共産主義の脅威に敏感な日本と無知な米国、大東亜戦争の要因

 ロシア革命と共産主義に対する日本人の反応は、一般に米国人の反応とは凡そ対照的な、恐怖感を伴ふものだった。

(但し、自由主義的知識人の多くは、米国人同様、ロシア革命の幻想に取り憑かれた事も事実である。)
 これは一つには、革命の当初から共産パルチザン(遊撃軍)による大きな被害に、日本人が襲はれたからである。

一九二〇年(大正九)に樺太対岸のニコライエフスクで発生した尼港事件は、その最初の悲劇であった。

在留邦人七百余名が全員暴行凌辱の上惨殺されたこの事件は、日本人に共産革命の実態を余すところなく教へるものであった。
 もう一つ、多くの日本人に共産主義への不審を抱かせた原因は、コミンテルン(一九一九年にレーニンの発議で結成された国際共産党)日本支部として、一九二二年(大正十一)に創設された日本共産党の奉ずる、その天皇観にあった。

この事を示す端的な例が、前掲三十六項目の共産党に対する借間中にある。

これは「ロシア批判」の理由で削除された前掲の十三項目以外に削除された唯一の例である。

削除理由は、「右翼的宣伝」

 

 共産党が民主的でない証拠に、天皇皇后を呼すてにし罵倒している。

これで国民に愛される共産党とか相手の人格を尊重したものであるとか云へたものか。


 かうした共産党の天皇観、ひいては国体転覆(「天皇制」打倒)計画に対する疑惑こそが、日本人をして共産主義を警戒せしめ、共和制を奉ずる米国とは百八十度異なる道を採らせた、最大の要因であった。
 それにしても「共産党が民主的でない証拠に、天皇皇后を呼すてにし罵倒している」といふ、この日本人の指摘は面白い。

してみれば、彼にとって「民主的」といふ事は、両陛下を尊敬申し上げる事と同義だった訳である。

占領軍が「右翼的宣伝」と目くじら立てる訳である。
 

 日本人の意識の底に潜む、「天皇不可侵」の感情は強固なもので、これが共産主義の浸透にブレーキをかける大きな力となった。

大正十四年(一九二五)、コミンテルン日本支部日本共産党の組織的壊滅を目的として、治安維持法が可決されたのも、かうした背景を抜きにしては考へられない。

晩年の清水幾太郎が治安維持法について、「日本が自衛のために取った手段の一つ」であったと述懐した通りである。

そしてこの延長線上に、かの満州事変も勃発したのであった。
 結局は満州事変これも、満州延いては日本の共産化を阻止せんとした、日本の必死の防過手段の一環に他ならなかったのである。

しかし、この事変を巡つては、共産主義の脅威に鈍感な米国と、敏感な日本との間で避け難い解釈の相違を生じ、両者は満州をめぐる抜き差しならぬ対立関係に迫ひやられていったのであった。
 

占領軍の削除した次の事例は、正にこの両者の立場の相違を示したものとして象徴的である。

削除理由は「合衆国批判」
 

 その年の秋に満州事変事変が起り、日米間の感情も段々面白くなくなったが、私はビドル氏とは仲良く御付合をしていた。

(中略)

 話は満洲問題に移り彼は静かに言った。
「支那は平和も統一もなく、しかも条約を守らぬ仕方のない国ではあるが、日本はこれを侵略する権利はない。

遠慮なくいへば、日本にとって唯一の口実は日本は満洲がほしい、或いは満洲を必要とするといふ事だけである。

(中略)
 君達は毎日風呂に入らなければ気持が悪い程潔癖ではないか。

中国人の様に不潔な民族を日本人の様に清潔な民族が絶対に征服し得る訳が無い。
 僕は親日派である。

日本人は個人もピイブルも好きだ。

だがミリタリスティック・ポリッシイだけは嫌ひだ。」
 私は暫く黙って考へてから言った。
「この戦争で日本が負けたら日本は恐らく共産化するでせう。

日本のミリタリズムをアメリカは押へ得るかも知れない。

しかし日本国内の共産化への動きをアメリカは押へ得るだらうか。

日本の共産化をアメリカの様な資本主義国が果して喜ぶだらうか。」
 ビドル氏は黙って答へなかった。


 門脇氏の答の意味を、ビドル氏は恐らく呑み込めなかったであらう。

米国がその意味を呑み込めたのは、戦後になってからのこと(朝鮮戦争以後)である。
 そして日本の意図に対する米国のこの無理解こそが、日本による「アジア・モンロー主義」の実現を阻み、両国を大東亜戦争へと導いた最大の要因となったのであった

 

 

 

 国際連盟の本質が、第一次大戦後の戦勝国による、「自国の安全と旧秩序の保守」のための「都合のよい道具」でしかなかった事は、占領軍によって次の文章もて抹殺された。

削除理由は、「連合国に対する全般的批判」

 

 即ち第一次大戦後、英仏等の戦勝国は自国の安全と秩序の保守に執心して、結局国際連盟をその都合のよい道具となし、結果から見て英仏の政治家は世界秩序の進歩を阻止し、陳腐な十九世紀流の自由民主主義の夢を追ったと非難されても致し方ないであらう。
 (中略)

領土の保全と云ても第一次大戦後の領土の保全であて、大戦前の領土から見れば寧ろ侵略の擁護ですらある。

長い国際政治の歴史に於て第一次大戦の結果ばかりを金科玉条とする事は決して公正とは云はれない。

而も連盟はこの公正ならざる事、而して正義でもない事、つまり或る時の現状を擁護する事の為に、これに反射し、これを破る者を侵略者となし、制裁を適用せんとしたのである。

ここに国際連盟の最も大きな道徳的弱点が在った。