■ 真珠湾攻撃1時間後に「西の風、晴れ」 外務省、天気予報で開戦を在外公館へ
 
 外務省が日米開戦となる昭和16(1941)年12月8日のハワイ真珠湾攻撃に合わせ、在外公館などに向け、天気予報の形を借りて開戦不可避との見通しを伝えるよう、海外向け短波放送「ラジオトウキョウ」に指示したと戦後、連合国軍総司令部(GHQ)に報告していたことが7日公開の外交文書で分かった。
 外務省は同11月、在外公館宛てに「外交関係の危機で国際通信が途絶えた場合は日本語ニュースの中に『東の風 雨』や『西の風 晴れ』などを加える。
この警報を聞いたら暗号書を処分せよ」と打電。
実際に12月8日には真珠湾攻撃の約1時間後に「西の風 晴れ」という文言が読み上げられたことが関係者の間で知られていた。
 20年11月18日付文書によると、GHQは外務省幹部に開戦日の放送について質問。幹部は「8日午前2時半以後と記憶する」と回答した。
部下からこの日、放送すべきかどうかを尋ねられた、この幹部は担当局長に相談するよう指示したと述べ、「放送の指令は発せられたようだ」と答えた。
 別の報告書には「外交関係断絶の場合を予想し在外居留民の保護のためだったとGHQに説明した」「GHQは(軍事)作戦の必要上でないなら重要ではないとの口ぶりだった」との記載もあった。
 
 
■「ルーズベルト親電」伝達遅れ、GHQ徹底調査 2013/03/07産経
 
 外務省は7日、昭和16年の真珠湾攻撃直前にルーズベルト大統領が昭和天皇に宛てた親電の伝達が遅れた経緯に関する連合国軍総司令部(GHQ)国際検察局による調査実態の記録を含む外交文書ファイル72冊を公開した。
国際検察局が終戦後、外務省担当者らに事情聴取を行い、詳細な経緯を調査していたことなどが明らかになった。
 外務省が作成した昭和21年8月1日付の文書によると、国際検察局は親電が早期に届けられれば戦争回避が可能だったと認識しており、開戦当時の東郷茂徳外相が伝達を遅らせたとして開戦責任の証拠固めをしたと分析している。
 ルーズベルト親電をめぐっては、平成16年に元ニュージーランド大使の井口武夫尚美学園大教授(当時)が、グルー駐日米大使に配達される前に東郷外相が解読していた可能性を指摘。親電の内容を受けて日米開戦の最後通告を修正したため、開戦通告は真珠湾攻撃の約1時間後になったとしている。
国際検察局側の認識は井口氏の議論と重なっており、対米通告遅延の論争に一石を投じそうだ。
 国際検察局の職員2人は昭和21年8月1日、外務省の電信官2人を尋問した。
国際検察局の2人は東郷外相の名前を出しながら、親電配達が遅れた経緯や、事前に外務省が解読した上で陸海軍に送付した事実の有無を質問した。
電信官2人は「本件親電には何等関係がなかった」「斯かる事実ありたるを知らざる」と回答した。
 文書では聴取を受けた印象として、国際検察局側が「東郷外務大臣は親電を解読したものを事前に見ているに違いない。
この電報が天皇陛下に渡されたならば戦争は避けることが出来た」と認識していると指摘。
さらに「検事(ママ)局側の同大臣の開戦責任に関する証拠固めを目的とするものの如く観取せられた」と分析している。
 東郷外相は終戦後、極東軍事裁判でいわゆる「A級戦犯」として禁錮20年の刑を言い渡され、服役中の25年7月に死亡。
53年10月、靖国神社に合祀された。

◆ ルーズベルト親電
 日米開戦直前に昭和天皇に宛てた親電で、日本に和平を呼びかける一方、日本軍の仏印からの全面撤退を要求する内容。
日本時間12月7日正午、東京電報局に到着。
グルー駐日米大使に配達されたのは10時間以上遅れの同日午後10時半だった。
親電は8日午前0時半にグルー大使から東郷茂徳外相に手渡され、東條英機首相が同2時半に昭和天皇に親電全文を読み上げた。