セカオワ『Dragon Night』と正義の歌詞から... | 超絶メタアナリシス

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☆☆☆ 都心(台東区)在住です ☆☆☆

昨日の朝の『めざましテレビ』で、SEKAI NO OWARIの『Dragon Night』がカラオケの1位になったというニュースが流れていた...


『レット・イット・ゴー』を超えたんだとか...


そして、カラオケだけじゃなく、”ドラゲナイ現象”がはやっているとのこと...


”ドラゲナイ現象”とは、セカオワのFukaseさんを真似て、モッズコートを着て、トランシーバーを持ち、「ドラゲナイ!」と叫ぶことなのだそうだ...


”ドラゲナイ”とは、サビの部分のドラゴンナイトを3度連呼するところがそう聞こえるからなんだとか。


宮澤佐江ちゃんもTwitterにその姿を投稿している。
↓↓↓
http://www.excite.co.jp/News/entertainment_g/20150206/Mdpr_news1465700.html


・・・


そんな大ヒット中のセカオワ『Dragon Night』であるが、
昨年11月末にセカオワのNHK紅白初出場がなった際、私は、ネットで『Dragon Night』の歌詞を検索して見ていて、頭の中で印象に残ったことを覚えている。


なぜなら、私がこのブログで何回か語ってきた、”正義”というテーマについて、的(まと)を得た歌詞であったからだ。


歌詞の一部を抜粋してみよう...


一番の歌詞では、


人にはそれぞれ「正義」があって、争い合うのは仕方ないのかもしれない
だけど僕の嫌いな「彼」も彼なりの理由があると思うんだ
ドラゴンナイト、ドラゴンナイト、ドラゴンナイト、今宵...
僕たちは友達のように歌うだろう...


二番の歌詞では、


人にはそれぞれ「正義」があって、争い合うのは仕方ないのかもしれない
だけど僕の「正義」がきっと彼を傷つけていたんだね
ドラゴンナイト、ドラゴンナイト、ドラゴンナイト、今宵...
僕たちは友達のように歌うだろう...


このように、人にはそれぞれ自分の正義があるのだ、というところ...


その通り!、という感じだ...


つまり、人にはそれぞれ自分の意見や主張があるものなのだ。


そして、意見や考え方というものは、個人個人の自由であって、他人から強制されるものではない。


つまり、誰の正義がいちばん正しいかなんて、一概には言えないのである...


意見の相違がぶつかって、口ゲンカや、ときには暴力沙汰や裁判になることもあるだろう。

そして、勝ち負け、要するに、白黒がつくこともあるだろう。


しかし、勝った方が正しいなんて、言えないのである。


勝った方は、たまたま、”力”が強かっただけだといえよう...


要するに、”正義”というものは、それぞれが正しいのである。


勝ち負けというのは、正誤を意味するわけではないということだ。



そして、人に限らず、組織にもそれぞれ正義がある...


今話題の、NMB V.S. SKEの戦いでも、互いにそれぞれの正義がある...


そして、正義V.S.正義の戦いである以上、勝ち負けは必ず出る...


しかし、だ...


負けた方が悪いということはないし、勝った方が正しいわけでもない。


ネット上では、NMBとSKEが戦うべきではないという意見がたくさん見られるが、
そういう意見を言う人は、暗黙のうちに、
「負けることは悪いこと」だという考えを心の奥底に持っていると思う。


しかし、そうではないのである。


負け、イコール、悪いこと、なんて、
いつ、どこの誰が決めたのか?


実は、誰もそんなこと、ひとことも言ってないのである。


場合によっては、負けた方が、そのあとにうまく転身することができたりして、長い目でみれば、良かったなぁといえるような時がくるかもしれないのである...


例えば、指原の著作『逆転力』では、「最初に目指していた王道アイドルは、AKBに入ってから、かなわないとあきらめて別の道をさぐった」とあるように、別の道(=自分の得意な点が生かせる道)を歩むように転身したほうが成功への近道ということもある。


また、先週の『AKB的人生論』では、大和田南那が、「最初は歌手を目指していたけど、岡田奈々さんの歌唱力のすごさを見て、あきらめた。今は模索中」とあるように、転身するのは早い方がいいのである。なぜなら、若い方がやり直しがきくからである...


このように、負けた方が早く転身できる、ということもある。

そして、それが成功につながることもあるのである。


逆に、勝った方は、自分の細かい欠点に気づかず、いつか痛い目にあうかもしれない...


禍福はあざなえる縄のごとし、ということわざもある...


勝つことで、”福”が来るわけでもなければ、

負けることが、”災い”というわけでもないのである...

 

勝負事というのは、単なる、”力くらべ”にすぎないのである...