光の天地 《新しい文明の創造に向けて》

光の天地 《新しい文明の創造に向けて》

現代文明の危機的な状況に対して、新たな社会、新たな文明の創造の
必要性を問う。

【新しい文明のビジョン(小説編)(P-10)】
 
                                         『無上の町』(第3巻)
                                       真珠の飾りを着けた都の果てに
 
                                                 《連載第 10 回》
 
月末まであと一日と迫った翌日、ミキは店舗からかかってくる仕入発注の電話対応を終えた後、所
用を済ませて、ビルの駐車場で待つ淳平の車に同乗した。別々に行動するより、車で一緒に取引先
を回った方が効率がいいだろうと、淳平が提案したのだった。
 昨日、思わぬ手形の発見があったものの、資金繰りの不足額はまだ百七十万円ほど残っていた。
小売の取引先は売上金額も少額の上、件数も多く、住所も都心周辺から郊外まで幅広く分散して
いたため、果たして一日で回り切れるものかどうか、ミキは請求書を作成しながらも一抹の不安を拭
い去ることができなかった。
 昨夜、淳平が会社に戻って来た時、ミキが作成した請求書を確認してもらおうとして彼に手渡すと、
淳平は請求書をめくりながら、机の上に右と左の二つに選り分けていった。ミキは淳平が何をしてい
るのかわからず、暫く彼の指の動きを見つめていた。淳平は選り分けが終わると、左右に分けた請
求書を両手に持って、自分の机に戻って行った。
「ミキ、もういいよ、あとはおれがやるから・・・・」
 淳平は事務所の壁の時計の方を振り返りながら、座席に腰を下した。時計の針はすでに十二時を
回っていた。
「請求書くらい、おれでも作れるから・・・・」
 と言いながら、淳平はパソコンのキーボードを打ち始めた。
「そうはいかないわよ・・・・」
 ミキは啞然として淳平の様子を見つめていたが、暫くしてから請求書を作成する予定の取引先の
メモを、彼の前に差し出した。
 相手が小口の取引先だとしても、そのすべてが支払いに応じてくれるとは限らない。請求書もその
分を考慮に入れて作成する必要があった。昨夜は、仮眠も取らずに徹夜で請求書を作成したため、
二人とも一睡もしていなかった。
 朦朧とした意識を打ち払うかのように、ミキは車窓から入ってくる朝の澄み切った空気を、胸いっ
ぱいに吸い込んだ。淳平は取引先の情報を熟知しているのか、月末間近の幹線道路の渋滞にもつ
かまることなく、網の目のように張り巡らされた都内の道路をすり抜けて、難なく取引先にたどり着
いた。
 最初に訪れたのは、都内に数店の店舗を構えるペットショップだった。その店ではペットに有機農
産物を与えると、病気が治ったということで、自然食の店から大量に有機農産物を購入していた。直
接ペットに食べさせるのではなく、細かくすりつぶして液状にしたものを、餌に混ぜて与えるのだった。
ミキが本店の奥にある事務所に入って請求書を取り出すと、経理の担当者がすぐに支払いに応じて
くれた。淳平は道路で一時停止したため、車の中で待っていた。
 二件目に訪れたのは、居酒屋のチェーン店で、本社は雑居ビルの一角にあった。ミキが事務所の
ドアを開けた途端、セールスマンと間違えたのか、事務所の一人が険悪な表情で手を振った。彼女
が会社の名前を告げると、経理の責任者と思われる人が、手のひらを返したように相好を崩して、用
意してあった小切手を持って、「社長にはお世話になってましてね・・・・」と言いながら、彼女のところ
までやって来て、小切手を手渡してくれた。その時、始めてミキは、昨夜、淳平が請求書を選り分けた
意味がわかったような気がした。彼が選り分けた一つの方は、淳平がすでに昨日のうちに取引先に
連絡を入れて、売掛金の回収の了解を得たものだった。彼は取引先を回る順番を決めていて、その
順番に請求書を彼女に渡していた。しかし、その請求書の総額がどのくらいの金額になるのか、ミキ
にはわからなかった。
 五六件回ったところで、淳平がハンドルに両手を預けたまま、「どうしようか・・・・」と、独り言のよう
つぶやいた。しかし、それは声にはならず、ミキの耳には聞こえなかったが、彼女が車に乗り込んだ
時に見た淳平の口元の動きから、その意味を察することができた。車で回れば電車より早く取引先
に着くことができたものの、二人が同じ車で回れば、結局一人で回ったことにしかならない。しかし、
二人で手分けして回れば多く回ることができても、その分ミキに負担がかかることになる・・・・淳平
は迷いを吹っ切るかのように、ギアに手をかけた。
「ちょっと待って・・・・」と、ミキがあわてて淳平の手を制した。
「やっぱり、二手に分かれて回りましょう。このままじゃ今日中に回り切れそうもないわよ・・・・」
