、ノンフィクション・ライター本田靖春さんがヒカルイマイ(1971年6月13日に東京競馬場で開催されたダービーの優勝馬。28頭立てで、四角最後方から一気の追い込みを決める)について書いた「岐路」(途中で病気のため休載。そのまま未完)のことを懐かしく思い出す。

「目つむれば若き我あり春の宵」(高浜虚子)である。

 夕方から江戸川区花火大会に行く。川崎愛砂さん一家の招待で、お母さんが徹夜してつくったつまみとおにぎりを抱えて、市川駅から歩いて25分ぐらい歩く。

 凄い人また人。炎天下ヨロヨロしながら有料席に辿り着く。

 江戸川区と市川市を挟んだ江戸川河川敷だが、隅田川より河原が広くゆったりしている。

「江戸川区と市川市で同時開催するビッグな花火大会。趣の違う8つのテーマでプログラムを構成。今年は日本を象徴する『富士山』を舞台に、オリンピックをイメージした花火も上がる」と謳い文句にある。

 ビールを飲んで待つこと1時間15分。目の前二度ドドーンと凄い音と共に、華麗なショーの始まり。仰向けに寝そべって、真上に上がる花火を見ていると、夢か現かわからなくなる。

 私の友人で、川上信定という花火に詳しい奴がいた。60にもならないのに、栄養失調で結核になり、肺炎を併発して、あっという間に亡くなってしまった。

 彼が生きていたら、隅田川の花火よりこっちのほうがいいだろうというはずだ。

 歌の文句じゃないが、夜空に上がる花火を見ていると、亡くなってしまった友達のことが思い出されてならない。「仕掛け花火に似た命」だったな。