私が「可視総合光線療法」という名前を初めて耳にしたのはお客様からのお電話でのことでした。

 

今から九年前、当店でいろいろなものをご購入いただいておりました広島のお客様が「可視総合光線療法で光を当てたら困っていた症状が劇的に改善した」と教えていただいたのです。

当時は私の父親が全く同じ症状でしたので早速1号機を一台購入してみました。

そして可視総合光線療法を試してみると本当に改善したんですね。

 

とても感動してその時すぐ、その会社に連絡をし取扱いをさせていただきたいとお願いしたのですが、卸売り販売はしていないとのことでした。

しかし他のお客様から同じ内容の相談を受けると、その都度お客様に「可視総合光線療法はいいですよ」と紹介し、ついでに勝手に自社HPに可視総合光線療法の説明サイトを作成してしまいました。

 

しばらくして当店に社長さんが突然ご訪問されました。

 ご紹介したお客様や、当店のHPをご覧になられた方が会社に問い合わせをされたようで、社長様直々にお取引のお申し出をいただいたのです。

 突然だったのもあり思わず最初は「卸をされていないとのことですのでご無理は言えません」とご辞退をしてしまいました。

しかし熱心に誘っていただき結局ありがたくお申し出を受けさせていただきました。

私にしても内心は「こんなすばらしいものをもっとご紹介できたらいいなぁ」と常々思っておりましたのでその時は本当にありがたいなという気持ちでしたね。

こうしたふとした縁からのお取引でしたので薬局で可視総合光線療法を取り扱っているのは当店だけです。

 

その後、そのご縁をさらに強く感じたのは光線研究所の元所長 黒田保次郎先生が書かれた本を読んだときでした。

それによりますと昭和17年に黒田先生は航空総司令部の要請で光線治療の集合教育を軍医にするため来岐されていたんですね。

当店は岐阜市内なのです。

本には「1/17に岐阜市神田町の信濃屋旅館に投宿」とあります。

1/17と言えば時は丁度今頃、本日は寒波襲来で現在雪がちらつきはじめましたが75年前も寒いころだったはずです。

この信濃屋旅館は現在はもうなくなって予備校かなんかに変わっていますがよーく覚えています。

私が子供のころは岐阜市民センターでプロレスがあると日本人選手が泊まっていた旅館です。 ジャイアント馬場選手がロビーでTVを見てくつろいでいてでっかいなーと驚いたことを思い出します。

 

で、当時軍司令部と陸軍医務局での意見相違もあったようで、光線治療を疑う若い軍医たち20名くらいがこの信濃屋旅館につめかけるという騒動もあったとのこと。

この時黒田先生も腹を決めて堂々対応されたようです。

翌日、これも岐阜市内の加納城跡にあった軍司令部講堂において光線療法の講演をするのですが、この加納城跡がまたウチからかなり近いのです。

私が通った中学校から道を挟んですぐ北、春は桜が満開になります。

結局この講演のあと各務原陸軍病院で実際に患者に光線治療を実施し、軍医部長以下納得されたようでその後の21日間の教育は平穏無事に終了したとあります。

 

以上可視総合光線療法との不思議な縁の一節でした。