 ミキが腕時計に目を走らせながら、淳平の顔を見た。淳平はしばらくの間、黙ったまま通りを走る
車の流れを見つめていた。
「いや、ミキ、やっぱりこのままで行こう・・・・」と、淳平が意を決したように、再びギアに手をかけた。
「待って!ジュン、私はこの近くを回るから、あなたは別なところを回って・・・」
 ミキはすかさず、ボンネットに置かれていた請求書の束をつかんで、車のドアを開けた。
「わかった、ミキ、じゃあこうしよう・・・・」
 と言いながら、淳平は途中で再び落ち合う約束をして、二人の待ち合わせ場所と時間を、ミキの
背後から告げた。
「わかったわ」と言いながら、ミキは車から降りて、淳平が言った待ち合わせの場所と時間を復唱し
てから、車のドアを閉めた。
 ミキは淳平の車を見送った後、最初の請求書の会社へと向かった。ミキが昨日回った取引先は、
大口の取引きで会社も大きく、ほとんど幹線道路沿いや大きなビルの一角にあったため、探すのに
それほど苦労はしなかった。しかし、今回の取引先は小口の取引きで会社も小さく、幹線道路から
離れて道路が込み入った場所や、雑居ビルが立ち並ぶような所にあり、見つけるまでにかなりの時
間を要した。東京の地理に不案内なミキは、Webの地図を見ながら、道路沿いの店の看板と引き合
わせるようにして、取引先を見つけ出さなければならなかった。
 最初の取引先は、農産物を販売する小売りの店舗だった。親会社は大規模にトマトを生産する会
社で、そのトマトを販売するために出店した直営店だったが、品揃えのため、淳平の自然食の店か
らも農産物を仕入れしていた。商品は量が多いため、直接自然食の店から購入するのではなく、電
話の注文によって、配送の担当者が毎日のようにその店に商品を届けていた。
 事務所は店の奥にあって、ミキが事務所の中に入って行くと、事務の担当者が、「わざわざお越し
いただかなくても、お振込みしましたのに・・・・」と言いながら、申し訳なさそうに現金の入った封筒を
ミキに差し出した。
 二件目はマクロビオティックのレストランだった。マクロビオティックは日本人が開発した玄米や、
有機農産物を中心とした食事法で、その食事法で癌や多くの病気が治癒したことが契機となって、
七十年代から欧米で急速に広まり、日本でも欧米から逆輸入される形で広まっていった。このマク
ロビオティックの料理を専門にしているレストランも都内には沢山あり、その中の一つが自然食の店
の顧客となっていた。
 ミキは事務所がどこにあるのかわからず、直接店の中に入っていくと、メニューを持った店員が座
席に座ることをすすめた。店の周囲を見回すと、客のテーブルの上には菜食料理とは思えないほど
の、色とりどりの料理やデザートなどが並んでいた。その店も、淳平が事前に連絡を入れてあったせ
いか、こころよく支払いに応じてくれた。
 三件目を回ろうとしてバッグから請求書を取り出した時、その請求書を見て、ミキは一瞬、目を疑っ
た。その請求書の金額は七十万円になっていた。ミキはてっきり淳平が、一昨日彼女が作成した卸
売の取引先に対する請求書を、間違ってはさみ込んでしまったのだと思った。しかし、卸売の請求書
は、昨日、回収はできなかったものの、作成した請求書はすべての取引先に渡していた。とすれば、
出かける時にもれたものなのか、それとも、昨日小売の請求書を作成した時に、間違って卸売の請
求書をプリントしてしまい、それが小売の請求書の間に紛れ込んでしまったものなのかもしれない。
 ミキは暫くの間、じっとその請求書を見つめていた。けれども、よく見ると、その請求書の取引先の
会社は、ミキが作成した請求書の記憶にはないものだった。ひょっとしたら、これは淳平が作成した
請求書なのかもしれない・・・・とその時ミキは、請求書の会社名を見ながら思った。
 ミキは請求書を作成する時、卸売と小売の取引先を、一昨日と昨日に分けて作成した。けれども、
淳平の頭の中には、最初からそのような区別はなかったのだ。
 その取引先は、全国規模で店舗を持つ大手スーパーだった。ミキは半信半疑のまま、その会社に
向かった。場所は幹線道路沿いにある自社ビルだったため、難なく見つけることができた。彼女が受
付で会社名を告げると、「お待ちしておりました」と言われて、応接室に通された。しばらくすると、経
理部長がやってきて、「わざわざお越しいただいて恐縮です」と言って、名刺と七十万円の小切手を
彼女の前に差し出した。
「いえ、こちらこそご無理いって、申し訳ございません」
 ミキは領収書を切りながら、深々と頭を下げた。
 経理部長と名刺交換をする時、彼女は経理主任の肩書の入った名刺を差し出した。それは淳平が、
ミキが会社で仕事をしている時に訪れた、来客用に作成したものだった。その会社を出た後、次の
取引先を回ろうとしたが、約束の時刻が迫っていたため、請求書を何枚か残したまま、ミキは電車で
待ち合わせ場所の公園へと向かった。
 
                       (以下次号)