■産経:なぜ米軍は東京大空襲を機に無差別爆撃に踏み切ったのか? 2015/03/05  

 

 先の大戦中の東京への空襲は百回を超えるが、昭和20年3月10日の「東京大空襲」を機に、米軍は一般市民をターゲットにした無差別爆撃に舵を切った。

なぜ米軍は戦術を転換したのか。  

 20年1月20日、後に「米空軍の父」と言われる米陸軍航空軍司令官のヘンリー・アーノルド大将(後に空軍元帥)は、爆撃で成果を上げられない日本空爆の指揮官ヘイウッド・ハンセル准将を更迭し、欧州戦線などの爆撃で成果を上げたカーチス・ルメイ少将(後に空軍大将)を任命した。  

 ルメイ氏は、それまでの軍需工場への精密爆撃をやめ、一般市民を多数巻き込む無差別都市爆撃を計画した。

ルメイ氏は戦後、自著で無差別爆撃を「全ての日本国民は航空機や兵器の製造に携わっている」と正当化している。  

 更にルメイ氏は、高度1万メートル近い高高度昼間爆撃から2千メートル前後の低空夜間爆撃に切り替えた。 

爆弾搭載量を増やすため機銃の大半は取り外させた。

3月の時点で護衛戦闘機はなく、もし敵戦闘機に襲われても反撃のすべはない。

B29搭乗員の多くは「死の宣告」と受け止めたという。

 

 

 ただ、無差別爆撃の責任をルメイ氏一人に押しつけるのは酷だろう。  

 背景には、既に日本陸海軍の組織的反撃は困難となり、米軍が日本本土上陸を想定するようになった事がある。

無差別爆撃により日本の厭戦気分を高めると共に、都市部を壊滅させる事で速やかに占領しようと考えたようだ。

 

 防衛大学校の源田孝教授(軍事史)は「当時ルメイ氏は少将に過ぎない。

爆撃は全てアーノルド大将の命令で実行された。

ルメイ氏は組織人として上官の期待に忠実に応えただけだ。

無差別爆撃への転換には『米兵の死傷者を少なくしたい』という米政府の思惑が絡んでいた。

日本への原爆投下の正当化と同じ論理が見てとれる」と語る。  

 その証拠に米国は昭和18年、ユタ州の砂漠に日本の木造長屋を再現し焼夷弾による燃焼実験を行っている。 

やはり無差別爆撃は「米国の意思」だったとみるべきだろう。  

 フランクリン・ルーズベルト米大統領が、昭和14年にソ連軍がフィンランドに無差別爆撃を行った際「わが国政府並びに国民は、非武装市民への爆撃や低空からの機銃掃射、これら卑劣きわまる戦争行為を全力をもって糾弾する」と声明を発表した。

ルーズベルト氏は東京大空襲直後の昭和20年4月12日に死去したが、日本全国で繰り広げられた無差別爆撃、そして広島、長崎への原爆投下をどう抗弁するつもりだったのだろうか。