三代目の『UnfairWorld』が大賞を受賞しました。
AKBは受賞はなりませんでした...
でも、三代目の曲はいい曲でしたね。
大賞にふさわしかったと思います。
個人的に良かったのは、松田聖子さんのステージ...
年齢には合わないほどのオーラとキラキラ感がさすがだなと思いました。
さらに昔のレコ大の古い映像も良かった...
麻丘めぐみさんはなつかしかったですね...
小学生時代を思い出しました...
あの「姫カット」が、お姉さんっぽくて、あこがれだったんだよなぁ...
この時期の人たちが、”アイドル”という存在の草分け的な時代だったんだなぁというのは、あとで大人になってから知りました。
私が幼稚園になる前後の頃からだったんですね、アイドルの時代の始まりっていうのは...
そこで昔の、つまり昭和のアイドルについて少し語りたいと思います。
女性アイドルは、”清純派”と、そうでない人に分かれていたように思います。
例えば、麻丘めぐみさんは、清純派でした...
”清純派”というのは、わかりやすく言うと、”恋愛のイメージ”を持たない雰囲気のアイドルという意味ですね...
だから、逆に、清純派ではないと言うことは、陰では恋愛をしているかもしれないという暗黙の了解がありました。
でも、アイドル本人も、事務所も、マスコミも、またファンも、そういうことにふれませんでした。
”そういうことに触れない節度”というものが昔はあったように思えます。
山口百恵さんが電撃結婚しても、ニュースになりこそすれ、非難する人はいなかった...
松田聖子さんが郷ひろみさんとつきあっている写真が、週刊誌や写真週刊誌に載ったときも、「あー、なるほどね...」という感じでしたね。
これは確か、高校生のときだったかな...
聖子ファンの友人も、「ショックだ」とは言っていましたが、それは非難の意味ではなく、失恋的な意味でした。
秋元康氏がおニャン子くらぶのアイドル・高井麻巳子と結婚発表したときも、ニュースにはなったが、非難する人は少しだけだった...
それは、恋愛自体より、やり方が禁断っぽいからだった...
教え子と、みたいな感じだったから...
要するに、芸能人と言えども生身の人間なので、陰での男女交際などあるだろう的な、大人の判断が昔は世の中にはありました。
もちろん、大人も子供もです...
”清純派”という言い方も、「恋愛」という語句をわざわざ避けて、そういう言い方をしていたんでしょうね...
つまり、「恋愛」という単語を使わないのが「アイドルの恋愛禁止」という意味だったように思います。
”そこをみんながさける”、という意味です。
”さける”というのは、スルーってことですね...
しかも、恋愛の話題をスルー、というよりは、恋愛という単語をスルー、って感じかな...
”清純派”という言い方がそれ、ってことですね。
”恋愛”というと、昭和の後半では、昼のメロドラマのイメージ...
そういう意味でいうと、戦前の厳しいモラルが、多少は昭和後半でも残っていて、”恋愛”という単語を軽々しく使うこと自体、節度がない的な雰囲気もちょっとありました。
なので、そもそもアイドルのことを話す際に、そういう言葉はふさわしくない的な感じだったかな...
場違いというか、なんというか...
そして、”みんな”というのは、本人、事務所、マスコミ、ファンの4者共がです。
ファンにも、応援する際の節度みたいなものがあったな(今も少しはあるかもしれませんが)...
だから、恋愛禁止ルールの原点から見れば、恋愛禁止ルールをいま一番守っていないのは、
「私たちの推しメンの○○は、恋愛禁止を守っている」と声高にネットで言っている集団となるんじゃないかな...
”節度”が無い、ったらありゃしない...
たぶん、今の高齢者から見れば、そういう集団は、節度のない集団だと見られている可能性が高いと思います。
今の恋愛禁止の意味は、本来の正しい意味をはずれているように思えます...
了