◆ 宣戦の詔書
今日、大東亜戦争を語った多くの書物は、この宣戦の詔書に全く触れない。
これは一にかかつて、占領軍の手に成った「太平洋戦争」史観に、日本人自身が足元を掬はれた結果だと言はねばならぬだらう。
だが、詔書に込められた陛下の思召に、当時の日本人は誠に敏感に反応したのである。
例へば、有名な歌人が開戦に際して詠んだ次のやうな歌を味読されたい。
- 大詔いまか下りぬみたみわれ感極まりて泣くべくおもほゆ(吉井勇)
- 大詔かしこみまつり一億の御民の心炎とし燃ゆ(佐々木信網)
- たたかひは朕が志ならずと宣り給ふ大詔勅にいのちは捨てむ(川田順)
- 日の本の大宰相も病む我も同じ涙す大き詔書に(与謝野晶子)
- 永遠の平和のために戦への勅の前に世界聴くべし(土屋文明)
しかしながら、敗戦後の占領下ではかうした日本人らしい感情の発露は一切許されなかった。
大東亜戦争は「平和へのやむを得ざる手段で」あった、それは開戦の詔書が端的に示すところであると述べた敗戦直後の次の文章も、「軍国主義的」といふ理由の下に、占領軍の検閲によつて掲載を禁じられた。
一体、戦争は戦争のためするものではない。
戦争の目的は恒に必ず侵略に非ずして「平和」でなければならぬ。
大東亜戦争といえども戦争自体が目的ではなく、「平和へのやむを得ざる手段で」あったことは、詔書によって明示せられている。