今は4月1日23時54分の火曜日。

先週の金曜日からの5日間に起こりえた変化について。


前ブログ「ヨーロッパ的下半身」を書いてから 

引越しをするはずの3月29日まで

家の中はがたがたで 

ゆっくり ブログを書く環境ではなかった。


引越しの前日の28日に 片付けの手伝いに来てくれると

申し出てくれた友人が


27日の夜、午後9時自宅で倒れた。

左脳の血栓だった。

友人と言っても ただの友人ではない。

30年間 ラパロを手伝ってくれていた 親友である。


気持ちは引越しどころではないのだが

引越しの準備は 着々と進み

というか

進ませないわけにはいかず


友の大事をふんずけて

MUは黙々と働いた。


そして29日を迎え 引越しやさんは

朝の8時半 我が家に集合する。


引越しやさんが 荷物の梱包も すべて

やってくれるのだとばかり思っていたMUは

実に たいへん 驚いた。


ぜーんぶ 自分が梱包して

引越しやさんは梱包された荷物を運ぶだけ

だった。料金が安い方がよければ

そういうことなのだそうである。


今回の引越しは 息子が住んでいた

マンションにMUたちが 移り

大家族になった息子家族が

MUたちの戸建の家に移るというもの。

入れ替え引越しである。

ヨーイドン爆弾


そして 今は と言うと、14階の東北角部屋の

一隅にパソコンを開いて 換気口から 

嵐が丘をうならせたような風音に 寒気を感じながら

冷たい足を 胡坐して 小さな椅子に 腰掛けて

パソコンに向かっている。

目の前には

もう一棟のマンションののっぽな姿

ところどころにまだ明かりがついている。

4月になっても寒い春だ。


まだ2日しか経っていないのに

MUは間違えずに 新しい住まいに 当たり前のように

帰ってくる。


息子の脳にも

戸建の家が帰る場所だとインプットされたもよう。


友はといえば 左脳の損傷が激しく

すべては今後のリハビリにかかっているという。


4月半ばには伊豆へ小旅行を一緒に

5月にはサントリーホールでのコンサートへ一緒に と

次々に遊びを計画していた友である。


5日間はあっという間の短さなのに

何もかもが変わっても当たり前なほどに


永遠だ。