幸せとは良いものだろうか?(ひらがなけやきとハッピーオーラ、鮎喰響) | 超絶メタアナリシス

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☆☆☆ 都心(台東区)在住です ☆☆☆

今夏は平成最後の夏であり、その夏真っ盛りの月である8月がいよいよ昨日から始まっていますね。

欅坂46界隈ではいろんな動きがあって、キャンペーンやらタイアップ企画やら、結構にぎやかになってきました。

 

ローソンとのコラボ企画では新曲『アンビバレント』を組み込んだ宣伝用MVも公開されました。

 

平手友梨奈主演の映画『響-HIBIKI-』も、映画宣伝のための動きを始めたようです。

 

そんな中、おとといの7月31日にはひらがなけやきの『ハッピーオーラ』のMVが公開されました。

(音源初公開は、月曜のラジオ番組『ゆうがたパラダイス』でした)

 


優しく安らかな感じの曲で、歌詞では、「緑の木々、風に吹かれ...」,「太陽」,「花は咲いて、甘く香り...」といったフレーズが心に留まりました。

SNSでは、森や草原,自然といったイメージが浮かんでくると評価されていました(私も同感です)。

 

 

 

私は思わず、楽聖ベートーヴェンの交響曲『田園』を連想しました。

 

交響曲『田園』も、同じく、優しく安らかな感じの曲であり、森や草原のイメージをテーマとしている曲なので...

 

また、曲のタイトル(表題)の『ハッピーオーラ』の「ハッピー」とは逆に、アンハッピーな現象が『田園』の作曲者を襲ったという事実からも、逆に想起したものです。

 

ベートーヴェンは若くから難聴になり、とてもハッピーとは言いがたいながらも、名曲を次々と制作...

 

その曲には、時代や国境を越えた普遍的な価値があるとされています。

 

アンハッピーな現象が自分の身に起こったにもかかわらず、ハッピー感しか感じられない『田園』を作って世に送り出した楽聖の偉大さをあらためてリスペクトせずにはいられないです。

 

また、ベートーヴェンと同じ天才つながりで、マンガ『響』の主人公で、平手友梨奈主演で実写映画化もされる鮎喰響ちゃんも連想してしまいました。

 

若干女子高生にして芥川賞と直木賞をダブル受賞した天才・鮎喰響は、マンガの中では、世間一般で言うところの幸せや成功とはとてもいい難い状況に身を置いています。

 

こうしてみると、天才というものは、世間一般でいう普通の”幸せ”とは縁遠いものなのでしょうか...

 

他に歴史上で偉大な作品を残したような大人物をいろいろ考えても、普通の”幸せ”とは縁が無い人が多いようですね...

 

というか、普通の”幸せ”とは縁が無いからこそ、逆に、偉大なものを求め探し、普通の人間には到達できない高みへと登ることができるということなのかな、と...

 

つまり、普通の”幸せ”が「抑圧のガラス」になることもある、というか、なるんだな、と...

 

普通の”幸せ”状態にある人にはそれに満足しがちで、精神を凝らして目に見えない何か崇高なものを見ようとはしないものなんだ、と...

 

そういう人は平凡であり続け、非凡にはなれないものなんだ、と...

 

だから、普通の”幸せ”が自分の身にないからといって、それを嘆く必要は必ずしもないわけです。

 

むしろ逆に、普通の人間には見えないものを見せてくれるよう誘導してくれている神様のお導きなんだなと、そう考えたほうがいいと思います。

 

”試練”というものは、すぐれた芸術家、ないし芸術作品を産み出してくれる肥やしなんだと...

 

”普遍的な価値”へのアクセスルートを示してくれるものなんだと...

 

 

漢字欅は、昨年の夏からいろいろと紆余曲折があって、ブログ等での表面上の明るさとは別に、いまでも陰ながら悩んだり、苦しんだりしている子が何人かいるかもしれませんが、その試練は、現状よりもより高みへ登るための道しるべだと思って、心を折らずにこれからも歩んでいって欲しいと思います。