◆ だが、GHQの思惑にも拘らず、日清戦争は依然として東亜解放の一里塚としての歴史的意義を失はない。

何故なら、日清戦争の敗北によって初めて清国は「四千年の深き夢から呼び醒まされ」、明治維新に範を取った国内改革運動(変法自強)に乗り出すことになったからである。

又、孫文が清朝打倒の革命運動に初めて決起したのも、日清戦争敗北直後のことであった。

それは又、東亜に対する侵略を欲しいままにして来た西欧列強に、深刻な打撃を与へる一大事件でもあった。

例へば、占領軍によって削除された文章の中にも、次のやうなものがある。

削除理由は、「国家主義的宣伝」

 

 世界各国は殆どみな日本の惨敗を想像していた。

(中略)

清国は…殊に海軍は日本に全くない甲鉄艦をも有し、総トン数は遥に日本を圧していた。

それと戦て日本が勝たのみか、戦時国際公法の遵守といふ点でも、日本の方が優れていた…。
 この予想外の結果を見た独の
カイゼルは、蒙古人種の仏教国が、東方から白人基督教諸国に迫り来る図を書かせ『黄人禍』と題し、各国主権者に贈つて、我が国をかの蒙古のチンギスハンに擬した。

 

 だが今日、日清戦争を“東亜解放”といふ視点から積極的に評価するやうな史観は、殆ど無い有様である。

この戦争の「民族開放戦争」たる所以を力説して、これも占領軍によつて抹殺された次のやうな事例を僅かに挙げ得るに止まる。

削除理由は、「侵略の擁護」

 

 …日清戦争は単なる日清の対立に止まるものではなかた。

実に日清を戦争に駆り立てた一因は、帝国主義列強、なかんづく帝政ロシヤのそれであた。清国にとては、朝鮮の放棄は、自己の発祥地満洲侵略への足場を与えるものであり、単なる貿易上の利害を越える重要性を有した。
 日本にと
ても、朝鮮の独立が侵されることは、日本資本主義の破滅であり、日本の植民地化を意味する……

こゝに日清戦争が日本の国民統一戦争、民族開放戦争たる所以がある。

それ故、英国の巨文鳥占領事件(明治一八年)を契機として、日本の軍備ははきりと「英仏露の諸国」を「敵手」として意識するに至たのである…

 

 日清戦争の結果として締結された下関条約第一条は、

「清国ハ朝鮮国ノ完全無欠ナル独立自主ノ国タルコトヲ確認ス因テ右独立自主ヲ損害スヘキ朝鮮国ヨリ清国二対スル貢献典礼等ハ将来全ク之ヲ廃止スヘシ」

として、朝鮮の「完全無欠ナル独立」を認めるに至った。

ここに、千年以上にもわたって宗主国たる支那歴代王朝の属国たる地位に甘んじていた朝鮮にも、初めて民族独立の曙光は射しそめたのである。

日清戦争こそは朝鮮を清国の軛から解放し、三国にひたひたと迫り来る「英仏露の諸国」、特にロシアの脅威に備へんがための「民族開放戦争」だったのである。