◇ 抹殺されたヤルタ密約知らせる「小野寺電」と「堀電」
            2012/08/08産経

 

 大本営に届きながら抹殺された可能性が高まった小野寺信武官のヤルタ密約電報。

書簡で「着信」を証言した大本営参謀の堀栄三氏自身がヤルタ会談4カ月前、台湾沖航空戦の勒果を訂正する電報を打ちながら、参謀本部作戦課を中心とする「奥の院」で握り潰されるなど、極秘情報は生かされなかった。

ソ連に和平仲介を託す愚策によって終戦工作がもたつくうちに、原爆を投下され、ソ連の侵攻で多くの命を失い、北方領土を占領されただけに、機密情報を抹殺した代償はあまりにも大きい。

■ 覆された定説

 大戦末期の昭和20年2月4日から11日、米英ソ首脳がクリミア半島のヤルタに集まり、南樺太返還、千島列島引き渡しなどを条件にドイツ降伏3カ月後に対日参戦することが決まった。ヤルタ協定は密約だったため「日本側は全く知らず、なおソ連に希望的観測をつないでいた」(防衛研究所戦史室『戦史叢書』)というのが定説だった。
 小野寺武官が亡命ポーランド政府参謀本部から得たヤルタ密約の核心部分の「ソ連が対日参戦に踏み切る意向を固めた」との情報が公電で参謀本部に届きながら「奥の院」が抹殺した疑いが濃厚となったことで、少なくとも軍中枢は密約を知っていたことになる。

■ 不都合な内容

 なぜ機密情報は国策に生かされなかったのだろうか。

それは指導層が「ソ連和平仲介工作」構想を水面下で始めていたからだ。

ドイツ降伏後にソ連が参戦するとの情報は不都合でかつ不愉快だったとみられる。
 「奥の院」が機密情報を握り潰したのはヤルタ密約が初めてではない。

堀氏が打った台湾沖航空戦の電報も同じだ。

昭和19年10月、大本営は台湾沖航空戦の戦果を発表した。

空母11隻撃沈、8隻撃破。

しかし、実際は米軍巡洋艦2隻を大破させたにすぎなかった。
 堀氏は、誤報であった事を出張先の鹿児島の鹿屋基地でつかみ、大本営に公電を打電した。

しかし大本営は訂正せず、隠蔽した。

「幻の大戦果」を前提に日本軍はその後、レイテ決戦へ突き進み、連合艦隊は事実上壊滅した。

■ 作戦上位の体質

 堀氏の長男、元夫氏によると、昭和33年夏、堀氏は、シベリア抑留から帰国した元大本営作戦課の参謀だった瀬島龍三氏と東京都港区虎ノ門にあった共済会館食堂でカレーライスを食べながら、瀬島氏から「きみの電報を握り潰した」と聞かされた。

元夫氏も同席していたという。
 瀬島氏は、その後、「堀君の間違いではないか」と否定するようになり、平成19年9月他界している。
 堀氏は書簡で、大本営では作戦が上位にあり、情報を軽視する体質があり、自らの「台湾沖航空戦電」と「小野寺電」が「奥の院」で連鎖して握り潰されたことを明らかにしている。
 「奥の院」でどのように抹殺されたのか詳細は不明のままだが、福島原発事故でも生死に関わる情報が政府内で握り潰されたことが露呈。

度し難い官僚主義による情報軽視の構図は今なお続いている。

■ 小野寺武官の「プ情報」

 

 駐ストックホルム陸軍武官の小野寺信氏が、ロンドンに本拠を置く亡命ポーランド政府参謀本部から駐ストックホルム武官のフェリックス・ブルジュスクウインスキー氏を通じて入手した情報を指す。

ヤルタ密約情報もポーランド参謀本部からブルジェスクウインスキー氏を経由してもたらされたが、実際は「ブ情報」の中でも、とりわけ重要な「ス情報」として百合子夫人が打電した。