坂道AKBのダンスはダイナミックな”動”のダンスが正解 | 超絶メタアナリシス

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☆☆☆ 都心(台東区)在住です ☆☆☆

サッカーワールドカップは本日は休養日ですね...

 

戦いの合い間の平和な日なわけですが、しかし、スポーツは争いの道具ではないのは言うまでもありません。

 

サッカーワールドカップにしろ、オリンピックにしろ、いずれも本来の目的は勝つことではなくて、スポーツを通じて交流を図ることだというのが国際的な常識です。

 

たとえば、オリンピック精神は次のように言っています。

 

「スポーツを通して心身を向上させ、さらには文化・国籍など様々な差異を超え、友情、連帯感、フェアプレーの精神をもって理解し合うことで、平和でよりよい世界の実現に貢献する」

 

ここで重要なのは、ルールを守って戦いつつ、友情や相互理解を目指して努力すること、です。

 

そのためには、全力プレーで真剣勝負をすることが必要です。

 

もしも、サッカーで、全力を尽くさないゆる~~い試合をしたら、試合後、選手間の心理的な距離は遠いままなんじゃないでしょうか?

 

からだをぶつけ合い、ときには審判からファウルをもらいながらも、最後まで真剣勝負をしあってこそ、ノーサイドになった後に友情が生まれるものだと思います。

 

ワールドカップ中にネットで評判になったコンテンツとして、元アルゼンチン代表のバティストゥータ氏と、元日本代表の中田英寿氏との対談動画がありました。

 

 

 

この2人は、1998年のワールドカップで対戦した者同士...

 

このように、真剣勝負の後にこそ、長く続く友情が生まれるものだと思います...

 

そもそも、平和も、友情も、自由も人権も、努力してつかみ取るもの、というのが欧米人のあいだでは常識とされています。

 

アメリカ人が草案を作った日本国憲法でも、以下のようになっています。

 

日本国憲法前文(抜粋):

われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。
 

同第12条(抜粋):

この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。

 

民主主義というものはフランス革命やアメリカ独立革命などの成果であり、それは市民が自由や権利を抑圧する悪い政権と戦って勝ち取ったものだ、というのが欧米人の常識です。

 

平和や権利や自由は天から降ってなど来ない、という考え方です。

 

決して、争わないようにしていれば平和が来るというものではない...

 

わかりやすく言えば、”静”ではなく、”動”ということ...

 

他者と交流する積極的な努力や理解しようとする努力、ときには戦い合うこと(ただし、ルールの範囲内で)が必要というのが欧米社会では基本的な考え方...

 

第一次世界大戦前までは、戦時国際法にのっとった戦争行為は、外交問題を解決するための正当な方法として認められていました。

 

そうやって、ドンパチをやりあいながら、平和的な落としどころをさぐっていくしかないんだよ、というのが大人な欧米社会の経験値なんです。

 

 

 

話しがだいぶそれました...

 

話しを戻すと、スポーツ以外で国際交流を図るための方法が、文芸の世界だと言われています。

 

たとえば、秋元康氏が今年から関わっている「PRODUCE48」は、本来はビジネスマターではありますが、必然的に韓国との文化的な国際交流にならざるを得ないです。

 

具体的にいえば、アイドルたちが、”音楽”と”ダンス”で国際交流を図っていくことになるわけです。

 

そのために必要なことは、上に挙げたサッカーの例のように、ときにはからだをぶつけ合うほどの真剣勝負です。

 

ガチンコ勝負で互いに才能や能力をぶつけ合わないと、ゆる~~いサッカーの試合をやるのと同じ結果になります。

 

そして、坂道AKBの今年の楽曲である『国境のない時代』は、リリースされた時期から見て、世界選抜総選挙というイベントや、ムンバイ48やサイゴン48の創設など、海外との交流が深くなっていく今年のAKB48グループの状況をふまえて生まれた曲だと思います。

 

とくに、「PRODUCE48」の企画があってこそ生まれた曲なのでは?

(この点については、くわしく後述します)

 

そもそも、AKBのシングルのカップリング曲なのだから、AKB48グループの世界での動きを反映していると考えるべきでしょう。

 

そして、「国境」という言葉も、現実の国境をさすと考えるべきでしょう。

 

現実に国境を越えて48グループは展開しているのだから、その事実をくみ取って秋元康氏は作詞したはずです。


また、この曲は、音楽による国境を越えた交流を企図する曲でもあると思います。

 

歌詞を見れば明らかじゃないでしょうか。

 

♪語るような愛の歌、誰もみな口ずさんでいる...

♪美しい愛のそのメロディー、言葉がわからなくても...

♪今こそ未来だ、一緒に歌おうか...

 

このように、”歌”,”メロディー”,”歌おうか”といった、音楽に関係のあるフレーズがたくさん入っています。
 

そして、重要なのは冒頭の歌詞です...

 

♪僕の声は聞こえるか?...

♪ずっと叫び続ければ届くと信じていたい...

 

この歌詞は、国境を越えた異邦人へ僕の想いを届けたいという必死に叫ぶ僕を表現しています。

 

なぜ、僕は必死になって叫び続けなければならないのでしょうか?

 

それは、この『国境のない時代』という曲の仮想敵国は、あの気難しい隣国だからでしょう。

 

だから、この曲は、決して一般論的な平和の曲などではない。

 

特定の国を想定した、その特定の国との平和を模索していくにはどうすればいいかが主題の楽曲にほかならない。

 

つまり、『国境のない時代』は、主に「PRODUCE48」の企画を側面から支援する支援ソングだと私は思います。

 

そして、必死に叫ぶ僕という歌詞は、”気難しい隣国との交流というものは、特に日本側が必死に声を挙げ続けなければ理解してもらえないし、うまくいかない”、と言わんとしているんです。


なので、坂道AKBの『国境のない時代』のパフォーマンスは、決してゆるく踊ってはならないし、牧歌的な平和をイメージしてもいけないんです。

 

”必死に叫ぶ僕”、を表現しなければならないんです。

 

とにかく、ダイナミックな”動”のダンスを踊らないといけません。

 

また、顔つきは、真剣でないといけません。なぜなら、僕は必死だから、です。

 

そもそも、平和ボケした大部分の日本人にとって、平和=争いを避けること、かもしれないが、そうじゃない...

 

それから、平和=微笑み、でもない...

 

平和も、自由も、ともに戦いとるもの。

 

戦いのなかで発見される落としどころが平和。

 

人類の歴史をひもとけば、戦争の講話条約って、皆、そんなもの。

 

生身の人間なんて、大昔からそんなに進歩してないと思います。

 

悲しいかな、人間というものは、一度、殴り合ってみないと、平和の味というものがわからないんです。

 

つまり、サッカーと同じです。お互いにタックルし合ったり、ファウルをもらい合ったりした後、ノーサイドになり、友情が生まれるものなんです。

 

要するに、平和なんて、他人とのぶつかり合いや激しい駆け引きのなかからしか生まれないものなんです。

 

北朝鮮とアメリカの共同宣言だって、北朝鮮の核ミサイルを用いたぎりぎりの駆け引きから生まれたものです。

 

微笑み外交からは平和は生まれないんです。

 

だから、秋元康氏も、曲の歌詞に、「必死に叫び続けることが必要」という意味のことを書いているんです。

 

「気難しい隣国とは、穏やかな話し合いではらちがあかないだろうな」...

 

このプロジェクトの話しを最初に聞いた秋元康氏は、そう思って『国境のない時代』の歌詞を書いたのだと思います。


また、『国境のない時代』のMVでは、メンバーはライトセーバーを持たされていますが、ライトセーバーもまた戦闘の道具です。

 

映画スターウォーズでは、銀河の平和を目指すジェダイの騎士は、ライトセーバーを武器にして、平和を戦い取るんです。

 

つまり、優しさや調和からは平和は生まれない...

 

暴力はいけない、でも、おとなしく黙っていてもいけないんだ...

 

平和とは積極的につかみ取るもので、そのためには強い自己主張が求められるんだ...

 

それがこの曲が伝えるメッセージ...

 

以上のような意味で、テレビ番組『THE MUSIC DAY』において、微笑みを浮かべながら周りとの調和的なダンス(=”静”的なダンス)を目指していたらしい(???、昨日の記事に書いたように、そこさえはっきりわからなかった)長濱ねるのパフォーマンスは、もしそうだとするなら、ちょっと違うように思います。

 

曲の世界観からそれていると思うし、平和へ向かっての努力にもなっていないし、秋元康氏の気持ちも汲み取っていないような気がします...

 

竹島問題にしろ、慰安婦問題にしろ、靖国問題にしろ、微笑みや、相手に対して調和的な態度に出ても、問題は解決してこなかったじゃないですか...

 

また、秋元康氏が安倍首相と懇意にしているのは知る人ぞ知る事実ですが、安倍首相はタカ派(強硬派)であり、秋元康氏の気持ちも安倍氏から影響を受けているだろうから、元はハト派でも、平和一辺倒じゃないと想像します。

 

言うべきことはしっかりと主張すべき、というのが秋元康氏の真の気持ち...

 

この観点からも、『国境のない時代』のダンスをゆるくパフォーマンスしてはいけないと思います。

 

結局、「PRODUCE48」の企画にすでに参加している宮脇咲良たち、すなわち48グループのメンバーたちがやったダイナミックな”動”のダンスが正しいと考えます。

 

国境を越えて海の向こうまで”僕の声”を送り届けられるような力強いダンスにするのが正解でしょう。

 

そこをはずしてしまうなら、曲の世界観をはずしてしまうことになると思います。

 

長濱ねるは、「PRODUCE48」のことや海外展開をする48グループの実状を認識し、さらに、日本人とは異なる外国人気質や国際政治のリアリズムなどもふまえ、もう一度、考え直す必要があるのでは?

 

根本的に考え違いをし、パフォーマンスに失敗しているような気がしてならないです。

 

この曲の主たるテーマは、”叫び”です。

 

”叫ぶ僕”を表現しなければならないように思います。

 

”国境を越えた隣国まで届くほどの雄たけびを挙げる僕”、を想いを込めて表現すべきでしょう。

 

 

 

なお、「PRODUCE48」については、あまり詳しくは追いかけてないですが、AKB48グループのメンバーに対して、非常にシビアーに評価が下されているらしいですね。

 

松井珠理奈が思わぬ低評価だったり、矢吹奈子が予想以上に高評価だったり...

 

48グループメンバーは、日本での序列をいったん無視され、純粋に歌とダンスをシビアーに(ただし、相手目線で?)評価されているということのようです...

 

でも、だからといって、彼らが日本のアイドルをイジメているわけじゃない...

 

余計な飾りや手加減をとっぱらった素(す)の真剣勝負でやってるだけ、のように映ります...

 

本物の国際交流って、やっぱり、そういう真剣かつシビアーな土俵の上から生まれるものなんでしょう...

 

微笑みや調和だと、うわべだけの交流で終わっちゃうんだよ...

 

 

 

【追記】

坂道AKBと『国境のない時代』については、この翌日の記事にさらに続きを書いています。

そちらもできれば読んでいただきたいです...